2020年07月29日

地名

ネットの記事を見ていたら
山口県周南市には 東京の地名と同じ地名がたくさんあるとのことでした。
ざっと見てみると
【旧徳山市街】有楽町(有楽町)、代々木通・代々木公園(代々木公園)、新宿通(新宿・新宿通り)、原宿町(原宿)、御幸通(銀座みゆき通り)、銀座(銀座)、糀町(麹町)、昭和通(昭和通り)、晴海埠頭(晴海ふ頭)、千代田町(千代田区)
【その他周南市内】青山町(青山)、横浜町(横浜)、川崎(川崎)
こんなところだそうです。

知らない人は 驚くことでしょうね。

銀座なんていうのは 全国どこでも○○銀座なんていうのがあって 驚くこともありませんが
さすがにこんなにたくさんじゃ 何故?としか 思えません。

徳山は新宿通、東京は新宿通りと違いはありますが 代々木公園まであるとは東京を意識して
つけられたのではないかと 思えます。
しかし
この中で東京の地名を意識して付けられたものは、「銀座」だけというのもまた 信じられませんでした。
旧徳山市街において、銀座以外の東京に類似した地名はまったくの偶然だそうです。

例えば 代々木公園ですが 周南市の代々木公園が先とのこと。

東京が1967年、周南市が1962年とのこと。
でも 東京の代々木という地名は戦国時代の書状に、「代々木村」の名がすでにあり、江戸時代には大名・旗本の屋敷地がありました。
この名は、村人が代々サイカチの木(豆科の落葉高木)を生産したことにちなんでいるという説があります。
では 周南市の代々木はいつからなのか 興味あるところですが 史家でもないので詳細はわかりません。

1960、1962年に告示されたのは、御幸通、糀町、昭和通、有楽町、代々木通、新宿通だけだそうで
新宿や原宿はあくまで「偶然」とのことです。

地名なんて 似たようなのが多いし それは全国どこでもありうることなのですが
晴海ふ頭まであるとは 驚きました。

我が福井にも 大手町はありますし 文京という地区もあります。
福井は城のあった城下町でしたから 大手町があるのは必然的。
大学や学問所が多かった地区はやはり文京となっています。
そのそも地名というものは 地形や 歴史上の縁のある 地名を付けているのが普通なんですが
最近は 地区の統合などで 町名変更で つまらない町名になっているところが多いです。

昔は 町名を見ただけで 昔ここは ○○だったんだなぁ〜とか
歴史をうかがえたものです。
そういう 地名が消えていくのは 寂しいです。

我がふるさとも なんどか 町名変更がありまして
私が子供の頃とは 全く別の町名になっています。
昔の面影を残す 細かく分かれた地名でしたが
ひとまとめにして 1丁目2丁目とかいう具合になりました。

帰省しても どこがどの地名だかよくわかりません。
昔の名まえで言ってくれればよくわかりますが・・・・。

何年か前 父の葬儀に行ってはじめて聞いた言葉に 驚いたのなんのって。。。

「これから 代官山に行きます」と業者。
「は?代官山?何それ?」 私。

それって どこ?まさか東京じゃあるまいね?
と 不思議に思っていたら なんのことはない 斎場のこと。
最近できた新しい斎場の名が 「代官山斎場」なんだと。
地名は違うのですよ。
山を切り開いてできた 新しい斎場で それを「代官山」と名付けただけで
代官の屋敷があったからとか、代官の持ち物の山林があったとかではないです。
聞けば もうひとつ 斎場があってそちらは 「赤坂斎場」というそうで
聞いたときは ひっくり返りそうになりました。

なんでまた 「代官山」と「赤坂」なんですか?と 問い詰めたくなりました。

こういうことがあって 父の葬儀が悲しみにくれるということは すっかりなくなってしまい
私の頭の中で「代官山」「赤坂」という言葉だけが 渦を巻いていました。

そのうえ なんと「松涛保育園」というのまでありました。
こちらは 渋谷の「しょうとう」ではなくて 同じ字ですが「まつかぜ」だそうです。
しかしね〜・・・・


渋谷の松涛は
明治初期、下屋敷の払い下げを受けた鍋島家では、ここに狭山茶を栽培し、「松濤園」という茶園を開きました。
「松濤」とは、茶の湯の釜のたぎる音を、松風と潮騒にたとえた雅号で、この銘の茶が生産されていました。
とあります。

「松濤」とは、茶の湯の釜のたぎる音を、松風と潮騒にたとえた雅号とのことです。

たしかにね〜「まつかぜ」ではありますが 海辺の松や潮風ではありませんね。。。。。

とまぁ 驚くべき地名は探せば いろいろありそうですね。
「代官山」「赤坂」
福井の地元の人の中では この名は 「火葬場」だけ なんでしょうね〜〜〜
「代官山公園」は 公営墓場ですし なんか上級国民って感じしません?

