2018年01月03日

赤ちゃん

今日は 小さなお客様。
しかし・・
赤ちゃんの 小さな体のパワーはすごいです。
手足 体 口 休まず動く。
寝ている時だけ 手足は休みますが 起きているときは パタパタ ピョンピョンと 動いています。
そのエネルギーは 大変なものです。
asi.JPG
泣いたり 笑ったり 声をあげたり・・・
意思表示が すごいことすごいこと。
喋れなくても 要求はちゃんとする。
そのパワーは 大人もたじたじ。

大人は 絶対服従のシモベとなるのです。
誰でも そうだったでしょうが
自分では わからない。

赤ちゃんのパワーとエネルギーには どんな大人も 負けますな〜
負けないのは やはり母親ですかね・・・

他は 完全にシモベです・・・・
少し エネルギーを貰いたいくらいです。
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posted by うめのはな at 21:07| Comment(0) | エトセトラ

2018年01月02日

正月2日目

今日は快晴で 朝 富士山の白い山頂部分が見えました。
年々 見難くなっていて・・今や 半分くらいしか見えません。
高いビルが どんどん建ったからです。

いい天気で 暖かいです。

朝から どこからか
「とぉしの はじめの ためしとて〜♪」なる音楽が聞こえてきたり
「君が代」が 聞こえてきたり・・・

どこかで 年頭の集会やっていたのだろうか。。。
ホテルもあるし 公園もあるし 企業もあるし 学校もあるし
どこからなのかは わかりません。

たまに 救急車のサイレンも聞こえますし
ヘリの飛ぶ音も聞こえました。

車の音は意外と しないのです。
人の声も 工事の音も 聞こえず 静かなお正月です。

宝くじも 年賀状も お年玉も 何もなく
のんびり いつも通りでした。
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posted by うめのはな at 21:10| Comment(0) | エトセトラ

2018年01月01日

元旦

新年 おめでとう ございます。
今年も みな健康で すごせますように。
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平成三十年 元旦   戊戌 (つちのえいぬ)
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posted by うめのはな at 18:24| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月31日

大晦日

大晦日。
今日は 曇り。
昨日までは日差しがあって ぽかぽか暖かかったのですが 今日は寒いです。
(追記:午前9時すぎに 雪が舞っていました。東京の初雪だそうです)
来客もなく することも 予定もなく 今日はのんびり。
こんな日は 一日 「こたつむり」

大晦日と言えば 実家の福井は 寺が多いところですので 除夜の鐘が聞こえました。
紅白が終わり 「行く年 来る年」になると
近くの寺の 除夜の鐘が 響いてきました。
それが ひとつじゃなく あちこちの寺から・・・
でも 数軒先の寺の鐘の音が 一番大きく しかも 重量感がある鐘の音でした。
「ごぉ〜〜〜〜〜ん ごぉ〜〜〜〜ん」って なんというか 心にしみる音色で
物悲しくも思えたり 荘厳にも聞こえたりで
心ひとつで 感じ方が違うような気がしました。
除夜の鐘ってのは どこでもどこにいても 聞こえるものかと 思っていましたが
そうじゃなかったようです。

都会に出てから 除夜の鐘なんて 聞いたことがありませんでした。
赤坂や 大岡山じゃねぇ・・・
東京の喧騒の中では 聞こえにくいのかも。
寺が近くになかったのかもしれません。

千葉県の新興住宅地いたときは 地元の寺なのか 貧相な きーんこーーんというような 軽い鐘の音で 残念でした。

大田区にいたときは 池上本門寺の荘厳な鐘の音が 静かに 響き渡っていました。
ここは・・・
どうなのかなぁ〜
もう10年以上住んでいますが 意識して聴いたことがないです。
高気密防音サッシで 外の音が遮断されるからです。
でも 家族によれば 聞こえてくるそうです。
どこの寺なのかもよくわかりません。

