2021年04月27日

ラーメン

ラーメンが好きだと言うひとが多いです。
町なかにもいろいろなラーメン屋さんがあります。
以前は よく行列の店の前を通りました。
行列してまで食べたいラーメンって どんなに美味しいのだろうかと思いました。
それがあちこちで見かけるものだから 日本人って ラーメン好きなんだなぁ〜と思います。

福井にいた子供の頃 町には 特徴ある ラーメン屋さんはありませんでした。
福井で食べる ラーメンといえば インスタントラーメンだけでした。
そして 中華そば。町の中で食べる ラーメンというものはこれでした。
この中華そばは 食堂やうどんやさんで食べることができました。
さっぱり系の薄味スープ。しなちく のり ねぎ ほうれん草 なるとが乗ったもの。
麺も細い。
ダシが効いていて 美味しい中華そばでした。
今 こういう昔ながらの中華そばはなかなかありません。
福井に行けば 今でも この中華そばがあります。

そのうち 福井では8番らーめんという チェーン店ができてこれが中華そばではない
ラーメンというものだと知りました。塩 バター 醤油 ミソと選べます。
私は大好きです。とても美味しいです。
帰省するたび食べに行きます。

東京に出てきて 食べたのは どさんこラーメン。
北海道のラーメンだかなんだったかわかりませんが 結構好きでした。
当時は赤坂で暮らしていて 手軽に入れる店はそこしかなかったのです。
女一人ではなかなかラーメン屋さんには入れませんでしたがカウンターしかなかった
どさんこラーメンは救いでした。あちこちにあったものですが
今はみかけなくなりました。

神奈川県海老名市に住んでいた時に すごくお気に入りのラーメンがありました。
「肉そば」という名のラーメン。
ラーメンが肉(塊で すごく柔らかく煮てあるもの)や野菜と あんかけになっているものでした。
熱くて火傷しそうな あんかけラーメンでした。
好きで夫とよく食べに行きました。

当時住んでいた家の近所の人が 再びラーメン屋さんを開いて(ずっと店をやっていたけれど 一度リタイアしたひと)
食べに行きました。
ダシの効いた薄味のラーメンで さっぱり系。
田舎の中華そばを思い出すもので 美味しい。毎日時間をかけてダシをとっているとのことで
ファンになりましたが 何度か通ううちに スープは濁り しょっぱくなって まずいラーメンになりました。
ある程度客もついて面倒で 手間暇かけず手抜きになったのでしょう。
それからは 行かなくなりました。
行列の店も 品質はどうなのだろうかと 心配になります。

学生の頃 工程調査 環境調査で 埼玉にあるラーメンスープ工場の調査に入ったとき
ひどい光景を見て 何年かはチェーン店のラーメンを食べられなくなりました。
言うのもはばかるくらいの ひどい食品の扱いで不衛生だったからです。
今でも トラウマになっていいます。
昔はそういうことがあったかもしれませんが 今の衛生管理は厳しいからそういうことはないと信じています。

夫は大のラーメン好きで 若いころは毎日ラーメンでもいいという人でした。
どこかに出掛けるとき昼はラーメン。
そういう感じでした。(つまらないです)
外国に行ってさえ ラーメン食べるひとです。
それが 日本のように美味しくなくてねぇ〜

ラーメンは日本食だと思います。
他国で食べるラーメンは全く 別なるものなのです。

今じゃ 糖質を気にして蕎麦以外の麺類はあまり食べなくなりました。

私もたまに食べるのは インスタントかカップ麺です。
どうも東京のラーメンはこってり系が多くて 好きじゃないです。

一度 福岡で食べたとんこつラーメンは 結構おいしくてもう一度食べたいとおもうけれど
東京のとんこつはちょっと違って残念です。
あちこちの 地名を名乗るラーメンもありますが なかなかお気に入りには巡り合いませんでした。
わたしの好きなのは やはり今でも 福井で食べる8番らーめんでしょうか・・・

赤坂で一人で食べていた どさんこラーメンの味も忘れられないものです。
これはもう 美化したノスタルジーなのかもしれません。

8番らーめんたべに福井に行きたい。。。。
posted by うめのはな at 07:12| Comment(4) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月23日

ある出来事

いい天気が続いて 花粉も少なくなって ようやくベランダに出ることができるようになりました。
暑くもなくなく 寒くもなく いい陽気です。
風の強くない日には ベランダに出て洗濯物を干します。