嗤えるわ・・・・。

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2020年07月26日

今日できることは・・・

「今日できることは 明日に残すな」
これは米国大統領
エイブラハム・リンカーンの名言です。
Leave nothing for tomorrow which can be done today.


「明日でもいいことは 今日やるな」
中西 輝政氏の大事な場面で判断を誤らない戦略的情報行動学。

どちらも なるほどと 納得のいく言葉です。

先延ばしにして チャンスを逃すこともあるし
慌てて決めて 失敗することもある。

どちらを選ぶかは その場面による判断なのです。

しかし こういう大事な場面ではなくて
普段の生活で この言葉を言われると・・・
せっかちな人は
「今日できることは 明日に残すな」だろうし
のんびりした人は
「明日でもいいことは 今日やるな」を選ぶのでしょうね。

私もどちらかと言えば
「まぁいいか・・」ですので 先延ばしのほうです。
そんな たいそうな事は思いもせず ただ 面倒なだけです。

しかし若い時は 毎日がエネルギッシュなせいもあって
一日貯めるとあとがまわらなくなって 
今日できることは無理をしてでも できる限りすませました。
性格というより 生活にも 時間にも ゆとりがなかったのかもしれません。

今なら 身体を動かすのも 頭を働かせるのもおっくうで
「そのうちにね」のほうが 強いです。
短い人生 何をあくせくする必要がある。なんて 思ったりもします。

短い人生だからこそ できることはなんでもやる。
そういう人もいるでしょう。

私も以前は 東京散歩と称して10か所とか 貪欲にあちこち歩き回りました。
美術館も 3つ4つ一日で回ったりしてね〜
そのうち のんびりしてきて 友達と会っても
一つか 二つ どこかに行って 美味しいもの食べればいいや・・に変わり
今じゃ 出かけることそのものができなくなりました。

思えば あのころ 精力的にあちこち回ったおかげで ほとんどの名所もめぐり 写真も撮ったので
心残りはありません。

そう思うと 動けるときに あれこれ動いたことはよかったと思います。
旅行も若いころから 全国めぐり 山も海も行ったし
ダイビングにスキー 登山と 経験できたしよかったかなぁ・・・

今それをやれと言われてもできません。

だから 今できることは先延ばしにしないというのは よくわかります。
そのうちに あそこに行こう・・
近くだからいつでも行ける・・
これでは いつまでたっても実現できないという経験もあります。

やはり
今日できることは明日に残すな
これなんでしょうね〜

でも 若くなくなった今は
明日でもいいことは 今日やるな
の気持ちのほうが 強いです。

戦略的でも なんでもなくて ぐうたらになったせいでしょうね〜
最近は 夫がめんどうなことはじめると
「何もそんなこと 今やる必要ないじゃないの〜」
と文句を言います。

性格にもよるでしょうが
あなたは どちら派?

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2020年07月23日

囚われの山

久々に手に汗握る読み応えのある本を読んだ。

 囚われの山 
 伊東潤/著 
出版者 東京 中央公論新社
出版年 2020.6   412p 20cm

内容(「BOOK」データベースより)
世界登山史上最大級、百九十九人の犠牲者を出した八甲田雪中行軍遭難事件。百二十年前の痛ましき大事件に、歴史雑誌編集者の男が疑問を抱いた。すべての鍵を握るのは、白い闇に消えた、もうひとりの兵士。男は取り憑かれたように、八甲田へ向かう―。


新田次郎の「八甲田山死の彷徨」と 1977年公開の映画「八甲田山」が有名です。
本はもちろんのこと 映画もTVで放送されたものを見ました。
何かと心に残った作品でしたが今回 改めて 「八甲田山」を取り上げた 小説を読んで
心に残っていた記憶を思い起こして 読みました。

新田次郎の「八甲田山死の彷徨」のイメージがあまりにも強く 二番煎じかなぁ〜と思い読み始めたのですが
切り口が違う。
謎解きからはじまる物語は 迫真の描写となり まるで読み手がその場にいるような感覚に陥らせます。
冬山の厳しさ 地獄の山 ホワイトアウト 本当に死の彷徨なのです。
凍えるような気分になります。読んでいても辛い・・・。