今夜は 耳をすませて聞いてみようかな・・・

田舎の あの 荘厳な 除夜の鐘の音が なつかしいです。
みなさん 
よいお年をお迎えください。

来年が いい年でありますように。
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posted by うめのはな at 08:32| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月30日

父の思い出

父はいわゆる 頑固者でした。
しかし 自分に甘いところも 多々あったようです。

私が 5才くらいまでは 体が弱かったこともあって とても可愛がってくれたようです。
風呂にもいれてくれたり あぐらの中に入って くつろいだりしていた記憶もあります。
雪が降って 子供たちが雪遊びをしているのを見て 
私も 雪にさわりたいといったのだと 思いますが
外に出られない私のために 弟子に屋根のきれいな雪を持ってこさせたのを 覚えています。
過保護だねぇ〜

でも 学校に行くようになると もう関心はなくなったようです。
年の離れた兄を一人前にすることだけが 生きがいのようで
女なんぞ いずれ出ていくから 必用ない・・って ことでしょうか。
その態度があからさまで いやでした。

犬を飼って 欲しいといっても
「客商売に動物は御法度」って 却下。
新しい ハーモニカが欲しいといっても
「兄のお古がまだ使える」
あれも これも ダメダメダメでした。

あと継ぎの兄だけが 大事という感じで 二番目の兄もそう感じていたようです。
後に二番目の兄が
「俺は 父親に何かしてもらった記憶がない・・」といったのを聞きました。

そんな 父でしたが 内孫が生まれたら やはり メロメロでして・・
私はそのときまだ 家に住んでいたのですが
うまれたばかりの赤ん坊に 私の目の前で
「じいちゃんのものはぜーーんぶ xxちゃんにあげるからな。誰にもやらない」っていいました。
別に 私は 何か欲しいわけでもないのですが
これみよがしに言われて いい感じはしませんでした。

もう猫かわいがりというか じじバカというか 絵本を毎晩読み聞かせ ごはんを食べさせ 散歩に連れていき
イクジジになってしまいました。
仕事が忙しくて 私が抱っこしてxxちゃんの面倒みていて 泣くと 大声で
「泣かせるな!!」って どなりつけました。
わざと 泣かしているわけでもないのに そんな風に言われました。
あんなにダメといっていた ペットも飼いました。

私を見る目は もう
はやく家を出ていけ・・・でしたね。
「あまり勉強ができると 嫁の貰い手がなくなる」といって
勉強するのをいやがり 9時には就寝でした。

二番目の兄は 高校卒業後 関西ではなく 遠くの 東京に行きました。
めったに帰省しなくなりました。
その気持ちがよくわかりました。

内孫が大事で 外孫は所詮 別の家のもの・・・って気持ちだったのでしょう。
外孫が生まれてもその 赤ちゃんにむかって
「xxちゃんに悪いから 俺は 絶対抱っこはしない」と宣言しました。
あほかいな・・って 思いましたね〜

そんなに大事にした 内孫に見向きもされなくなり
ようやく 他の孫にすり寄るって 感じでしたかね〜
思えば 身勝手な人だなぁーーって 思います。

しかし 晩年は おもうようにはいかなかったようで
母が先になくなり その介護は全部父がやりましたが
自分はといえば
病院に入れられ 施設に入れられで 家で介護をうけることはできませんでした。
見舞いは行きましたが 私も 介護には行きませんでした。

家を大事にし 家を守り 死ぬときは 家で死にたいといっていましたが
亡くなったのは 病院。
心臓発作で倒れて ペースメーカー入れて はやく家に帰りたいと嘆いていましたが
結局 一度も帰宅することなく
病院で一人亡くなりました。
ペースメーカーだけが 動いていて
朝まで 誰にも気づかれずに。。。。

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posted by うめのはな at 09:44| Comment(2) | エトセトラ