そろそろ布団の入れ替えもしなきゃ とか 冬物を洗って片付けなきゃとか 気がせいて
何かと あわただしい日です。

ぽかぽかと いい気持。
お日様のありがたさを感じます。

先日 ちょっとした事件が起きました。

日中 ベランダに出たときのことです。

いつも出入りする リビングの窓から出ました。
夫は出かける準備をしていました。

「いい天気だなぁ〜」とのんびり外を眺めていて 戻ろうとしたら なんと鍵がかかっていたのです。
「うわ〜入れない!」ぞっとしました。
ベランダは南と東にぐるりと あるので 部屋ごとの
6か所ある出入り口を確かめるのですが それぞれの部屋の鍵はしっかりかかっています。

夫は出かけるときに 気を利かせて開いていた窓のカギを閉めてしまったのです。
「ベランダに出るよ」と声をかけなかった私も悪いのですが ほんのちょっとのつもりで出たし
そもそも 姿がないなら 確かめればいいのに 鍵を閉めてしまったのです。

どうしよう・・と思いましたが 大声で叫んでもどうにもならないし
携帯は部屋の中だし ・・
諦めて 待つことにしました。
どうせ図書館に行って 予約した本を借りて戻ってくるだけだし・・・と。

幸い 20分ほどで戻ってきました。
陽気のいいこの時期だから のんびりベランダですごせましたが
真夏の暑い日なら 熱中症。
真冬なら 凍えてしまいます。

何かの本で 真冬の夜にわざとベランダのカギをかけて 凍死させたという殺人事件の小説を読んだ
ことがあります。
ああ〜おそろしい。。。

夫が戻ってきて どんどん窓をたたいて鍵を開けてもらいました。
もうその時はありとあらゆる 罵詈雑言。
ぎゃんぎゃん吠えました。

涼しい顔で笑いながら
「ベランダに出るって一言 言えばいいのに、気がつかなかった」だって。

「あなたのほうこそ 出かけると一言 言えばよかったのに」と反論。
「そもそも 鍵かけるなんて いつもしないようなことするから悪いのよ。それに 部屋の中にいなかったら
わかりそうなものでしょう!」 
「すぐ戻ったんだし 日光浴して ビタミンDの補給したと思えばいいでしょ」などと 平気な顔していうのが憎らしい。

20分くらいで戻ってきたからいいけれど これが長時間だったらと思うとぞっとします。
コロナで長時間出かけないから結果20分でしたけれどねぇ〜

トイレだって行きたくなるだろうし おなかもすくだろうし のども乾く。
そう思うと ベランダの出入りも危険です。

部屋の中には 緊急警報のボタンが各所にあるけれど
これはもう ベランダにも必要ではないだろうか・・・
などと真剣に思ってしまいました。

非常用のハッチはあるけれど まさか 鍵かけられたくらいで
そこから下の階に下りるわけにもいかないしね〜

それ以来 ベランダに出るときは 注意することにしています。
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posted by うめのはな at 07:03| Comment(4) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月20日

自衛しかない

まん延防止等重点措置 が出されていますが 私的には 特に変化のない生活です。
結局 ひとりひとりの自覚と行動制限それに自衛につきると思います。

もちろん1年前より家族も含め 医者通いと必要最低限の買い物と金融機関
図書館通い 公的手続きくらいしか出かけることはしていません。
自衛につきると思います。
たしかに ストレスの多い 窮屈な毎日です。
いくら慣れとはいえど もう1年以上も続くと うんざりしてきます。

長時間出かけるのは 皮肉なことに 医者通いだけです。
これはもうどうしようもないですが 行けば3時間はかかります。

先日 通院日で行ったら すでに並んでいました。
受付ははやくからやってくれるので みなだんだん早くから並びます。

いつも通っている持病もち以外の人がくると
「今日はどうしました」と聞きます。
椅子は1mほどずつ離してありましたが 私の前の人は
「熱」と一言。ピッと計ります。
受付の人は慌てて看護師に言い 看護師は即 中に入るように言いました。
そもそも 発熱外来は別で 必ず電話の上 指定時間に来るように明記されているのにも
かかわらず そうやって 来てしまう人がいます。非常識。

