2017年04月28日

東尋坊

海岸沿いを車で走ると 東尋坊への入口の近くで ポツンと建つ まわりとは異質な建物を見かけました。
となりの空き地に 車を止めてこの建物をみることにしました。
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内田惣右衛門記念館    福井県坂井市三国町安島
門が閉じられて 開館していませんでした。
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自然豊かな まわりにそぐわない ド派手な洋風建築でちょっとしたショックを受けました。
バロック様式の洋館の前に 菱垣廻船と銅像  仏像みたいなものやら 置かれていて それも新しく作ったものばかりで 調和がないというか・・・・成金趣味にしか見えませんでした。
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調べてみると 内田家は江戸時代に北前船の海運業で福井藩を潤した三国の代表的な廻船問屋で、飢饉のたびに出費をして町の窮民救済に貢献したとか・・・
この記念館が いつ建ったのかは知りませんが 華美を嫌う惣右衛門の意を重んじて、現在の当主によって閉館となっているそうです。なるほど そういうことですか。。。。
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東尋坊です。
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ちょっと見物していきましょうか・・・
手前の手すりは 観光船乗り場への階段。
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雄島が見えます。
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子供の頃は もっとすごく感じたのですが 観光化されて 歩きやすくなっていたり岩場近くまで 店があったりして 怖いという感じは薄れました。
いいのか 悪いのか・・・・どうでしょ?
タグ:観光 福井
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2017年04月27日

丸岡藩 砲台跡

福井県坂井市三国町の梶にある丸岡藩砲台跡に行きました。
梶台場(かじだいば)ともいう。国の史跡に指定されています。
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駐車場に車を止めて 松林を海岸のほうに下りていきます。
せっかくの説明板の文字が 見えない・・・
人もいなかったし あまり訪れる人はいないのだろうか。。。
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駐車場から松林を下ると 海が見えます。
ほぉ〜っと いう瞬間です。
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もう少し下ると 松の間に それらしきものが見えました。
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幕末の嘉永5年(1852年)、丸岡藩の砲術家栗原源左衛門によって作られた砲台の跡。
欧米列強が鎖国下の日本に来航し、開国を迫っていた頃、江戸幕府から全国諸藩に海岸を警備するよう命があり、1852年丸岡藩が建設した砲台跡です。
ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航する前年のことです。
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当時の形をよくとどめていることは全国的にみても大変稀であり、国の指定史跡になっています。
丸岡藩では後に藩主・有馬道純自らが西洋流砲術家の江川太郎左衛門に入門している。また藩士も大野藩の学問所「洋学館」に砲術修業のため入学している。
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弓状に築かれた土塁には5ヶ所の砲眼といわれる大砲を備える窪みが設けられています。
高さ1.8m、長さ33mの石垣でつくられた胸墻に5つの砲眼を設けている。
組まれた岩の下部に文字が彫られ、嘉永五年(1852)2月、高島秋帆の門人と伝えられる栗原源左衛門の設計で築造と書かれています。
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砲台は、丸岡藩が沿岸警備のために坂井市三国町梶の東方に突出した海岸部に建設したもので 景色がいいです。
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右手には浜地・波松そして石川へと続く海岸線がみえます。
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左は越前松島方面です。
砲台跡を見に来る人はいないのか わからないですが 人がいない・・・
ろくな説明板もなく 案内もないし 景色はいいのに忘れられた場所 という感じです。
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目の前に広がる 日本海。
今も昔も警備の要でしょう。
昨今の脅威はありますが この時は 波穏やかな豊饒の日本海が広がっていました。

下りた分だけ 戻りは上って・・・一苦労しました。
タグ:歴史 観光 福井
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2017年04月26日

霞ヶ城公園 

1979年に築城400年を記念して、整備され造られた日本庭園式の霞ケ城公園(丸岡城公園)は 歴史的・文化的資源を有効に活用している公園として、「日本の歴史公園百選」に選ばれています。
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眺望もよく 春は桜とともに楽しめます。
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丸岡城を取り囲む内堀は明治時代には埋め立てられ、道路になっていますが外堀は用水路となり、今も町のあちこちにその面影が残っています。
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春は桜やみどり、秋は紅葉が美しいです。
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公園内には 明治・大正期に活躍した郷土の偉人や名士の碑などがあります。
これは お地蔵さまらしき祠。
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天守台を取り囲む桜とともに 道を下って行きます。
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桜がきれいです。
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振り向けば 花の霞に浮立つ古城かな・・・

城はいろいろ見てきましたが やはり本物の木造の古城は 長い歴史の重さとともに何か胸に迫るものがありました。
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2017年04月25日

