2017年09月23日

誕生日のプレゼント

前に 中学1年生のときが 一番よかった。クラスもみな仲良かったし 先生もよかったし 一番思い出のある時期だったと書いて そのときに 親友ができたと 書いたと思います。
そうなんです。
中学1年のとき 仲良くなった 子 とは いまでも 親友だと 思っています。
1年間だけ 同じクラスだっただけなんですけどね。
まぁ 遠く離れているので会うこともなく 年賀状くらいのやりとり しかないないのですが 気持ち的には 親友です。

その 中一のときの 誕生日に その子から もらった プレゼントは まだ 大切に 使っています。
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ペン立てとブックエンドのセット。
皮張りの丈夫なものなので いまでも 現役。
引っ越しするたび 一緒に箱に入れ 持ってきました。
中一だから 長いなぁ・・・
一人 東京に来たときも これだけは 忘れずに 持ってきました。
大切に しているものです。

「ナコちゃん!ありがとうね。今でも 使っているよ!」

年は同じなんだけど 学年は私が一つ下。
中学までは同じで 高校は同じ高校だったけど コースが違っていて・・・
それで 私は1年 休学したものだから 卒業年が違います。
で・・・私は ナコちゃんに 彼女の使ったノートをまるごともらったり 前年度の試験問題もらったりで 
お世話になりました。

ナコちゃんは 地元のお役所に就職しましたが 私は 上京と 離れ離れになりました。
帰省した時 メロンもらったこと 覚えていますし
母がなくなったとき 役所に手続きにいき 会ったこともあります。
そのくらいしか 会えませんでした。
でも やはり 心の中では 親友かな〜。
もし 私が ずっと福井にいたら 仲良くお付き合いして おしゃべり おばさんんたちに なっていただろうか・・・。

明日は 私の誕生日。
posted by うめのはな at 10:08| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月22日

左側通行

東京に来たとき とまどったことがあります。
歩道を歩くとき みな 左側を通行しているのです。
「車は左 人は右」と 教え込まれたので 規則にしたがい 右側を歩こうとすると 流れに逆らうことになり 邪魔だといわんばかりの目で見られました。
暫くは 合点がいかず 抵抗していたのですが 駅なかでも どこでも 左の流れは変わらず とうとう それに従うことになりました。

道路交通法第二章第十条の歩行者の通行方法は 日本では基本的に右側通行です。
臨機応変にとは 書いてありますが どうして 歩行者だけのときは みな左側を歩くのだろうか・・・
アメリカは、車両は日本とは逆の右側通行が当たり前なので対向車に対して左というと必然的に左側通行が基本となります。
進駐軍の名残なんでしょうかね・・・。

エスカレーターも 左に乗り 右をあけますけど これも 本当は納得がいかないです。
二列に並んでいたほうが いいと思うのですが・・・・

東京ではエスカレーターは右側を空けて乗ります。
関西では左側を空けて乗るということを聞きます。

関東と関西では右側通行、左側通行が真逆なんですね。
知らないと 戸惑いますよね〜

では 歩道などは どちらの流れになっているのでしょうか・・・
右歩きか 左歩きか・・・。

人は右 なんて・・死語だ。
 人の流れに従うしかないときは どうしようもないでしょ。
いつ 誰が 左側を歩くって 決めたのか 知りたいところです。
東京の 左側通行に いまだに納得のいかない私です。
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posted by うめのはな at 15:05| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月21日

保育園

そろそろ 来年度の 保育園の応募の時が来ているらしいのですが・・・
預けられる子も 預ける親も 大変だと思います。
近くの保育園に預けられればそれは それで いいのですが
保育園というもの 何かあれば 職場にすぐ電話。
熱がでました。下痢してます。怪我しました。もろもろ・・
で こちらの都合は まったく考えず
「すぐ 迎えにきてください」
すぐって・・・
職場に電話しているんだから すぐ いけるわけないでしょうが。。。
遠くの職場だと それなりに 時間がかかります。

では 職場の保育園があるとして(これは めぐまれている 職場でしょう)
まぁ すぐ行けますけど・・・
通勤地獄のときに 子供つれて 電車乗るのか・・って ことになりますしね〜
それは それで とてもできないことで 時間ずらさないとね。

一人ならいいけれど 他に子供がいたら 早朝 出勤するわけにもいかないし
困りますね〜

いずれにせよ 子育てしにくい システムであることは間違いないです。
病気もせず 怪我もせず 毎日元気で通園できるなら 問題はないですが
人間だもの・・・何があるかわからないし
子供って すぐ 病気をもらってくるし・・・

