2019年07月31日

配偶者の呼び方

今日の記事をよんでいたら男性が 配偶者をどう呼んでいるかで、その男性へのイメージというのもだいぶ変わるというようなことが書いてありました。

男性配偶者のことを 主人 旦那と呼んだり 女性配偶者を嫁というのは 男尊女卑の流れをくんでいると なにかのリーフレットに書いてありました。

旦那さん 奥さん というのは普通のことのように思えるのですが ・・・

関西では妻を嫁と昔から言うようだし お笑いでも うちの嫁が〜とか 嫁はんが〜とか言っています。
東京では嫁なんていわなかったようですが テレビの影響で東京でも増えてきたかもしれません。
「うちの嫁」と呼ばれたくない人が多いそうです。そりゃ私もいやだわ・・
上から目線だし えらそうだし 何も あんたの家と結婚したわけではない!

大辞林によると
・よめ【嫁・娵】
1.息子と結婚した女性を、親の側からいう語。息子の嫁。

女の家と書いて 嫁ですので 嫁ぎ先の 義父母が 嫁というのは おかしくないですが
男性配偶者が 嫁 というのは おかしいということです。
今は 家に嫁ぐという意識は少なくなりましたしね〜

・おくさん【奥さん】
他人の妻を敬っていう語。「――によろしく」。

今どきの 女性は奥にはいませんし 自分の配偶者を 奥さんというのは やはりおかしなことです。

でも うちの 奥さんが〜とかいいますよねーーー。

・かみさん【上さん】
1.商人・職人などの主婦をいう語。また親しい間柄では、自分の妻をいう場合もある。「魚屋の――」「うちの――」 

「コロンボ」で 「うちのかみさんがねー」って 言っていましたが 配偶者は家の中では「お上」だ。これは女性への敬意をを持って、自分より 上に見ている すぐれているということらしい。謙虚な呼び方なんでしょうね。

・つま【妻】
配偶者である女性。 

自分と対等に見ている人は うちの妻は・・というようないいかたになるそうです。

・かじん【家人】 
同じ家で一緒に生活している人。家族

妻よりももっと フラットな関係。

同じ家で生活をしている人のことですから これっぽっちも上下関係のない言葉だそうです。

・あいかた【相方】
相手。相手方。特に、三味線の伴走者。また、万歳などの相手役。

漫才の相方なら普通なんですが 配偶者のことを 相方なんていうと 違和感を覚えます。
どういう考えで 相方なんていうのでしょう。覚めた感じがしてしまいます。

・パートナー【partner】
1.ダンス・競技などの、二人で一組となるときの相手。
2.仕事などを共同でするときの相手。
3.配偶者。 

特殊な関係の 配偶者なら パートナーなんでしょうけれど
これを 平気で 私のパートナーですなんて 言われると ずっこけてしまいます。

一般的に 女房 という言い方もあります。

もともと 女房は「女官の部屋」という意味で  平安中期以降、女官の部屋の意味から、私室を与えられた高位の女官、貴人邸に仕える上級の侍女をさす言葉です。主人の身辺を世話する係でした。 男性が 女性配偶者を 女房というようになったとか。親しい間柄なら 「うちの女房が」などということはあっても 相手が目上の人の場合は 自分の妻を 女房というのはマナー違反だそうです。
女房って言葉も 男尊女卑の言葉なんですねーー

連れ合いとう言葉もありますが 年配者が使う言葉です。
長年連れ添ったという 感じです。

呼び方なんて個人の自由でどうでも いいんですけれどね・・・

そりゃ 名前で呼び合う夫婦もいれば子供が生まれると お父さん パパと 呼ぶ夫婦もいます。
そのうちカカアとか おい とか あんた とか おまえとか・・・

呼び方には自分の配偶者をどう位置付けているかが透けて見えるそうです。

え〜
では 女性が男性を 呼ぶときは・・・
旦那 主人 夫 あなた あんた ちょっとーーとか 名まえでとか 。。。
あとなんだろう?

できるだけ 使いたくないのは 旦那さん と 主人 かなぁ〜
わたしあんたの 下女じゃないもん!!