丸岡城 雲の井龍神

丸岡城天守台のまわりは 見晴らしのいい高台です。
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天守台の下にある 一筆啓上 の石碑です。
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一筆啓上石碑
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った手紙として有名です。「お仙」とは後の丸岡城主本多成重(初代丸岡藩主 幼名:仙千代)のことです。この石碑が縁で、日本一短い手紙文の一筆啓上賞の起こりとなりました。
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丸岡城八幡神社
祭神:誉田別命・息長帯姫命・比盗_
本社は丸岡城内鎮守社として築城以来此の地に奉斉せられたもので古図にも明示される処である。
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築城以来この地にあった城の鎮守社です。
明治の廃藩後城郭の荒廃に伴い自然社も衰退し 僅かに地元の有志の信徒達が祭礼を続けていたそうです。
丸岡城天守再建の際に、この神社も再建されました。
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天守台の南西の井戸「雲の井」
この井戸「雲の井」のあたりは福井大震災のときでもくずれなかったといわれている。
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「一揆の残党が攻撃をしかけても、井戸のなかから大蛇があらわれて、城に霞をかけて危機を救った」。
別名 「霞ヶ城」と言われる 所以である。
この大蛇を「雲井龍神」という。ちかくに祠があり、かたわらに碑文がある。
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雲井龍神の祠
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雲井龍神 碑文
古老傳ヘテ曰ク 丸岡城ノ巽ノ隅ニ雲ノ井アリ 傍ニ小祠アリ 城主有馬侯勝利ノ守神トシテ祀ラレシ所ナリト 今ヤソノ荒レタルヲナゲキ 人々力ヲ合セテ之ヲ再興セリ
昭和四十年秋 東大名誉教授 文学博士 平泉澄

福井県勝山市に平泉寺白山神社があります。苔寺といわれる神秘的な 美しい寺です。
平泉澄は、この白山神社の神職の家に生まれた人です。
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2017年04月24日

丸岡城 人柱お静の伝説

当時は 五角形の広い内濠に囲まれた中に本丸や二の丸がありましたが 堀も大部分埋め立てられ、小高い丘の上に天守台と石垣だけが残っているだけです。
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現在天守の鯱は 木造の銅板張りの鯱です。
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福井震災前の石製の鯱
福井震災で落下した笏谷石の鯱が 現在天守閣登り口の階段脇にあります。
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もともとは 木彫り銅板張りの鯱でしたが 戦時中銅板の入手が困難だったため 石製鯱に改めました。
福井地震で落下後 昭和の修復時にもとの 木彫り銅板張りに復元しました。
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子供の頃に 聞かされた お城にまつわる伝説があります。
丸岡城 伝説「人柱お静」です。
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お静慰霊碑があります。その脇には 説明板。
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伝説 「人柱 お静」
柴田勝家の甥、柴田勝豊が天正4年(1576)に丸岡城を築城の際、天守閣の石垣が何度積んでも崩れるので人柱を入れるように進言する者がいました。そしてその人柱に選ばれたのが、二人の子をかかえて苦しい生活をしていた片目のお静でした。 お静は、ひとりの子を侍に取り立ててもらうことを約束に、人柱になることを決意し、天守閣の中柱の下に埋められてしまいました。
それからほどなくして、天守閣は立派に完成しましたが、柴田勝豊は他に移封され、お静の子は侍にしてもらえませんでした。
お静の霊はこれを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをやる卯月のころになると、春雨で堀には水があふれ、人々は"お静の涙雨"と呼び小さな墓をたてて霊をなぐさめました。
「堀の藻刈りに降る雨は、いとしお静の血の涙」という俗謡が伝えられています。
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今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)4月15〜17日は、天候に恵まれることが少なく、お静の涙雨 という話を聞きます。
今年も 雨降った・・・・そうな。
タグ:歴史 観光 福井
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2017年04月23日