これは 小説なのか 史実なのかと 間違えそうになりました。

「このような悲劇がなぜ起こったのか?」
そこからはじまる 数々の疑問と謎。
残された資料を読み進むたびに 謎は謎を呼ぶ。
そして 一人足りない犠牲者(200人のはずが 199人となっている)
その謎解きから 内容はミステリーへと 進みます。

八甲田山を案内するガイドの説明と地図で 山の様子がよくわかりました。

人は極寒のとき どうなるか どう対処すべきか。

人は極限で何を思うか。

昔の軍隊という規律 命令が絶対という中で 人はどう行動するのか。

新田次郎さんにチャレンジしたような 「囚われの山」ですが
人はいつまでも 何かにとらわれてはいけない。。。。
最期に教えてくれます。

山の描写もすばらしいが 生きるという執念 また人間模様。
そんな中に 現代らしく ミステリー要素も織り交ぜて
とても 興味深く 楽しんで読むことができました。

一言でいえば「面白かった」です。

伊東潤氏は このような読み応えのある本を書きます。
歴史ものが多いですが お気に入りの作家さんです。

読み終えた今 無事に「八甲田山」から 戻った気分です。
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2020年07月21日

夏が来れば思いだす・・

2日ほど 青空が見えて暑かったのですが
今日はまた曇りで蒸し暑い日です。

本来なら夏休みに入るというところですが 今年は特別。
学校休みはもう少し先です。
それも コロナでどうなることやら・・・・

梅雨明けはまだなので じめじめした日が続きます。
おとといまでは 涼しくて22~3度くらいまでしかあがらなくて 長袖出したりでした。
近くのホテルのプールも 準備はしているようですが
まだ本格的夏ではないし コロナも収まっていないしで どうなることやらね〜

ホテルのプールといえば 利用料もお高いのですが
TV局でアシスタントやっていたときの 忘れられない思い出があります。


「夏がくれば 思いだす」という出来事です。

TV局のスタッフに頼まれて 都内某有名ホテルのプール開きに 女の子が足りないというので
3人で行くことになりました。
プール開きの日は曇天。雨こそ降っていなかったものの 寒い日でした。
それでも予定は予定。
生中継が入るとのことで しかたなく行きました。
ところが・・・ほかにもたくさん女の子がいるのかと思えば 3人だけ。
そりゃぁ〜こんな日じゃねーーーと 思いつつ水着に着替えて スタンバイ。

余計なことばらせば こういう中継って みな仕込みの人がやるんですよ〜
ドラマの中の 通行人もそうなんです。
(当時はそうでした。今は知らない。)
だって 顔ばれ 水着を勝手に映すわけいかないでしょう。

いよいよ 生中継。
プールに入れというので 入りますがめちゃくちゃ寒い。
「笑って、楽しそうに 水遊びして!」
「泳いで〜」と
注文が飛びますが 寒くて 顔がひきつるくらいです。
それでも 作り笑いをして 水遊びして
震えながらの中継が終わりました。
ほんの数分の中継ですが 30分は入っていたかなぁ・・・

震えながら水から出ると 
「ご苦労さん。このまま 遊んで行っていいよ」

いくら高級ホテルのプールだからといって
こんな寒い思いして 遊ぶものか!と すぐに着替えて 出ました。

翌日 頼まれたスタッフに 言うと
「そうだってねーーほかに誰もこなかったんだってねー」
と涼しい顔。
「バイト料もらっていないんですが〜」というと
「あ・・・なんか 事務所の人かと思って 渡さなかったみたい。どうなってんだろうね〜」
とだけ。
とうとう その日の出演料はもらえませんでした。

あんな寒い思いして バイト代もないなんて と憤慨しました。

だから 一生忘れられない出来事になりました。
いやぁ〜
寒かったですよ〜
それを 楽しそうに演じろなんてねーー
お前がやってみろ と言いたかったです。

ひきつった顔が どう中継されたのかは 生でしたので自分では確認できませんでした。

私たちは事務所のプロでもなかったのですが
プロの人はなんでも演じなきゃいけないのが 辛いところです。

これは 寒い思いをした思い出なんですが
その年の夏は 大磯に1週間のロケに行きまして
ロングビーチのプールを借り切っての リハーサル と本番がありました。
その1週間。(プリンスホテルに泊まりこみです。3食付き)
もう暑くて暑くて・・・日はカンカン照り。
朝から夕方まで リハーサルが続き みなへろへろ。
今なら熱中症というところでしょう。