その人 別室に入れられましたが コロナ疑いで調べられたのでしょうか・・
30分ほどして出てきてそれもふらつくほど高熱なのか足元がおぼつかない。
看護師に付き添われてどこかへ連れていかれました。

コロナだったかどうかはわかりませんが すごくいやな気分になりました。
熱があるなら 電話してからというのはもう1年も前から言われていることなのに
守られない人がいる。
「ただの風邪だろう」とか
自己弁護で 医者に行くひとがいます。
迷惑な話です。

周りの人はその日から怯えてすごさなきゃいけません。
その人が コロナだったかどうかすらわかりませんが 少なくとも2週間は
いやな気分になります。

マスクはしていた アルコール消毒もした 1mは離れていた。
隣にいたのは15分くらい。看護師さんもマスクだけだった。
そうやって 落ち着くしかないです。

しかし 無症状だと隣にいてもわかりませんね〜
電車 バス どこで接触するかわからない。
通勤の人は大変だ・・・・。

しかし 持病の人は高齢者の次とありますが
持病があると どうやって証明して優先接種できるのだろうか。
自己申告?診断書?かかりつけ医の判断?
難病や障害者の人は手帳みせるのかしら?
わからないことだらけです。

我が区は どうやら集団接種会場のほかに いつものかかりつけ医でも
接種できるようですが
ただでさえ 混むのに そんな時間がとれるのかどうか疑問です。
おまけに 春は 会社員の健康診断の時期ですし
通常診察でさえ めちゃ混むのに健康診断 ワクチン接種と
時間内にできるのだろうか?
日曜日にやる?
何もわかりません。

接種券が来ないと なにがどうなるのかわからないので
「なるようになる」くらいしか考えられません。

別に慌てて打ちたいとも思っていません。
時期が来たらその時に・・・くらいです。

こうなったら 待ちしかないです。
自衛して 静かにすごします。

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posted by うめのはな at 07:14| Comment(4) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月16日

トルストイの言葉

ある本の 本文の前に 

「自由に生きたければ なくてもいいものを手放しなさい」
                                                    トルストイ

こんな言葉が書かれていました。
「片をつける」という小説でしたが
本文よりもその言葉が気になりました。

なくてもいいものは 山ほどあります。
それこそ 目につくものは別になくてもいいものばかりです。
生きていくのに最低限のものさえあれば 何とかなるものです。

若いころは 記念品とか思い出の品とか 大事にしていたものですが
今は 思い出なんかあってもどうしようもない。
死んだら 他の人にとっては ただの「ゴミ」になる。
そんな気がします。
だからといって 思い切り処分できないのが 悲しい性です。

服などの みのまわり品もそうです。
いくつかの着替えさえあれば 十分なのに 場を想定して これはこういうとき着ようとか
外出にいつも同じじゃいやだなと いくつかそろえてしまう。
今じゃ出かける機会もないので クローゼットの中で 増えてしまって不用品化しています。
使うことのない靴もいくつ並んでいることやら・・

今は非日常と言えばそうなのですが
落ち着いて考えれば それほどたくさんのものを常時抱え込んでいることもないと
思います。

なくてもいいものが多いです。

そんな風に考えて でも待てよ なくてもいいものって何だ?と。
貧乏性だから まだ使える。もったいない。安いから買おう。
いずれ何かの役に立つ。そんな風に考えて どんどんたまっていったものもある。
そうだ 要は さほど金持ではないから 棄てるが惜しくて どんどん物がたまっていくのじゃないか。
そういう結論に達しました。

では お金持ちなら 思い切りよく捨てられるかというと お金持ちになってみたことがないので
わかりませんが これまた 欲が出てどんどん買ってしまうのではないかと思います。
いや 本当のお金持ちは 意外とケチで不必要なものは買わず 本当に必要な長持するいいものだけを買うといいます。
ケチだから お金が貯まるのはどうかは知りませんが お金の使い方というのを 知っているのではないかと思います。
これが にわか成金となると 湯水のごとく買いあさるのかもしれませんが・・・・
それも 私にはわかりません。成金でもいいからなってみたいものです。