丸岡城天守

桜の花の中に 浮かんでいるような 丸岡城です。
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安土桃山時代に建造されたと推定される天守は重要文化財に指定されています。
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丸岡城天守  丸岡城の天守は、全国で現存する12基の天守で最も古い。
別名霞ヶ城
城郭構造連郭式平山城
天守構造独立式望楼型 2重3階(建造年不明 木造 現存)
遺 構:曲輪、天守、移築門、石垣
築城主柴田勝豊
築城年天正4年(1576年)
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天守は、二層三階の初期望楼型独立式で、軒下や壁面が白木造りとなっている。
屋根は 珍しい石瓦で葺かれている。
約6000枚の瓦はすべて笏谷石(足羽山山麓から産出)1枚20〜60kg 屋根全体で120トンにもなります。
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内部に入ることができますが・・
この 急な石段だけで 諦めました。
とは言っても・・・子供の頃から何度か 内部に入ったことがあります。
天守内部の階段は、大変急な階段で 段差が高く 観光客のためなのか つかまるためのロープが備えられています。
2階ー3階の階段は、傾斜角約65度、段差がなんと27cm、踏面も最小で12.5cmしかない。
天守への石階段:約29度ですから 65度がどんなものか想像つきますね。
日本一 登りにくい階段かも。。。
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外観は二階建てに見えますが、内部は三階建て(二層三階)となっています。
最上階三階の望楼は、ふもとから約35mの高さで 坂井平野が一望できます。
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不規則な石組みで高度な技術が必要な野面積みの石垣。戦国期特有の建築構造の1つです。
野づら積み の石垣は、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。
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狭間(鉄砲穴)
天守の壁面に開けられた小さな小窓で、この穴から外敵に向かって石を投げ落としたり、鉄砲を撃ったりするところです。
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簡素な石落とし
天守閣の一階には石落としという狭間があり、石垣を登ってくる外敵に向かって、石を投げ落としたり、弓をや鉄砲を撃ったりする時に用いました。
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天守の最高階の天井の間には四方に窓があり、窓からの展望がよく 西方は日本海、三国の海岸まで見渡せます。
丸岡城内は戦国時代の特徴で 豪華さや優美さより、いたる所にある敵に対する備えを重視しています。
現在の天守は、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊した後、昭和30年(1955年)に部材を組みなおして修復再建されたものです。
タグ:歴史 観光 福井
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2017年04月22日

丸岡城 桜に浮かぶ霞ヶ城

越前 福井藩 丸岡城に行きました。
ちょうど桜が満開で 一番いい時でした。
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小学校の遠足で訪れたこともあるし 何度か遊びに来たことがある 城です。
別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。現在は天守のみ残る。 
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国宝 霞ヶ城   福井県坂井市丸岡町霞町1-59
1934年(昭和9年)1月30日 天守が国宝保存法(旧法)に基づく国宝に指定される。
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丸岡城天守閣を取り囲むようにソメイヨシノが植えられている公園は、日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」として整備されています。
1990年(平成2年) 「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されました。
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桜が満開の頃は、桜が作り出す霞の中に丸岡城が浮かんでいる幻想的な風景となります。
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天守閣をとりかこんでいる 坂道をぐるりとまわるように上っていきます。
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頭上を覆うように咲く 桜がきれいです。
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丸岡城は越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城されました。
丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。しかし、その度に、天守閣横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。
現在は 取り囲むように咲く さくらがまるで 霞のように見えます。
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2017年04月20日

三国運動公園

成田山福井別院は 小高い丘の上にあるのですがすぐ近くには 広大な三国運動公園があります。
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三国運動公園の桜を見に行きました。
遊戯施設、休養施設、管理施設、スポーツ施設、芝生広場などがある広大な公園です。
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施設のまわりには 桜の木が植えられていて 心和む場所です。
人がほとんどいないです。
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芝の手入れも大変だろう・・・と思えるサッカー場
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陸上競技場 立派な施設です。1周400m全天候型ウレタン舗装8コース
草むしりの 人が 一人仕事していました。
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このほかに テニス場 ゲートボール場 (屋内外) プール 野球場などもあります。
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運動公園は21.0ha
維持費がかかる上 稼働率が低いことが問題になっているそうです。
箱もの作るのはいいけれど 後の事考えないと 維持費がかかってしようがない 見本のようなものです。
まさに ワイズ‐スペンディング(wise spending) 賢い支出 を考えるべきですね。
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2017年04月19日

成田山福井別院の桜

境内には四国八十八か所の寺の砂が埋められている「四国霊場お砂踏み」などもあります。
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「四国霊場お砂踏み」では、周囲の台石に四国八十八箇所のお寺の砂が埋められており、順番に八十八カ所の砂を踏みながら歩くと、四国お遍路と同じご利益があると言われています。
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五鈷杵は 弘法大師が右手にお持ちの法具で 魔を払い、身を守る密教を代表する法具です。
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見晴台の桜が見事です。桜回廊。
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展望もいいです。
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坂井平野が一望できます。
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子安地蔵
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桜と池と可愛い地蔵さま
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境内にはもちろん 不動明王さまも・・・
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山のまわりに植えられている桜の木。桜の名所です。
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成田山 福井別院 九頭竜寺
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2017年04月18日

