2020年03月20日

三行半

時代物の小説を読んでいて 江戸時代の離婚の様子を知ることができました。

「三行半」(みくだりはん)
この言葉は 知っていましたし 離縁状のことだとはわかっていました。
詳細は知らず 3行半程度の短い文だったとしか知りませんでした。

ぐだぐだと 離縁の理由を書き連ねても 一方的な愚痴でしかないし 離婚の理由など
子ができないとか 性格の不一致とか 素行が悪いとか そういうものでしたし
そこで簡潔に書いたのが 「三行半」。


また別の説では
「江戸時代には字を書けない人も多く 3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより離縁状と同等の取扱がされていたため、庶民の間では三行半(みくだりはん)という呼称が広まった。」とありました。


江戸時代の離縁状は 三行半(みくだりはん)で書くものとされていて 
@離縁すること、A妻の再婚の自由を認めること
この二つが きちんと記されていました。

離縁状を出さず、または もらわずに再婚すると重婚罪に問われました
重婚罪というのは 現在も同じです。

内容的には一般的に
「我等勝手二付き」 という言葉です。
勝手きままというのではなくて 当方の都合により というような使い方でした。
後日 他へ嫁ぐことになっても異存はない そのような言葉も書かれました。

3行半程度の 短い文で それぞれの名と 爪印が押されていました。
爪印というのは 親指の爪の縁に墨を塗ってつけた筋状の印。
平民は朱を使うことはなかったそうです。

現代は離婚届が夫婦連名で提出するのとは違い 江戸時代の離縁状は夫の単独行為でした。

江戸時代の離婚は 男のほうからしかできないというのは 不公平なことでした。
「我等勝手二付き」という一文には
妻の無責任性を表示するという意味もあって
男子の面子を保つという、男尊女卑の立場を示していたとも解釈できます。

今も昔も 離婚と言えば お互い納得できない場合もあって
そこは 弁護士をたてて話し合いということになるのですが
昔は 公事人と言われた 江戸時代に存在した訴訟の代行を業とした者がいました。
大岡越前ではないけれど 白州裁きのような犯罪ではない もめ事を
仲裁する役目。家裁のような感じかも。。。
そのため 公事人宿と言って
公事訴訟や仲裁のために地方から来た者を宿泊させた江戸時代の宿屋もありました。

こうみると
江戸時代はそれなりに すぐれた組織もあったのですね〜

時代物の本を読むと いろいろ勉強になります。

しかし 男のほうからしか離縁できないという不公平な仕組みは おかしいです。
そのため
女が離縁したくて 逃げ込んだ 「縁切寺」というのがありました。
「縁切寺」
「江戸時代において、夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する」wikiより

いずれにしても 不公平な時代でした。

今は 妻のほうから 「三行半」というのも ありますからね〜
世の中 変わって いい時代になりました。
posted by うめのはな at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | エトセトラ