トルストイさんは 多くの名言を残していることで有名です。

「金のないのは悲しいことだ。だが、あり余っているのはその二倍も悲しいことだ。」

こんな言葉もあります。
これは 不同意。
お金が有り余っていることが 悲しいことなのでしょうかねーーー
庶民にはわかりません。

中学生に 「幸せってなんだろう。どうしたら幸せを感じられるか」と聞いたところ
一部の生徒は
「お金。お金があれば幸せになれる」と答えたそうです。
もちろん 
「お金で幸せは買えない」という反論があって 議論になったそうです。
ディベートは お金派の議論が勝ちました。

さて・・・
本当に お金で幸せは買えないのだろうか。
しあわせとは その時 人それぞれで感じるものだから 一概に心で感じる満足感だけが しあわせなのかは
疑問です。
お金がなくて 不幸な人もいれば お金があっても不幸な人がいます。
物質的に不幸でも しあわせを感じている人もいれば 物質的に恵まれていても 不幸だと感じる人もいて
どれが正しいとは言えません。

お金はないより あったほうが満足感が得られることは間違いないと思います。
もしかしたら 一時的な幸せも買えるかもしれませんし お金に困らなければ
それこそ 自由に好きなように生きられるかもしれません。
お金がなかったら やりたくてもできないこともあるし 生活に困窮し ぎすぎすした毎日になるかもしれません。

人それぞれ 感じ方は違いますのですがお金のあるなしは
しあわせとは別物だと考えても いいと思います。

「金のないのは悲しいことだ。だが、あり余っているのはその二倍も悲しいことだ。」
私的にはこれは 納得いきません。悲しいって何よ・・・・。

「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ。」
この言葉ですが
微妙に納得します。

ここまで年を重ねれば 過去もどうでもよくて 未来も見えなくて
今を生きるだけで 精一杯というところです。
その 今でさえ あっという間にすぎて気が付いたら 無駄に一日が ひと月がすぎていた
そんな状況です。


あがらない雨はない とか 明けない夜はない とかいいますが
コロナで 明日が見えないというのは 悲しいことですね。

せめて 子供たちの未来が明るい未来でありますように・・・・
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posted by うめのはな at 14:26| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月12日

散る桜

今年の桜も見納めかな。
ソメヨシノが咲いたのもはやかったけれど 八重桜もはやかったです。
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もう八重桜が散っています。
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桜も散り際がいい。
散っていく桜も風情があっていいものです。
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桜散る和歌三首

*ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ    古今和歌集:紀友則

現代語訳:
こんなのどかな春の一日なのに、花びらはどうしてこんなにあわただしく散っていくのか、静める心はないのか

*桜花 散りぬる風の なごりには 
水なき空に 波ぞ立ちける    古今集:紀貫之

現代語訳:
桜の花を吹き散らしてしまった風の名残として、まだ舞っている花びらは、まるで水のない空に花びらの波が立っているようだ。

紀友則のいとこの紀貫之さんです。

*花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり    百人一首:入道前太政大臣

現代語訳:
桜を誘って白く散らす激しい風が吹く庭。そこに降り敷くのは雪かと思える。
しかし降るのは雪ではなく、老いていく私なのだ。


さしずめ 私にはこの歌などがふさわしいかも。
老いを感じるこの頃です。

こんな句もありますね。

「散る桜 残る桜も 散る桜」
これは良寛の辞世の句と言われています。

今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。
限られた命を 悔いの残らないよう生きようということらしいです。

「如何に生きるか」ということで
この辞世の句は 特攻隊員の遺書で有名だそうです。
悲しいね〜

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八重桜が終われば 藤の花。
もう咲いていますね。
奥の藤棚も咲いています。
亀戸天神の藤も7分咲から満開だそうです。
今年は はやいですね。
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posted by うめのはな at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月11日

嘘みたいなおかしな話

嘘みたいな本当の話が 本当ですか?というコメントもありましたが
本当に本当の話ですから それ以上のことは言えません。
しかし これだけが 嘘みたいな本当の話ではありません。

よくニュースなどで 患者の右と左の部位を間違えて手術して
しまったとかいう話を見ますが そういう嘘みたいな本当の話は多々あるものなのです。
隠ぺいされたものを含めれば どのくらいになるのやら・・・
患者の間違いさえあったようですし(現在は しつこく確認します)
薬の間違いなど含めると 笑えない話になります。