そのたびに 職場に頭下げて帰宅せざるを得ないのです。

女性活躍社会というなら
こういう問題をなんとかしなきゃ。
子供の数も 増えませんよ・・・

どうしたら いいんだろうかね〜
世の男どもは 考えたことあるのでしょうか。
特に 政治家!!
モノ申すだね。
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posted by うめのはな at 09:04| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月20日

移植医たち

今でこそ 臓器移植ということばが 普通に使われていて ドナーカードなるものも 保険証の裏についています。
日本での臓器移植が どんな風にして行われるようになったのか・・・
日本人というのは死生観が 独特で なかなか 人間の死にたいする考え方が 厳しいところがあって 難しいのです。
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移植医たち
著者    谷村志穂/著
出版者東京 新潮社
出版年2017.8

内容(「BOOK」データベースより)
「情熱、野心、そして愛―すべてを賭けて、命をつなげ。1985年、まだ実験的段階にあった臓器移植。最先端の医療を学ぶため渡米した3人の日本人医師を待ち受けていたのは、血の滲むような努力も崇高な理想をも打ち砕く、シビアな命の現場だった。苦悩し、葛藤しながらも、やがて彼らは日本初となる移植専門外科を立ち上げるが…。命を救うための最終手段である臓器移植。限界に挑む医師たちを支える想いとは。命と向き合い、生きていくことの意味を問う傑作長編。」

日本初の心臓移植後 タブー視されてきた 臓器移植。
アメリカで学ぶ 日本人医師たちの 熾烈な戦い。
アメリカでは 普通にうけいれられる 脳死も日本では 受け入れられない。
アメリカまで 大金を集め 移植を受けに来る 日本人たち。
臓器移植法案をきっかけに 帰国した 医師たちを 待ち受けていたのは
白い巨塔 といわれる 大学病院のシステム。
とにかく アメリカ式は なにもかも 異端視。受け入れられない。
バッシング マスコミ攻撃 嫉妬 告発・・・
そんな なか 命を救いたいと 頑張る医師たち。

そんな 内容です。

さて 移植ねぇ・・・・
ドナーになるかって?
ナイショ。。。。
日本人って なんか わりきれないところあるんですよね〜
死んだ人の身体にメスをいれるってね。
まして まだ動いている心臓を 脳死だからといわれて 諦めきれるか。。。
難しいなぁ〜
などと 思いました。
勇気ある人には 感謝 ですね。
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posted by うめのはな at 16:46| Comment(2) | 読書

2017年09月19日

Sちゃん

昔 小さな子供のころ 家には お弟子さんが住み込んでいて・・・
そのお弟子さんは 聞くところによると とても貧乏な家の子で 今でいうネぐレスト状態で ぐれていたとのことでした。
その子を 中学卒業と同時にひきとって 仕事を教え込んだのが父です。
母は わが子と同じように 食べ物も 衣服もわけへだてなく 面倒見たそうで 心をひらき真面目になったそうです。
私が まだ4~5歳のころにはすでに 働いていて 忙しい母のかわりに 何かにつけ わたしの面倒をみてくれたようです。
私も そのころの記憶があり 「Sちゃん Sちゃん」と 実の兄のようにまとわりついて いたようです。
その Sちゃんが 仕事を覚え 資格をとり いよいよ 独り立ちするために 大阪にいくことになったとき 私の悲しみといったら もう淋しく淋しくて べそをかいて 泣いたくらいです。
1年生くらいだったと 思います。

その後 別の住み込みの人が 入ってきたのですが あまりなじめませんでした。
一人は 女のひと「Yちゃん」といいましたが 1年ほどですぐ でていって 次に来たのが 男の人
この人は ちょっとこわくて なじめませんでした。
やはり Sちゃんが 一番だったと 思いました。

Sちゃんは 年に一度くらい 里帰りみたいに我が家を訪ねてきていましたが いつも学校に行っていて会えなかったです。
そして 間もなく 結婚するという 話をきいて 家族が増えたみたいに 嬉しかったです。
「もう少し 大きくなったら 天神祭りに 遊びにおいで」と手紙で 言ってくれたのを 覚えています。

父のことは 「先生 先生」と言っていましたが 母のことは 「おかぁさん」と言っていたかな・・
母の葬儀には ちゃんとやってきて 泊っていきました。
母の恩は 忘れていなかったようです。
その葬儀のとき 兄たちと話をしているそばに行き 
もう何十年ぶりかにあった Sちゃんに
「私の こと覚えてる?」って 聞いたら・・・
「ぜんぜん 覚えてへんわ・・・妹 いたっけ・・」

この一言で ショック!!
百年の恋も覚めてしまった 感じがしました。
私の 初恋ともいうべき 思い出はいったいなんだったのだろうか・・・・。
バカみたい。。。

その後「先生」と言っていた 父の葬儀にもやってきたようですが 挨拶だけですぐ帰ったようで 私は 顔を合わせることもなかったです。
そんなものですね〜
人生は。。。。
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 09:51| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月18日