2017年12月29日

祖母

活花の話の続きになります。
祖父の名が 代々 平助 で受け継がれてきたという話をしましたが これは 何代前からなのかわかりませんし 本名なのかどうかも知りません。
なぜなら 私が生まれた時には 祖父はなくなっていたからです。
父方の祖父母は いませんでした。
戦争で亡くなったのか どうかも知りません。

古文書に記されていた
○○平助 殿 という名は たしかに我が家の 代々受け継がれてきた 姓名です。
父方の祖父母のことは 今まで 聞くこともなく 父から話をすることもなかったので どんな人物だったかはわかりません。
折り合いがよくなかったらしく 話すのをいやがっていたのは 確かです。
墓参りは ちゃんとしていたようです。

叔父もなくなっているので 詳細は不明です。

私には 一人だけ 祖母がいました。
母方の祖母。
祖父は 戦争でなくなったそうです。
若い未亡人で 相当苦労をしたようです。

思えば・・・
何かにつけ 母の手助けに来ていたので 母がひと月ほど 東京に行っていたときは 祖母が来て面倒をみてくれたのだと思います。
祖母は 苦労したせいか みかけより年寄で しわしわでした。
いつも 縫物などしていたようです。

某お寺の 縁日には 電車に乗ってやってきて お参りのあと 必ず 水あめを買ってきてくれました。
棒につけた2本の水あめを くるくるまわして 茶色が白くなったころ 食べます。
これが 香ばしい香りのする 米飴でした。

酒粕に水あめを挟んだものも 買ってきてくれました。
これは 大人の好物でした。

可愛い子ではなかった 私は よく この祖母と 衝突しました。
祖母も負けてはいなくて 言い返すので 最後には
「くそばばーー はやく帰れ!」って 捨て台詞でした。
いうべき言葉じゃなかったです。
猛烈に 反省です・・・・・
祖母は だまって 知らぬふりしていたようです。

その祖母が なくなったのはたしか 私が 中学生のときでした。
なんとなく 寂しくて それでも 口にだせなくて
母に
「ばぁちゃんいなくなって 淋しいか?」って 聞きました。
本当は 自分がさみしいくせにね・・・

年に何度かは お墓参りに行っていましたが
福井を離れてからは とんと 行っていません。
いとこの代になり 付き合いもさほどなくなりました。

たった一人だけでしたが
祖母との思い出があって よかったです。
posted by うめのはな at 08:56| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月28日

懐かしい味

子供の頃の お正月の思い出は 寝正月 しかありません。
なぜなら 大晦日は仕事が忙しくて 明け方までみな 働いていたので 正月1日の午前中は みな 寝ているのです。
私や兄たちのために 母は起きて 朝食のしたくをするのですが とても疲れていて眠そうな姿でした。
みな 寝ているので 静かに 静かに すごすのです。
部屋も電気を消しています。
外は寒いし 居場所がなくて 困りました。
じっとしているのが 辛い朝でした。

昼過ぎになると すこしずつ起きだしてきて 昼ご飯ですが たいてい お雑煮でした。
福井のお雑煮は 鰹だしのきいた 薄味のお醤油のすまし汁にお餅をいれて 鰹ぶしをかけるくらいの簡単なものです。
そういうものしか食べてこなかったので ごちゃごちゃいろいろな野菜が入っているような お雑煮は好きではありませんし
最初は カルチャーショックを受けました。
それまで お雑煮とはシンプルなものだと思っていたからです。

お雑煮と 何日かかけて コトコト煮た 煮豆。
そして 寒鱈の煮たもの。これは もう佃煮のように固く カチカチの保存食です。
これ大好きでした。
そして タコやなまこの酢の物。
かまぼことか 普通のものもありました。

一番 好きなのが ナトミソ。(なっとう味噌というかもしれません)
どうやってつくるのかは 教えてもらわなかったので知りませんが
なすのからし漬け というのが正式な名らしいです。
ナスを麹とからしであえてあるもの。
ごはんが進みます。