成田山福井別院

私が現在住んでいるのは 深川不動尊 成田山東京別院 の近くです。
生まれた場所 三国町にあるのも 成田山福井別院。
東京に来る前は 成田市の 成田山本山 近くの町に住んでいたので 何かと縁がある 成田山。
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北陸地方唯一の別院である「成田山福井別院九頭龍寺」です。
福井県坂井市三国町緑ヶ丘4-9-10
1958年に千葉県の成田山本山から本尊不動明王の分霊を迎え創建されました。
飛鳥時代の建築様式をいかした造りの本殿は朱色です。
福井県で1番、初詣参拝者が多く、特に三ヶ日には県内外から二十万人を超える人が参拝します。
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鐘楼。
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桜がきれいです。
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見晴らし台になっています。
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開運出世稲荷堂
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説明板
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境内の恵比須大黒堂  
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恵比寿天 大黒天
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2017年04月17日

旧三国北小学校の桜の木

私が通っていた 小学校は移転して取り壊されましたが 当時の桜の木はまだ残っています。
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現在 みくに文化未来館になっていますが その前は、130年の歴史を持つ三国北小学校がありました。
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歴代の卒業生たちが卒業の記念に植樹をしていったものですが 私が小学生の頃には すでに大きな桜の木でしたので 相当古いものだと思われます。緑の苔が 幹についていたり 花の密度も格段に薄くなったりで 老木という感じがします。
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桜の木の木陰で 遊びましたね〜
この場所にあった130年の伝統を誇る三国北小学校は、昭和29年から30年にかけて、当時県内では珍しい鉄筋コンクリート3階建ての立派な校舎や体育館などがありました。
先端をいった施設え県内外から多くの人が視察に訪れたそうです。
当時では珍しい 水洗トイレでした。
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藤棚のそばには 砂場があったかなぁ・・・・
鉄棒もありましたっけ・・など 思い出しました。
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1862年   道雅上人主称し,学舎斯文館を上西町に設立
1870年   松ヶ下清光院に塾を開く,程なく正賛院に移る。 福井藩より御学問所の名称を賜る。   
1875年   就将小学校と改称
1906年   三国北尋常小学校と改称
1947年   三国町立三国北小学校と改称  
学校の歴史は 古いです。
1975年に学校創設100周年でした。
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未来館には 他にタブノキ、ケヤキ、イチョウの木があるそうですが・・
私たちが 卒業記念に植えた木は どうなったんでしょ?
取り壊す前は 前庭だったのですが 現在駐車場で 影も形もないのですが。。。。。
北小学校は 昭和63年に300mほど離れた標高20mの高台に移転しました。
グランドは広くなって直線100mのトラックが取れるようになりました。
町中の学校で グラウンドはそう大きくなく かけっこは 50mの直線だったかな〜
未来館建設時 桜の木を切る話もあったそうですが 反対が多く残したそうです。
桜の木 残しておいてくれて 嬉しいです。
タグ: 福井
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2017年04月16日

福井 三国町 桜。

芦原温泉駅に迎えに来て貰った車で 実家のほうへ・・・と言っても 新しい家に引っ越しているので 私は初めての家に行くことになります。
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その前に 食べたかった 8番らーめんを食べました。
北陸では ラーメンと言えば8番らーめんですが 東京ではお目にかかれないので ずっと食べたかったのです。
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餃子は安くて美味しかったのですが ラーメンのほうはひとまわり小さくなった感じで・・・味も好みではなくなっていました。
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実家近くの公園の桜がきれいでした。
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公園で花見。地名は 桜ケ丘と言います。高台です。
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ベランダから見た公園の桜。まわりは大きな家ばかりで庭一つ見ても 豪邸街。
遠くの山には 成田山福井別院の屋根が見えます。
そこもまた 桜の名所です。
タグ: 福井
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2017年04月15日

東京駅から芦原温泉

3日間ほど福井に行きました。
行きは東海道新幹線経由です。
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東京駅発 ひかり新大阪行
乗客の6割が 外国人(西洋系)で 驚きました。大きなキャスター付きの荷物ばかりです。
駅も ホームも車内も そういう客ばかりでわたしのほうが 外国に来ているみたいでした。
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富士山は 雲がかかっていましたがなんとか見えました。
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名古屋駅です。米原で 北陸線の特急に乗り換えました。
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敦賀駅のベンチの向きが面白いです。
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日野川だそうで 桜がきれいでした。
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サバエドームが見えました
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芦原温泉駅に到着しました。
百人一首がさかんなところです。
私が 中高生の時も 校内で百人一首大会があり みなでそらんじて言えるよう 覚えたものです。
わたしはあまり 熱心ではありませんでしたが なんとなく 覚えたものは忘れないものですね〜
タグ:観光 福井
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2017年02月10日