渋谷川

真夜中に台風が通過したらしく 何度か防災メールで 竜巻注意報が入って そのたびに目が覚めた。
風も雨もそれなりに 強かったみたいだけど 東京はまだ 台風の中心から離れているのでそう心配することもなかったです。
「ゲリラ豪雨」と呼ばれる集中豪雨に見舞われると しばしば冠水の被害に遭う場所もあります。
最近は 地下放水路や貯水池などが できたせいで 以前ほど多くはありません。
東京渋谷は巨大なすり鉢の谷底に位置していて 地下鉄が3階にあるという不自然な駅なのです。
ここには 昔 渋谷川が流れていて 東京オリンピックのため暗渠になったそうです。

渋谷駅周辺の地下に川が流れているのは広く知られていますが 2013年に取り壊された「東急百貨店東横店東館」は渋谷川の上に建っており、そのため地下階がありませんでした。
東口再開発工事で 2017年度には 暗渠化されていた渋谷川が 「渋谷川賑わいの広場」および「渋谷川沿い緑の遊歩道」として、生まれ変わります。
水辺の少ない渋谷エリアに、暗渠化されていた渋谷川が新たに復活するわけです。
同時に 4000トンの地下貯留槽が造られ 水害に屈しない町になります。

渋谷川には支流もあります。
渋谷駅東口地下を流れる渋谷川に注ぐ川、宇田川は 地名になっています。
すべてが 暗渠化されていて その名残はありません。
井の頭通りの下に宇田川が流れているために、地下フロア同士の連絡通路のない西武デパートA館B館です。

小田急線参宮橋〜代々木八幡駅間にある"春の小川記念碑"があります。(東京都渋谷区代々木5丁目)
先日 火災で小田急線が立ち往生した場所の近くです。
「春の小川は、作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一のコンビによる日本の童謡・唱歌。1912年発表。 高野辰之が当時住んでいた東
京府豊多摩郡代々幡村(現在の渋谷区代々木)周辺を流れる河骨川の情景を歌ったものとされている。」

代々木5丁目は1212年(建暦2年)創建の代々木八幡神社を擁する代々木八幡山と代々木公園部分に挟まれた谷で、付近はかつて代々木九十九谷と言われたほど深い谷でした。
この谷を流れていた"春の小川"は、河骨川(こうほねがわ)と言う名の川でした。
河骨川は高台の初台から代々木5丁目を通って富ヶ谷へ抜ける短い川で水源は初台近辺の湧水。

初台といえば その昔 山手通り沿いにNTVの稽古場があって 週3回は通っていました。
懐かしい場所です。
参宮橋からも歩けましたので あのあたりをうろうろ歩きましたが いかにも川の跡というような道もありました。
今は 高級住宅地・・というか マンションが立ち並んでいます。

河骨川は渋谷川の支流である宇田川に合流していました。
渋谷川は、元々、新宿御苑に水源を持ち、渋谷区・港区内(港区内は「古川」と呼ぶ。)を流れていました。

渋谷川についての PDFは こちらです。

春の小川・・・のどかな風景はどこか 地方の情景ではなく 代々木だったのですね〜
代々木八幡駅なんて 安倍総理も住む  高級住宅地です。
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 15:49| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月17日

竹むら 

竹むら(たけむら)は、アニメ『ラブライブ!』 - 主人公・高坂穂乃果の実家「穂むら」として 登場したお店です。
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竹むら 東京都千代田区神田須田町一丁目19番地
東京都選定歴史的建造物
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昭和5年(1930)竣工し創業。作家池波正太郎も通ったことで知られる甘味の老舗。
入母屋造りで2階の欄干に竹と梅模様が彫られ、軒下に木製の提灯があります。
外観は屋根と庇で4層に見える。
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甘味処、和菓子店。揚げ饅頭が有名。
ここは 何年か前に 行きました。
最近は アニメ人気で 「聖地」となっているそうです。
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中も 凝ったつくりで 障子の飾りが みどころです。
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あげまんじゅうは売り切れてしてしまう人気のメニューです。
もちろん 食べました!美味しかったです。
タグ:歴史 グルメ
posted by うめのはな at 08:36| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月16日