私が中学生のとき おなかが痛くて母に連れられて 開業医に行きました。
そのとき 注射をしたのですが 受付で気分がわるくなり
「気分悪い・・」と母に言い すぐにブラックアウト。
意識喪失したようです。
気が付いたときは 診察室に寝かされていて 医師 看護師総出で処置をしていました。
母もそばにいました。
不思議なことに その様子を自分で見ていた感じがするのです。
これは たまにある脳のなせる仕業だということですが
感じとしては 自分を上から見ているのです。
「マッサージ!カンフル!」と医師が怒鳴り心臓マッサージしていたのが見えました。
思うに 臨死体験というものではなく 耳からの情報で脳がそう思っただけなのかもしれません。
とにかく 間もなく意識が戻り 難をのがれました。
母から聞いた話によれば 看護師が次の人の風邪の注射を間違えて打ってしまったということで
その看護師はすごく叱られていたようです。
今思えば 叱られるだけですむんかい!といいたかった事件です。

何の注射かしりませんが 風邪の注射ではもうひとつ危なかった事件があります。
これも 神奈川にいたときです。
風邪で熱があるので 近くの民間総合病院に行きました。
注射と薬処方。
30分ほどたったころ 全身に赤い発疹がでました。
「え?麻疹?」と思いました。
病院に言うと すぐ戻るようにと言われ駆けつけると
「ピリン禁(ピリンアレルギー)なの?それならそういってくれないと・・」と。
当時は そんなこと私にはわかりませんでした。
どうやら確かめもせず ピリン系の注射を打ったようです。
ピリンによるアナフィラキシーショックだったようで 呼吸も苦しくなっていましたから
すぐ解毒剤を打ち 難を逃れこれまた助かりました。
「出した薬は 破棄して飲まないように」と言われ 別の薬をもらいましたが
説明もなく それだけで すませるの?という気がしました。
その医者へは二度と行きませんでした。

もうひとつ 学生のとき 東京柿の木坂の病院での出来事です。
真夜中の腎結石の痛みで救急車で運ばれ入院となったときのこと。
6人部屋でした。
前にいる ばぁちゃんと仲良くなってよく話をしていましたが
或る日 二人の点滴がいつもと違うのです。
「今日はいつものと違うね」とばぁちゃん。
「そうですねーーいつもの赤い袋がないね。でも私にはついているけど 変わったのかね」
そんな話をして小一時間だまって点滴を受けていました。
みまわりに来た看護師さんに
「いつもと違う点滴なんですか?ばぁちゃんも違うと言っていますけど・・」
看護師さん ハッとして点滴を確認。
「逆だわ・・・・」とつぶやき。
「ま・・・いいか・・影響ないでしょう」と二人の点滴を中止して持ち去ってしまいました。
「間違えたんだ・・・私のは尿を出すための薬だけど ばぁちゃんのは何だったんだろう」と
心配になりました。
年よりの薬というだけで なんだか老化しそうな気がして心配でした。
本当に影響なかったのかどうかはわかりません。
これも 隠ぺいでしたね〜

今はそういうことがないように いちいち患者の確認しますが 昔はいい加減なものでした。

記憶しているだけでもこのような出来事があって 嘘みたいな話ばかりですが
他の人たちはどうなんだろうか。

息子があかちゃんのときの 手術の時のためらい傷もそうですが 他にもおかしなこといろいろあります。
他の人に話を聞けば聞いた数だけ おかしな話が出てくるような気がします。
昔は 確認とか杜撰だったのはたしかです。
間違いも失敗も経験のうち と考えているような医者がいたら
これは 許せないことです。
だって 患者にとって医者は たったひとつの救いの手なんですからね。

そりゃ経験も大切かもしれませんが 命にかかわることですので 念には念をいれてベストを尽くしてほしいと思います。
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posted by うめのはな at 09:53| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月10日

嘘みたいな本当の話。

嘘みたいな本当の話 と言えば
うがい薬の 記者会見を思い出しますが これから書くのも嘘みたいな本当の話です。


神奈川に住んでいた時(まだ若いころ)自転車で転んだことがあります。
人前で 恥ずかしいのが先で 痛いとかより 自転車を起こして早々に立ち去りました。
肘を打って すりむいたのですが痛みに気が付いたのは家に戻ってからです。
とりあえず 傷薬を塗って一晩すごしたのですが 翌日になってもっと痛くなって 腕があがらなくなりました。