もうひとつは たくわんの煮もの。
これが まぁ〜意外と美味しいのです。
たくわんを 薄く5mmくらいに切って ことことかつおだしのきいた 醤油で煮るのです。
たくわんは 柔らかくなって 口の中でほわほわして 美味しいです。
これは 田舎料理の知恵ですね。
どれも なつかしい
もう一度食べてみたい 母の味です。

きっと 忙しい中 今頃から準備したのでしょうね。
もう 28日です。
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posted by うめのはな at 09:05| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月27日

活花の話

年末が 忙しい理由の一つが 活花なのです。
年末 祭事 などの行事には 集会所 社務所などの 地区の会館に 活花をするのが 父の役目でした。
お花の 資格をもっているので ボランティアで 活けてあげるのです。
年に何回かはそういう 役目がありました。

ほんの3~4歳の頃から 父の活花のお勉強の会場に連れていかれました。
もちろん 子供ですから 見て 遊んでいるだけでしたが
お花より お菓子をもらえるのが うれしくて いつもついていきました。
お茶の修行もするので お菓子がもらえたのです。

少し大きくなって いざ 正座して学ぶというときになって
すごく つまらなく思えて 気はそぞろ 学ぶという気持ちにはなりませんでした。
とにかく 正座というのが とても辛かったです。
一応 基本だけは 今でも覚えていますが
それ以上にも それ以下にもならなかったようです。

中学生くらいのときには 師匠(父)がお話をしている最中 「あくび」をした という理由で
「クビ」になりました。
父も こいつはダメだ・・・と見限っていたようです。
修行から 解放されて とてもうれしかったのを 覚えています。

別に お花の師匠で身をたてるわけでもなく 力をいれて学ぼうという気持ちはなかったです。
まぁ たしなみ程度に 学んだかなぁ・・って くらいです。

なぜか 花嫁修業の たしなみのひとつのようで
お花を習う子は 多かったようです。
中には 上級のお免状をとったりして 「ホホホホ・・」って子もいました。
着物着て しなしな・・と歩く姿に 
「おまえの 普段を知っているんだぞーー」と心の中で笑っていたりしてね。

「はじさらし」の 典型ですな〜私は・・・

それでも
父はなくなる 何年か前に
「花伝書」という とても古い 書物を数冊 くれました。
黄ばんで 汚いものです。
「花伝書」を読みましたが 花のことだけではなく
生き方そのものが 書かれていました。
もしかしたら お花の修行は 生き方の修行だったのかも・・と
その時は 思ったものです。
今でも 大切にしています。

ちなみに
いろいろ資料を調べていたら

「活花定式」
池坊專定著

というのが あることがわかりました。

奥書: 文化八未年正月 洛陽六角堂 池坊專定(花押・印) ○○平助殿
という のがあるらしい。
文化8年は 1811年です。
池坊專定さんが 平助さんに贈ったもの・・ってことですかね。
(○○は 我が家の 実家の名字ですが ここでは 伏字にします。)

この ○○平助 というのは 祖父の名で その名は代々 同じ平助で受け継がれてきたということです。
父は次男で 平助の名を継ぎませんでした。長男の 叔父は書家になってしまい 平助の名は継ませんでした。
この 平助が何ものかは 存じませんが 少なくとも 活花と昔から 縁はあったようです。
祖父で 平助は 終わってしまいましたが
きっと 違うすじの 人が 何かを受け継いでいるに違いない。。。。と 思いましょ!
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posted by うめのはな at 09:28| Comment(2) | エトセトラ

2017年12月26日

年末の集金

実家では 子供の頃ですが 商売のほかにも 諸事情で忙しくて 猫の手も借りたいくらいでした。

私は 猫の手よりは少し ましなようで 集金にまわらされました。
これが とても いやで 逃げたいくらいでしたが そうは行きませんでした。
とにかく 田舎では「ツケ」なる習慣があって 月末に 請求書を届け 集金に行くのです。
何も大金じゃ あるまいし たかが数千円のこと 「ツケ」にしなくてもいいかと思うのですが
それは習慣でかなりの家が 「ツケ」でした。
サラリーマンの家は そうじゃなかったようです。
これはきっと
「おまえのところを儲けさせている証拠なのだから うちにも買いにこいよ」という 脅しのようなものなのではないかと思ったくらいです。