市川市 菅野駅

市川市菅野で用をすませたあと MAPみながら 少し巡ろうと思っていましたが 強風で諦めて戻ることにしました。
帰りは外環道の工事現場を右手にみながら戻ります。
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ずいぶん長い間工事をやっているようです。駅直下に東京外環自動車道が建設されているそうです。
京成菅野駅近くに 石碑がありました。
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「西平田市川新田道」
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石柱には、「西平田市川新田道」「菅野停車場設置紀念」と刻まれています。平田は京成線の線路の南側の地名で、新田は西隣の地名です。
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瀬戸彦八翁頌徳碑
瀬戸彦八さんは神田の青果商で、松丸平太郎、浮谷善次郎、松丸清之助らとともに停留所設置の発起人となった人だそうです。
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菅野駅 千葉県市川市菅野二丁目
京成電鉄本線の駅。1916年(大正5年)2月9日に開業。
外環道が完成したら駅舎も新しくなるのでしょうか・・・・
タグ:歴史
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2017年02月09日

御代院 市川市菅野

市川市のネーミングライツでアーデル通りという通称になった市道を歩くと 途中 御代院という小さな祠があります。
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御代院 千葉県市川市菅野2丁目14
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御代院
「伝えによると、天慶の乱(天慶3年・940)のとき京都の菅野氏が、平将門調伏の志を抱いて、妻と共に関東に下り、この地に居を構えました。
妻の容姿が美しいところから「御代の前」と称して将門の内室になり、将門の出城といわれる大野城に入りました。そして内情を探索して夫に知らせたところから大野の落城を早め、将門調伏に功績をたてたといいます。
その後、夫妻は共に剃髪してこの地に留まり、将門と戦で亡くなった将兵たちのの後生を弔いながら世を去りました。夫妻の死後、里人はその志を哀れんで、墓標をたてて祀ったのが、この御代院ということです。
後世、幾度か墓標が破損しましたが、そのつど里人の力によって建てなおされ、伝承と共に今日まで守り伝えられてきました。
また、いつの頃からか風のときには、御代院から借りた茶碗で薬湯を飲むとご利益があるといい、回復のときに新しいものを添えて返す風習が広まりました。

平成3年3月
市川市教育委員会」案内板
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天慶の乱で亡くなった平将門とその将兵を生涯弔うためにこの地に留まった菅野夫妻を祀った祠です。
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妻が美しいので「御代の前」と称して将門の 内室になり、将門の出城といわれる大野城に入り、彼女は女スパイとして内情を探索して夫に知らせたことから大野の落城を早めたというから 内助の功の極みです。
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天慶の乱(天慶3年・940)のとき、京都の菅野氏が、平将門調伏の志を抱いて妻と共に 関東に下り、この地(現 市川市菅野)に居を構えた。という菅野氏の祠は 地元の人に大切にされているらしく 地蔵さまや正観音像がありきちんと整備されていました。
タグ:歴史
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2017年02月08日

荷風の散歩道

千葉県市川市 京成八幡駅の踏切を渡るとすぐ 荷風の散歩道(商美会ロード)があります。
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(文化の街かど回遊マップ より)
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かなり狭い道なのですが 駅に向かう道で車や人の通りが多い道です。
自転車が多く 人があるく白線の内側を乗ったまま走っているので かなり危ないです。
自転車は原則 車道を走るのですが ここはそんな道幅もないので 結局 人のほうが立ち止まり 自転車を避けなければならないので少し 怖かったです。
この先に 小学校があり 昨日は強風でしたので ものすごい砂埃が舞い上がってあたり一面 真っ白で 参ってしまいました。東京は芝生や 競技場のような舗装をしてあるので 砂埃は想定外でした。
これじゃ 商店街の店も ほこりだらけ・・・
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永井荷風が晩年に移り住んだ本八幡。
ここは 永井荷風が愛した散歩道です。
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(文化の街かど回遊マップ パンフレットより)
駅前にある「大黒家」で荷風はカツ丼を毎日のように食べていたそうで 荷風の人生最後の食事もこのカツ丼だったということです。
日本酒はいらないけれど 一度くらい食べてみるのもいいかも〜
・・・と 風に向かい ひたすら歩きました。
タグ:歴史
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