水着ですから もう全身真っ赤。
私など 鼻の頭の皮まで向けて 悲惨な状況でした。
これもまた忘れられない 思い出なのです。

帰宅して 夏祭りに行ったら
露店のお兄さんが
「その顔 どうしたの?ハワイでも行ったの?」
ですって・・
「はぃ〜〜〜」と答えておきました。

そのくらいひどかったのです。

その後遺症か 今は
シミだらけの お顔です。

「夏がくれば 思いだす〜〜」の出来事でした。
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2020年07月18日

涼しい

ここ数日東京は涼しくて昨日も長袖が欲しくなる気温でした。
今日も涼しいです。
こう涼しいと風邪をひく人も出てくるのでしょうが コロナとの区別がつかなくて困ります。
今は 発熱 咳ひとつにもおびえる日々なのです。

医者は相変わらずの混雑で ひところ嘘のようにすいていたのに
何だ?と思うくらい混んでいます。
だって 4月5月なんて今より 感染者ひどくなかったのに医者はすいていました。
みな おびえて医者に行くのをためらったからです。
ところが 慣れというのはおそろしい。
大丈夫ってみな思うのか 前のことは忘れたかのようにいつもどおりに戻っています。
街なかも普通に人は歩いているし 買い物もしているし外食もしています。
今は 感染拡大期じゃないの?って 思うのに 前より危機感は薄れているようです。

医者へ行ったのですが 混んでいました。
受付で聞けば 1時間半くらいあとに来てくださいでしたから 一度帰宅しましたが
行ってからさらに 30分は待ちましたから2時間待ちでした。
ソーシャルディスタンスもうまくとれていないです。
アルコールは置いてありましたが 呼ばれて中に入るのに ドアノブにさわるのがいやだったです。

別室から出てきた親子連れ。
子供が熱があって咳をしているようでした。
風邪ということなんでしょうが 万一を考えれば同じ待合室にいるわけにもいきません。
でも 診察するのは同じ部屋で 同じ医師だと思うと
いい気持ちはしませんでした。

精神的によくないです。
できれば 医者など行きたくないです。

医者と坊主は縁がないほうがいい・・・・・

本当に毎日涼しくて エアコンいらず。
もしコロナがなくてオリンピックがあったなら
こう涼しいと 東京でマラソンができたなぁ〜
札幌より気温が低いなぁ〜なんて思ったりもしますが
こればかりは 自然のなりゆきで仕方がないですね。

GOTOトラベルも東京除外ではじまるようですが
これは もう
GOTOトラブル だと思います。
何も今やる必要ないじゃないの。
政府はどうかしています。
4月に決定された緊急経済対策では、「感染拡大が収束し、国民の不安が払拭された後」に、GOTOキャンペーンを行う
ということでしたが
今 全然収束なんかしていないじゃないですかね。

西村氏は「5月25日に緊急事態宣言を解除した。その時の流行は収束させたと判断している」と苦しい言い訳をしているようです。

GOTOトラベルが トラブルになったときの責任の所在はどこにあるのでしょうかね・・
まぁ 私は都民ですし どこにも出かける予定もないですし 高みの見物的気持ちなんですが
もし 島しょ部が・・とか思うと心配です。
医療設備も医療従事者も十分ではないでしょうからね。

命あっての経済。
とどなたかが言っておられました。

そのとおりだと思います。
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2020年07月17日

タイムスリップ

タイムスリップできるなら いつの時代がいいかという問いに
「昭和」という答えが多かったそうです。

平成しか知らない人は「昭和」は穏やかで憧れの時代なのかもしれませんが
昭和は戦争があった ものすごく辛い時代だということを忘れてはいけません。
日本再生の時代でもありましたが それはそれでとても厳しい苦難の時代だったと思います。

昭和30年〜40年ころの高度経済成長期。
東京オリンピック 三種の神器 万博 ・・・・
環境破壊 公害 オイルショック・・・・
バブル景気 成金 地上げ再開発 そして
バブル崩壊 リーマンショック・・・
いろいろありました。

たしかに今から見れば 戦争を除外すれば「昭和」はいい時代だったかもしれませんね。

タイムスリップするとしたら
どの時代がいいかしらね。

古代は いや。不自由そうで。
戦国時代もいや。戦ばかり。
では 平安時代はというと
先日読んだ本では 戦も多かったし 地方の人は 貴人や京の人との差別がひどい時代だったとかで これも却下。
江戸時代。
これはちょっと 考えます。
平和な時代もあっただろうけれど 貧富の差が歴然だし 武家は不自由そうだし 火事や殺しがおおそうなので これもまた悩ましい。火事や飢饉さえなければ いい時代かもしれない。