整形外科へ行って レントゲンを撮ったら「肘にひびが入っている」と言われました。
ギブスしますから と言われて 困ったなぁ〜右腕だし 固められると
何もできない。子供の世話すらできなくなると思い
「ほかの方法ないでしょうか」と聞いても 「ない」の一言で
即座に石膏で 固められてしまいました。
まげたまま 肩から指先まで。
なんでこんなに大げさにやる必要があるのか せめて手首だけでも自由にしてほしいというと
「肘だから指が少しでも動くと影響がある」ということでした。

何もできなくて 実家の母に言うと 福井からすぐ来てくれて 1か月ほど 滞在して子供の世話から何から何まで
やってくれたのが ありがたかったです。
肘そのものは 3日もすれば痛みもなくなりました。

結局 2週間ほどで 風呂に入るときははずしていいと言われ上半分切ることになりました。

ギブスを半分切るとき 電動丸のこのようなものを持ってきて 切り始めるので
「あのー 腕きらないでくださいね」というと 笑って
「大丈夫 大丈夫」と・・
でも あのギュィーンという音だけでも恐怖で 切れたらどうしようと 思ってびくびくしていました。
すると・・・焼けるような痛みが。。。。
「あの・・痛いんですけど・・」
「気のせいでしょ。大丈夫めったなことないから」
「あの・・ほんとに痛いんです!」
「大丈夫だって すぐ終わるから」
「切れていると思うんですけど・・・」
そうしているうち 終わって上半分をはずしたら。。。
すぅーっと赤い筋が ある。
切れてる!
血がにじんでる!
「痛いって言ったのに・・・切れてるじゃないですか」
「ん?このくらい 大丈夫」
と 軽くあしらわれました。
「人の痛みもわからずに・・・」と思いました。
あの石膏切りは 看護師が勘でやるので怖いです。

今は 石膏ギブスじゃなくて グラスファイバーの軽いものが使われているようです。
最初からギブスシーネという 半分固定するやつもあるので 電動のこできるというような恐怖を
味わうことも少なくなったようです。

1か月ほどで ギブスから解放されましたが 肘はまがったまま。
痛くて動かせません。
リハビリがまた とても痛かったです。
母が帰宅してしまったので 医者でリハビリというわけにもいかず
自分で動かそうと 努力しました。
風呂でマッサージもしました。

あまりにも痛いので 治っていないんじゃないかと 市立病院へ行きました。
「肘にひびが入ったというので ギブスしていたのですが 全然痛みがひかなくて
はずして1月ほどたつのに どうしたのかなぁ〜と思うので 調べてくれませんか」
それで レントゲンとりました。

「あ・・・?これ 折れていないと思うよ。」
「ヒビが・・・」
「うん。ヒビもないよ。骨にヒビが入った状態はズレない骨折という意味だから レントゲンで跡がわかるからね〜
痛いのは ずっと健康な腕を固めていたからだと思う。しばらく 動かす努力すれば 元通りになるから。頑張って」

「ガーーーン!」
痛くて動かせなかったのは 単に打撲と擦り傷だったわけで 骨折ではなかったということ。
1か月も不自由な思いをして その後腕伸ばすのに また痛い思いをして 
このざまは 何だ。。。
あのヤブ医者め。。。。

嘘みたいな本当の話です。

この整形外科では 別の治療も受けました。
ギブスをして1週間後の診察に行ったとき
「あのーもしかして 転んだ時どこかで顎打ったかもしれなくて
顎がカクカクするのですけど・・・」
「痛い?」
「痛くはないですけど 大きな口あけるとちょっとカクンという感じです」
「顎関節症だなーー」
と言って 1週間に一度でいいから 注射に何度か通うように言われました。
普通の注射かと思っていたら すごく大きな注射を持ってきて
腕かと思っていたら なんと顎に直接打たれました。

耳の横の顎の関節に ブスッ!
痛いこと 痛いこと。
針も大きいし 痛いしで ぞっとしました。
結局 ギブスがはずれてからは 医者へ行かなくなったので3度ほど打っただけでした。
治ったわけではありません。
そのまま 逃げただけです。