いせ源

明治の頃 神田万世橋駅があった周辺は交通の要所であり 賑わったところです。
昭和3年まで 神田青果市場があり 老舗の飲食店が多く 今も古い歴史ある建物が残っています。
昔ながらの情緒漂う いせ源 もそのひとつです。
入母屋造りと2階の欄干に施された、菱形模様の彫りが特徴。
 「 かんだやぶそば」、「竹むら」、「まつや」、「ぼたん」などとともに奇跡的に戦災から焼け残り、連雀町といわれた地域です。
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あんこう鍋 いせ源本館 東京都選定歴史的建造物
千代田区神田須田町1-11
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都内で唯一のあんこう料理専門店
昭和7年(1937)の竣工で「いせ源」は、徳川14代将軍家斉の治世、天保元年(1830)の創業。
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木製の看板は建築当時から使用(平成8年補修済)しているもの
多くのお客様に食してもらいたいと虫食い舟板板を使用
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中林梧竹氏氏による書 明治37年頃の寄贈品
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内部は 故郷の家に来たような なつかしいような そんな 感じ。
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約80年に亘り この店を守っている 神棚。
天井の趣向が 目をひきます。
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いせ源 本館 写真とともに。
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階段を上ると 江戸情緒溢れる入れ込み座敷です。
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東京都選定歴史的建造物に選定されているだけあって 造りを見るだけでも楽しい。
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老舗だけあって いつも行列なんですが ランチもあって お手軽に食べることもできます。
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情緒ある 景色。タイムスリップした気分。
すだれの 向こうは・・・・
「竹むら」さん です。

タグ:歴史 グルメ
posted by うめのはな at 13:35| Comment(0) | 千代田区

2017年09月15日

Jアラート

Jアラートって まだ 聞いたことはないのですが・・・
緊急地震速報も すごく驚くので いきなり 鳴ったら ビビりますよねぇ〜
どうしたら いいのか 一瞬 頭真っ白になりそう。

緊急地震速報は すぐTVつけます。
でも たいてい揺れてから 鳴るので それなりに ああ、大きい!とか このくらいなら・・とか 自分の体験から どうすればいいか わりと 判断がつきます。
直下型だと 未経験ですが。。。

Jアラートなったら 屋内とか地下に行け・・って いったって 畑の真ん中にいる人はどうしようもないし 他人の建物に逃げ込むわけにもいかないし、そもそも 田舎に地下なんてない どうすりゃいいのさ!って こと 言っていた人いました。
ほんとうだね・・・私は 家にいて TV見るな。たぶん 地下にはいかない。
出かけていたら その辺の 地下街か 地下鉄か ビルに入るしかなでしょうね。

それに 鳴ったときは もう通過してるんでしょ?
数分でどうすりゃいいのか 瞬時に決断できる人って すくないと思います。
まず え?と 思って端末とか見ます。
えーーー!!って 一時 ぽかんとして 次の行動が わからなくなるかも。
で、きっと 周り見て 同じ行動 とるかも。
そして あわてて 怪我したり 殺到した場所で 倒れたり 取り残されたり。
ああ〜〜いやだ いやだ。

空みあげて 来るのかなぁ・・・って しばし 観察する人もいるかもしれません。
人間そんなものです。

このJアラートもあまり頻繁に鳴ると そのうち「オオカミ少年」みたいになってしまうかも。
慣れというのは おそろしい・・・・

とにかく ミサイルが飛ぶってこと事態 異常なことだし
平時じゃなくなるんだろうけど
だからといって どうしようもないし
せいぜい 遺憾の意 で 抗議するしかないのかしらね〜
遺憾の意は 聞き飽きた。。。。。。
他に 手だてはないものか・・・・・・
無力やな〜〜〜
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 09:39| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月14日

自転車保険

自転車の事故が多くなっています。
名古屋市は、10月1日から市内で自転車を利用する人に対して、損害賠償保険への加入を義務付ける。というニュースがありました。
市内通過者も義務化だそうです。
同様の条例は兵庫県や大阪府などでも施行されており、罰則はない。

今まで 自治体の 交通事故共済保険に入っていたのだけれど 保障が1000万しか ないものです。
掛け金は 安いのですけれど・・・ちょっと これじゃ ダメかなぁ〜って 思いました。

いろいろな事例を見ると 高額の保証が必要なことがわかります。
自分のことより 相手への万一の時の 保障ですよね〜
それで 別の 保険に入ることにしました。

1か月140円で1億。 家族全員の保障がつくなら 安心料でもいいかもね。
むろん 事故などないほうがいいのですが・・・
こればかりは どこで災難があるかわからないものです。

そのうち 全国的に自賠責保険のように 義務化するのかしら・・・。
大阪などは 義務化だそうですが 東京はまだ 努力義務だそうです。
罰則がないので 大阪でも 加入しているのは 半数くらいだそうですけど・・・

そのうち 自転車は完全 車道走行。
ヘルメット着用。
運転許可制。なんて ことになるかもね〜〜〜〜。

タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 15:38| Comment(2) | エトセトラ