明治時代は いいかなぁ〜
大正ロマンもいいけれど 地震あったしね〜
戦争もあったけれど 文明開化の時代だし 日本の変換期だし
明治の建物って すばらしいものが多いしね〜
暮らしもそう悪くはなかったようだし とにかく一度見てみたいという意味では
明治時代かなぁ〜

しかし 都会に限ります。
地方はまだまだ 文明からはほど遠い時代だったろうしね〜

和式トイレで洗浄便座がないのは ちょっといやかも。
電子レンジも エアコンもないだろうしねーー
やはり 便利さになれた 現代人は 昔に戻るのは難儀そうです。


でも ちょっとだけ体験するなら 明治・大正かしらね〜
意外と住みやすいかも。

「昭和」という選択肢は私にはないです。

近い将来を予測できるので それなりの覚悟も必要だろうしね。
歴史は変えられないというのなら それはつまらない傍観者になってしまう気がするから。

タイムスリップで 人生を変えられるなら
あの頃の私に 助言することは たくさんありますが
それで 今がもっと良くなっているか 悪くなるのかは
わかりませんね。

今を生きるのが精いっぱいです。
穏やかに 何事もなく それが一番。
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2020年07月15日

普通

高校普通科、3科に再編…「学際融合」「地域探究」の2学科新設容認

という記事を見ました。
いまだ よく理解できません。
なんだ?これ?
そんな感じです。

文系・理系などの枠組みを超えた「学際融合学科(仮称)」と地域社会の課題解決を目指す「地域探究学科(同)」

という説明がありました。余計わけがわからなくなりました。
一体何をどう学ぶというのでしょうね〜

単純に 理系進学科 とか文系進学科とかにしてもいいし
他に職業的な科は存在するのだし 地域探求科なんていわれると 何?地域の何を学ぶの?って
しか思えません。街おこし?伝統文化?
農業科 工業科 商業科・・とかいろいろあるじゃないですかね。

そもそも 普通科というひとくくりの考え方も時代錯誤なんでしょうから見直すのはいいことだとは思います。
何が普通?っていわれると 普通科というのは 進学のため就職のために教養を学ぶところで
専門的ではないことを学ぶところ。
どうもあいまいで 文科省の指導要領に従って いまや 進学のための勉強をするところなのでしょうが
みなが そういう基本的勉強をしているかといえば そうじゃなくて
ちゃんと 進学のための 特進コースだと理系コース 文系コースだの分かれていて
それなりに 普通とは違う勉強しているのです。
だから 普通科とひとくくりにするのも違和感があります。

母校も昔は 商業科 家庭科 普通科とわかれていたのですが
だいぶ前に 普通科だけになりました。
職業科に進学する人が少なくなったためだとか・・・・

私の時代でも 普通科は4クラスあって 理系国立進学 文系国立進学 私立理系・文系コースと
分かれていました。

この年になって思うのですが
技術を身につけることはとても大切なことだと思います。
独り立ちできるだけの手に職をつけるというのが 必要じゃないかと思うのです。
なにかあっても 手に職さえあれば 心強いです。

あいまいに普通に学び なんとなく進学して・・より 何か資格を持っていたほうが
いいと思います。
何であってもいいです。
技術 資格を持つことはこれからとたも重要なことなんじゃないかと思います。

なんとなく進学しても ろくな仕事につけないって人も多いです。
それよりは スペシャリストとして仕事ができるほうがいいかなぁ・・

普通科で普通に学ぶのもいいのですが
その後 どう生きるかはもし選択肢があるなら 私なら何か資格をとる生き方をしますね。
いまさら遅いのですが そう思います。

昔は友禅の絵付師になりたいと思ったり
看護師になりたい
教師になりたい
いろいろ夢はありましたが
どれもかなえられませんでした。
それほど強い願いでもなかったようです。
たら れば になりますが
何でもいいからひとつ手に職をつけていたら
また違った生き方ができたのかもしれないと思っています。

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2020年07月10日

ポテトサラダ

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」
という言葉がネットで話題になっていました。

スーパーで幼児連れの母親が ポテトサラダを買おうとしたとき
高齢の男性が
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」という言葉を投げつけたそうです。
男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
それを見ていた自分は娘を連れていたが 女性の目の前でポテトサラダを2パック買って
「大丈夫ですよ」と。。。。。

そんな投稿でした。

高齢の男性の言葉は 主婦ならカチンときます。
私なら 「何言ってんだ この爺い」って 思い 腹がたちます。
(今だから言えますが 若いころはどうだか・・・)