何年か カクカクと付き合いながら 千葉に引っ越しました。
或る日 濡れ縁で洗濯物を干していたら 足を踏み外して 落ちました。
洗濯物を持っていたので とっさに手が出なくて顔をぶつけました。
おおきな沓脱石があって そこに顎を思い切りぶつけました。
「ガクン」と音がしたのを感じました。
もちろん 顎はすりむいて血が出て痛かったのですが それよりもまずいなぁ〜という気持ちがあって
鏡見て顔の点検。口開けたりして 口の中は大丈夫かとみているうちに
顎がカクカク言わないことに気が付きました。
大口あけても痛みはないし カクカク言わないのです。
どうやら 衝撃で外れかかっていた関節が カクンとはまったようです。
それ以来 顎は大丈夫です。快調です。
噛み合わせもよくなったようです。
すりむいた傷はしばらく痛かったですが 顎関節症が治ってしまいました。

これぞまさに 怪我の功名 かも。

嘘みたいな本当の話です。

ちなみに 顎関節症の治療は
整形外科ではなくて 歯科・口腔外科の領域だそうです。
当時は 知らなかったです。
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posted by うめのはな at 15:46| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2021年04月06日

三木城合戦記

発売時は 読もうとは思っていなかったのですが 借りる機会があったので
「もろびとの空   三木城合戦記」 という本を読みました。

タイトル  もろびとの空 
       三木城合戦記
著者       天野純希
出版者東京 集英社   2021.1

「戦国末期、別所長治は信長に叛旗を翻す。織田勢を率いる秀吉の猛攻に耐え、籠城戦が続くなか、飢えに苦しむ領民は、究極の選択へと追い込まれる。
織田勢を率いる秀吉の猛攻と「干殺し」に耐え、暮らしを守ろうと刀を握った人々の、歴史に記されなかった生を描く。」

別所氏の三木城落城譚といえばその凄惨さから、有名な話として伝えられているそうですが 歴史には詳しくないし まして 三木城なんていうのも全く知らなかったです。
名前も知らなかった武将たちですが 「死に損ない」と罵られ、次こそ死のうと、敵軍を斬りつづける武士。貧しくて米十俵のために握った薙刀で、家族を守るため、「女武者組」として戦う覚悟を決める娘たちの姿が描かれていて ひきこまれました。

織田に反旗を翻した古豪・別所家。司令官・秀吉の報復と播州征伐。
三木城当主別所長治の籠城戦
「秀吉が行った兵糧攻めは、三木の干殺し(みきのひごろし、-ほしごろし)と呼ばれる。」

領民のためにと言いながら自らの意地、プライド、私欲に取り憑かれている城主。
「播州武士の矜持、名門別所家の誇り」とは程遠い 自己顕示欲の塊のような吉親。
城主長治を幽閉し 吉親がプライドだけで反旗をひるがえし 籠城という選択をした。
その選択が、自らだけでなく周囲も苦しめる。
こんな愚かな男のために 多くの民百姓や武士が死んでいく。
焼かれる家や田畑。子は拐われ、女は凌辱され、男は斬られ 秀吉の2年もの兵糧攻めにより飢え死にが相次ぎ
最後には飢えて 人肉まで食べなくてはならなくなった。

物語は百姓の娘で米を得られることから女武者団に参加した加代と、女武者団を支える別所家家臣の蔭山伊織の視点で描かれている。
女武者組の指揮を執るのは別所家の妻 波。
最後の交渉は 幼い子らを含め別所一族の死をもって立て籠もった領民、家臣の命が救うこと。
別所一族が女こどもまで自決する場面は 悲しい場面です。

別所一族の死をもって立て籠もった領民、家臣の命が救われ 月日がたち
その後の平穏な 農民の日々に安堵し 緑豊かな土地へと変わっていく姿にはほっとします。
合戦の裏にある ひたむきな生の物語です。

人とは 何なのだろうか・・
生きるとは?

戦国時代 人は戦いのために生きていたのだろうか。
戦がはじまれば歩兵として いやおうなしに かり出され 前線に出て 切られ 射られ 討たれる。
虫けらのように 殺されても 文句はいえない。
それが 役目と割り切っていたのだろうか・・・

太平洋戦争のときも 兵隊さんは同じでしたね。

家族もいれば 親兄弟もいるのは 領主とて同じはずなのに。
短い人生でも 戦いのためならしかたがなかったのだろうか。
戦争は いやですね。

強いものが勝つ。
そうなんでしょうが ひたむきに生きていた人たちの 人生は何だったのでしょうかね。

フィクションといえども 実際にあったという戦いの歴史を読むのは 辛かったです。

現代の為政者も 国のため国民のためといいながら 利権 忖度
自己顕示 私利私欲 プライドのために 取るべき道をあやまってはいませんか?
そう 問いかけたいです。
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posted by うめのはな at 16:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書