私は 愛想がいいわけではなく 可愛げのない 娘でしたので 集金にいったからとて
何か おべんちゃらを言うわけでもなく ただ集金にきたことを伝え お金を受け取り 領収書を書く。
ただそれだけでした。
母なら 一言 二言 愛想をいい 長話もしたのでしょうが・・・
相手も心得たもので すんなりお金を渡し
「ごくろうさん。えらいね〜」くらいで 解放してくれました。

とにかく いやだったのです。
集金をすることそのものがいやで 請求書をポストにいれるのはいやじゃなかったです。
田舎のおばはんどもの相手するのも 品定めされるのも 話するのもいやでした。
きっと
「親に似ず 不愛想な子」という 評判だったに違いないです。

わざわざ家に電話して 「○ちゃんが 集金に来ているけど 払って大丈夫かね?」と確認した人もいたらしいです。
そりゃ〜子供に集金させる親が悪いです。
私は何も悪くなかったです。だから いやだったのです。
私は あくまでも 猫の手でいることにしました・・・・

おこずかいをためて お金をつくり 町の電気やで 念願の品を買いに行ったとき
家に 通報されました。
「○ちゃんが高価なもの 買いにきたけど 売って大丈夫?」ってね。
それ以来 買い物は 福井に出て 大型店で買うことにしました。

そちらが 信用しないなら こちらも信用するか!って 感じ。
おせっかいな 人が たくさんいました。

私のような はぐれ娘には 息苦しい町でした。
義理と人情と 妬みと おせっかいが 蔓延していたように感じます。

しかし
年末の 寒い日の集金は 本当にいやだったです。
天気がわるくて ぐしょぐしょ・・・

今日も快晴。
暖かな日差し。

これだけでも 東京に住んでいる価値がある。。。。。
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posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月25日

餅つき

クリスマスが終わると あとはもう お正月の準備です。
子供の頃は 自宅で餅つきをしました。

家族総出 そして近くの親戚も参加して 2軒分のお餅をつきました。
場所は 中庭。
狭いですが そこに臼を置いて 餅つきをしました。
蒸しあがった もち米を 臼に入れて 父や若い衆が 餅をつきました。
女子供は 出来上がった餅を 丸めて並べます。
全員参加の 楽しい餅つきでした。
待ち切れず 少しお餅をもらって 大根おろしや 砂糖醤油 黄な粉 で食べました。
出来立てで 柔らかくて とっても美味しかったのを 覚えています。
私は 最後に作る 黒豆入りの 餅。
干して 「かきもち」 となるのが 大好きでした。

そのうち 若い衆がいなくなり 父一人では 餅がつけなくなり
こんどは 親戚の家に場所を移して 餅つきをやりました。

しばらくして 年末は仕事が 忙しくて そんな暇がなくなり 餅つきは 終了。
そして 餅つき器が かわりに餅をつくってくれました。
なんとなく
わびしかったです。
餅が欲しいのではなく 
あの にぎやかな そして家族が一体になって わいわい 笑顔で餅つきをするのが よかったのだと思います。

その 餅つき器も お蔵入りとなり
餅やに 注文して 買うようになり・・・
今じゃ 餅を食べる人も いなくて
食べる分だけ スーパーで買う・
こんな 風に変わっていきました。

私のところは やはり食べる分だけ
切餅買ってたべます。
正月だから・・ではなく 今じゃ年中 買えるので 欲しいときに買います。

実家のほうでも 自宅で餅つきする家は ないみたいです。
日本の伝統文化もだんだんなくなっていきそう。
地方の人が ちゃんと 伝えていってくれるのを 期待しましょうか・・・
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posted by うめのはな at 08:57| Comment(0) | エトセトラ