「母親なら・・」と「ポテトサラダくらい・・」の
繋がりが よくわかりません。

母親ならなんだっていうの?
子供のために 手間暇かけて 愛情をそそげというの?
愛情ってそういうもの?時代錯誤でしょう。

ポテトサラダくらいって いいますがあなた食べる人で その作り方すらしらないのでは
ないかと思います。

ポテトサラダは 付け合わせで そんなに大量に食べませんから
食べるほうにしてみれば そんなもん・・・という感じでしょうが実は あれは面倒なんです。

ジャガイモの皮をむき ゆでて つぶして 冷まして ニンジン入れるならそれも茹でて
ハムやキュウリを混ぜますが 付け合わせだから一口だからと
簡単に作れるわけでもありません。40分くらいはかかります。
その時間 子供と一緒に買い物をしたり 遊んだりしてあげられたら それが愛情というものでしょう。

だいたい つけあわせでジャガイモ1個じゃ少ないし
2個3個となると 食べきれない 中途半端なんです。

私も以前はせっせとポテトサラダ作りました。
じゃがいもたくさん使い ハムも1パックキュウリも1本丸ごとという感じで作っても
食欲旺盛な家族が何人かいればツケ合わせでもあっという間になくなりましたから
買うよりはるかに 効率的でした。

今じゃ作っても余るし 付け合わせで食べるだけなら 一口あればいいので 市販のものを買います。
なにもそれだけ 食べるわけじゃあるまいし・・・。

それを 「ポテトサラダくらい」という意味がわかりません。

きっと その手間がどんなものかも知らず 感謝もせず食べているのでしょうね。
意外と市販のものだと知らずに食べているのかもしれませんよ。

とにかく 女性は料理をする人 手作りが愛情だなんて 古いんですよ。
男尊女卑のなごりです。
母親なら 台所にこもりせっせと料理するより
子供の話聞いてあげるほうが よほどいいです。

焼くだけ 煮るだけ のメイン料理より ポテトサラダのほうが 面倒なんですよ。
御存じ?

昔と違って 働く母親が多いのです。
それぞれ事情があります。
それを何も知らず 子供の前で
「ポテトサラダくらい・・」はないと思います。

きっとこのじぃさん偉そうで
家では嫌われ者なんでしょうね〜

そんな風に思いました。
私は気が向けば 作りますが ほんの一口欲しいときは 迷わず買います。
暇はあるけれど 別に愛情もないしねーーー(笑)

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2020年07月07日

懐かしい味

福井から時々 荷物が送られて来て 中のものを見るのが楽しみです。
今回は 越前そばと地元の米味噌、福井産の梅干し かきもちなど。
おまけに 手に入りにくいだろうと アルコールや綿の手袋などもたくさん入れてくれて
ありがたいことでした。

越前そばは言うまでもなく 他のお蕎麦とは一味違うもので 大根おろしでいただく「おろしそば」。
昭和天皇が 来福されたとき「蕎麦」を食し たいそう気に入られそれ以来「あの越前の蕎麦が食べたい」と
言われたことから「越前そば」となったとか言われています。
本来蕎麦の実は黒い殻に包まれたもので 越前そばはその黒い殻ごと曳くので 色が黒いのですが
風味があってとても美味しいのです。
福井に住んでいる人は 蕎麦と言えば この黒い蕎麦に 大根おろしの汁なので
東京に出て来て 真っ白の蕎麦を見たときは 小麦粉か?うどんか?そうめんか?と驚いたものです。
おまけに汁が 黒くてしょっぱいとくるから 全く好みではありません。

関東で うどんやそばを食べれば 汁が黒くてしょっぱいので 関西系の出しの効いた 薄い色の汁がなつかしくなります。

梅干しも 地元産の梅で 赤しそを使って漬けてるので これまた市販のものとは一味違います。
母が生きていたころは 毎年瓶に大量につけて 送ってくれたので 1年間それを頂いていたのですが
亡くなってからは 地元の農家がつくる手作りパック入りを送ってくれます。。

子供の頃は 屋根に梅を干して 赤いしそを干してという年に一度の光景があって
塩が吹いたしそなどを裏返したりした 記憶があります。
梅酒も手作りで 氷砂糖と焼酎でつけていましたっけね。
甘くて美味しい梅酒は 子供でも飲みたくなるものでした。
漬けた梅をかりかりかじるのも 楽しみの一つでした。

味噌は近所に味噌やがあって 自家製ではなくてそこに買いに行きました。
しょうゆも味噌も 買いましたが
この醤油と味噌も 関東の味とは違うのです。
醤油はどちらかといえば 薄口しょうゆ。
味噌は 米麹の味噌。
市販では味わえないもので 味噌だけはずっと送ってもらっています。