2021年04月05日

お寿司

久しぶりに 握り寿司を食べました。
コロナ過で生ものを控えめにしていたし 米もあまり食べなかったので
寿司は食べることもなかったのですが 体調がいいとなんでも食べたくなってきます。

寿司やてんぷらが食べたくなって 「食べたいね〜」というと
テイクアウトで買ってきてくれました。

貝や光物 魚卵は食べることができないので
「まぐろづくし」本マグロ の盛り合わせ。
まぐろだけでも いろいろバージョンがあって工夫されていて 美味しかったです。

ついでに 「天ぷら」盛り合わせも買ってくれたのですが
こちらはあげたてじゃないので 少々べチャッとして あまり美味しくなかったです。
てんぷらは揚げたてに限ります。

握り寿司といえば 私の故郷は 港町なのですが
小さいころは 寿司など食べたことがなかったです。
そもそも 小学生くらいまでは 生ものは食べさせないということでしたので
刺身など食べたことがなかったです。

生ものは菌の心配もありますし 子どもの消化器官が大人のように働き始めるのは8歳〜10歳頃だと言われています。
消化の悪い 貝類 魚卵 そしてイカ タコ。アレルギーの心配がある 青魚などはある程度年齢がいくまでは
食べさせないほうがいいです。

港町ですので 毎日 市場には魚があがってきますから
魚は新鮮なものが手に入ります。 
刺身は 週に何回も食卓にあがります。
もちろん 魚の種類も豊富です。

なまこなどもありましたっけ・・・・。

生ものはよく食べたのですが 握り寿司というのはあまり記憶にありません。
そもそも 寿司屋というのがほとんどなくて・・・
2軒ほどあったのですが それは夜の 飲み屋さんみたいで
家族が食べに行ける雰囲気ではありませんでした。
握り寿司など 食べなくても 自宅で新鮮な刺身が 美味しいお米と一緒に食べられるのですから
寿司などわざわざ食べなくても よかったわけです。

ところが 或る日 チェーン店のお持ち帰りができる寿司やさんができました。
それが 安いし 手軽に食べられるということで 大人気になりました。
何かと行事の多い 田舎のことですので 集りのときは
そういう寿司が喜ばれました。

私も そのとき初めて 握り寿司というのを食べたのだと思います。
上等なネタではないけれど 気軽に食べられると我が家でも 時々買いました。
忙しい時 お祭りのときなど 利用したのだとおもいます。

田舎での寿司の記憶はそんなものしかありません。
東京に来て 学生の頃は寿司など食べるゆとりもなかったです。
そもそも 東京で生ものを食べるという発想すらなかったです。
魚はまずいし 種類もない。

一体私はそのころ何を食べていたのだろうと 思いだそうとしますが 何もわかりません。

一度だけ 寿司屋に連れていってもらったことがありますが
時価というだけで 一体いくらかかったのかは知りません。
とても 自分じゃ寿司屋に入れませんでした。

神奈川では寿司を宅配してもらってたべていました。普通の江戸前寿司。
千葉に行って 驚いたのは すごく大きい寿司だったことです。
ネタも大きいけれど 酢飯の量も半端なかったです。
これじゃ ご飯食べているようなものだと 思ったりもしました。

もともと 江戸時代の寿司は 今の3倍くらいの大きさがあって
3個くらいで 満腹になったそうですから あれが本当の江戸前寿司なのかもしれません。
千葉は内陸部に住んでいたので 魚が新鮮ということはなく
新興住宅地で いい寿司屋さんはなかったです。

再び東京。
中央市場が近いのですが 寿司は高級すぎて 店には行けません。
せいぜい チェーン店で食べるか 回転すし。
または お持ち帰りか スーパーで買うのみです。

寿司にもいろいろあって それにまつわる時代や 思い出があって
なかなか面白いです。

これは うまい と思った寿司って どこだろう・・・・
味の記憶は曖昧です。

やはり江戸の寿司が美味しいと思います。
posted by うめのはな at 07:16| Comment(2) | TrackBack(0) | グルメ