そういえば インスタントラーメンなんかも西と東じゃスープの味が微妙に違うように作られているそうです。
それぞれ好みが違いますからね。
一度 福井でインスタントラーメンたべたとき ああ〜これのほうが美味しいって思いました。
慣れた味が一番いいです。
関東の汁は 黒くてだしもきいていなくて ただしょっぱいです。

子供のころは 商店街に「昆布やさん」というのがあって
いろいろな昆布があって 店でおじさんが 好みの昆布をつくってくれました。
黒いの白いの まだらの・・粗目から細かいとろろ昆布。
長い昆布をひっかけて 足で押さえてでかい包丁で シュッシュッと曳いて作っていました。
面白くて 昆布を買いにいくのが楽しみでした。
量り売りでしたのでいろいろ買えました。

昔はクジラやさんというのもあって
クジラの肉をカツにした クジラカツというのを兄が好きでよく買いにいかされました。
私は好きではなくて あまり食べませんでした。
その後 すぐにクジラやさんは なくなってしまいました。
今じゃクジラなんて高級でなかなか食べられないようです。

港町ですので 魚屋さんの店先では 魚をまるごと串に刺して 炭火で焼いたものを売ってくれました。
注文して出来上がるころには 買いにいくと 串刺しのサバやアジなどが丸ごと焼けていて
それを持ち帰り 夕食に食べました。
そんな魚屋さんも今では少なくなったようですが 福井は共働きが多いので スーパーのお惣菜は
豊富で充実していて よく売れています。
それこそ なんでもありですかね〜
食べるには困らないところです。

なんでも美味しい。
米も水も 野菜も魚もです。
美味しいものに恵まれてすごすのは 一番幸せなのかもね・・・・・。
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2020年07月03日

特別給付金

昨日 ようやく 一人10万円の給付金が振り込まれていました。
正式には 特別定額給付金と言うそうです。
五月中に申請したので 約1か月かかったわけです。

エアコン買ったので すぐ引き出しました。
口座には1日しか なかったというわけ。
もっとも 政府は口座に残すより使ってくださいというのですから
お望み通りです。

すぐ消えてしまったので 願わくはもう一度欲しい・・・・・。

GO TOキャンペーンなんて ちょっと時期的に難しいのじゃないでしょうか。
コロナ感染拡大しそうな感じなのに みなさん地方に旅行しましょう!なんて
空気読めない政策としか考えられません。
ステイホームはまだまだ必要じゃないでしょうかねーー

福井に電話すれば 観光地には 車と人がたくさんで また感染者が出るのではないかと
不安だと言っていました。
こっちは 不安通り越して あきらめムードですと 言いました。
もうこうなったら 自衛。出かけないことが一番です。

4月5月を忘れたかのように 開放的になって
あちらこちらと 飲み食い 出かけるなんて 怖くてできません。
人に会うことも 医者に行くのもいやなのに
よく 人ごみに出掛ける気になるなぁ〜と 思います。


東京は 都知事選の最中なのですが 選挙ムードはいまいちです。
感染拡大しているのに 街頭演説で人を集めているのも 
密にならないようにに反していますしね〜

3歳の子まで 保育園で 「ソーーシャルディスタンス!」とお友達に言うそうで
驚いたり 笑ったり 感心したりしています。
いやいや 子供は一緒に遊んでいいんだよ。

選挙ですが 私が住んでいるところは 静かなものです。
選挙があるたび 本当に選挙中なんだろうかと 思うくらい選挙カーがまわってきません。
どちらかというと オフィス街で住民が少ないせいもあるのでしょうが それにしても忘れられた地のようで なんとなく寂しい気がします。
誰に入れるか決められないときなど 一番先に 来た人に入れようか・・なんて
考えたこともあります。

もっとも通りを選挙カーが通っても ほとんど聞こえないのです。
大通りに面していますが 騒音はほとんど聞こえません。
そのかわり 時折 ヘリの音が聞こえます。
なにか事件があると 取材ヘリの音がうるさいです。
ハエみたいなしつこさで ヘリが飛びます。
羽田の飛行機の音は ほとんど聞こえません。
わりと静かな環境です。

また コロナ感染者が増えてきて
心配な毎日です。
検査数が 一日2000件以上に増えているということで 陽性者が見つかるのが多くなっているということも
ありましょうが 特定地区だけではなくて 無症状で市中感染するのが困ります。

学校も始まったし でも学校でも感染者が出ているし 通勤ラッシュもあるしで
まだまだ 治まりそうもないですね。

自衛するしかないです。
これまでどおり ひきこもりします。
posted by うめのはな at 16:07| Comment(6) | TrackBack(0) | エトセトラ

2020年07月02日

童の神 読了

童の神  今村翔吾/著  を読み終えた。

2018年に発表した『童の神』は「角川春樹小説賞」を受賞、第160回直木三十五賞候補作。
(『じんかん』今村翔吾/著  第163回直木三十五賞候補作)

童の神
今村翔吾/著 
東京 角川春樹事務所 
ハルキ文庫

内容(「BOOK」データベースより)
「世を、人の心を変えるのだ」「人をあきらめない。それが我々の戦いだ」―平安時代「童」と呼ばれる者たちがいた。彼らは鬼、土蜘蛛…などの恐ろしげな名で呼ばれ、京人から蔑まれていた。一方、安倍晴明が空前絶後の凶事と断じた日食の最中に、越後で生まれた桜暁丸は、父と故郷を奪った京人に復讐を誓っていた。そして遂に桜暁丸は、童たちと共に朝廷軍に決死の戦いを挑むが―。差別なき世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りの詩。第一〇回角川春樹小説賞(北方謙三、今野敏、角川春樹選考委員大激賞)受賞作にして、第一六〇回直木賞候補作。

単行本で出たときに読み逃したので 今回 文庫本で読みました。

平安時代の酒呑童子伝説をベースに、「鬼」「土蜘蛛」など京人から蔑まれた者たちの戦いを描いた物語ですが 安倍晴明、藤原保輔、渡辺綱、坂田金時、茨木童子、酒呑童子など 平安時代の名まえだけは知っているという人物が登場します。

越後に漂着した異人の娘を母とする 桜暁丸は 青い目 赤い髪 大柄。越後を追われ 京へのぼりますが
人と違う容貌で迫害され放浪。
平安時代、見た目や生まれ、血筋などで京人から化外の者と蔑まれ壮絶な迫害を受けていた者たちが 他にもいた。
鬼、土蜘蛛、滝夜叉、山姥、 などは 「童」と呼ばれ忌み嫌われていた。

人も童も流れる血は同じ赤なのに、なぜ童だけが虐げられなければならないのか。
京を追われた「童」たちは京を離れ 山中に安住の地を求めた。
しかし そこにも朝廷軍が討伐に来る。
共に度々来る朝廷の討伐軍に対抗するため 戦いを挑みます。

同じ出自の足柄の坂田金時も登場。しかし彼は 朝廷側につく。
最強の武人渡辺綱ら頼光四天王を配すなど 伝説もからめて 読みごたえのある内容になっています。

京人から化外の者と恐れられ 蔑まれ迫害を受けた「童」たち。
恨みを捨て 融和をはかろうとしますが 貴人たちは それを受け入れられません。

朝廷は 桜暁丸を 酒呑童子 と呼ぶようになります。

安住の地を追われ 追われて 「大江山」に結集する 「童」たちを 根絶やしにしようとする 朝廷軍。
朝廷軍との長い戦において 切られ 「流れる血の色は皆同じ!」と差別なき世に変えるため命を懸けて 死の間際まで平等を叫んで散っていった童たち。

千年後には人を色分けしない心が 民の中で目覚める事を信じる、と桜暁丸は言った。
言葉通り 千年後の今は はたして差別がない 世の中になっているだろうか・・・・
この本を読んで 考えさせられました。

人は 肌の色 出自 見た目だけで 差別していないだろうか・・・
遠い昔の 京の人のように 口にはださないが 怖れがないだろうか。
昔話で 赤鬼 青鬼と言われ恐れられてていたのは 鼻の高い 大柄な異人さんだったのでしょうね〜
小柄な日本人から見れば 肌の色も違ったでしょうし 鬼伝説もそうなんだろうな〜と 納得。

世界のどこかで 原住民を迫害してきたという歴史があります。
長い歴史の間に 同じことが行われてきたようです。

人は 自分とちがうものを 忌み嫌い 迫害しがちです。
異種のものを受け入れがたいという そんな風潮になってはいませんか?
村八分なんて 典型的な風習でしょう。

現代は 自分は と考えさせられました。

平将門や安倍晴明 坂田金時なども 登場して 盛りだくさんですが
恨みを捨て融和を目指すというテーマがあって この本の重さがうかがえる内容です。
しかし 陰陽師 安倍晴明 さんと 金太郎さんこと坂田金時のイメージが崩れ去ったのは 言うまでもありません。


久々に 読み応えがあり 面白かったです。
夢ではなくて 読んでいるときは 脳内で 平安時代にタイムスリップしてしまいました。
タグ:読書
posted by うめのはな at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書