そのうち じじいになるかもね〜

「お前百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪のはえるまで〜」
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2019年07月29日

味の思い出

本格的に暑くなってきました。
こうなるともうお手上げです。
どこにも出かけたくありません。
ひたすら ひきこもりを決め込んで 家の中で読書。
でも 最近は詠むスピードも衰えて 1日に1冊がやっとです。
目が疲れるのと すぐ眠くなります。
昼でも 横になって本を読むと  眠くなります。
昼寝をしても 夜はぐっすり眠れるのだから 不思議なものです。
よく 昼寝するとよる眠れなくて〜と言いますが そんなことはないです。
むしろ 一日あれこれと忙しかったり あたふたしているときのほうが 寝つきはよくないです。
人それぞれなんですね〜

夏はアイスを食べます。
おやつというのは ケーキや 和菓子というものは普段買い置きもしていないし もらいものくらいしか
食べませんが アイスは 買い置きをしていつでも 食べられるようにしています。
一日1個ですが 食後の口直し程度に食べています。

子供の頃 田舎に住んでいたとき 実家の目の前に アイスキャンディやさんがありました。
アイスキャンディというように 固い氷のアイスバーです。
もともと そこは アイス屋さんでは なくて 氷を造ったり 冷凍ものを扱う小さい店舗でしたが
夏だけは アイスキャンディを造って売っていたようです。
広いコンクリートの作業場の一番前に アイスキャンディー用の冷凍BOXを置いて 小売りしていました。
自宅前ですので ほとんど毎日 なにかしらのアイスを買いました。
赤いの 白いの 黄色いの いろいろ そしてあずき・・・
あずきは ちょっと高いし そう毎日食べられるわけではなかったです。

時には おばさんが 内緒で1本くれたりもしました。
あの色が 何だったのかはわかりませんが 甘くて美味しくて そんなことなど考えもせず食べました。

夏の思い出と言えば そのアイスキャンディと 飴湯。
田舎で食べたようなアイスキャンディには いまだ 他でお目にかかったことはないです。
硬さがぜんぜん違って 「これ アイスキャンディとは違う」そんな風に思えます。
子供だったから 硬く感じただけかもしれません。

飴湯。
これは 夏の海水浴で 「子供の家」という子供は無料の海の家で 配られたもの。
学校行事で 海水浴に行ったあと 全員に配られる 暖かい飴湯。
水あめを 湯でといて ショウガの香りを薄くつけたものだそうです。
これが 体があたたまり 元気がでる飲み物でした。
自宅で 作っても同じ味にはならなくてね〜

飴湯と称して売っているものは ショウガがきつかったり 甘みがきつかったり そもそも飴の味が違っていたりで
これもまた 同じものに出会ったことはないです。

子供の頃の味の記憶というものは 忘れられないものなのです。
お寺の境内で 露天商が出て 水あめを売っていました。
その飴を 2本買って くっつけて棒をまわして 練ると 黄金色の飴が白くなっていって
また格別な味になるように思えて みなそうやって食べていました。
あの飴も 他では味わえない なつかしい味です。

老婆が毎年どこからかやってきて 大きな樽に入った飴を 棒にまきつけて売っていました。
飴に酒粕に挟んで 食べるの美味しいらしく 大人はそれを買っていました。
我が家も 祖母が来るときはいつも それを手土産に持ってきてくれました。
飴売りの老婆も 祖母もいなくなって その飴を引き継ぐ人もいなかったようで
食べることができなくなりました。

金沢などで 米飴を買うのですが全く違うものでした。
もちろん そんじょそこいらの水飴とは別物です。


おそらく 海水浴場にあった 飴湯 も 同じあの水飴だったのだろうなぁ〜と
思っています。

世の中に 美味といわれるものは 数多いけれど
アイスキャンディと水飴は
なつかしくて 二度を味わうことのできない 思い出の味で わたしにとっては絶品の味です。
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2019年07月23日

大阪の陣

いつまでも じめじめとした日が続き しおれた菜っぱのように ぐったり感を感じています。
気温はそう高くはないのだけれど 湿気が多くて エアコンはフル稼働。
蒸暑さを我慢できるほど 丈夫ではないので 日がな一日 涼しい部屋ですごしています。

選挙という 戦いが終わりました。
選挙期間中だとは思えない しずかな日々でしたので さほど意識することもなく過ぎ去りました。

まぁ 東京選挙区は面白かったですが 昔ほど キワモノが出ていなくて 面白味は半減でした。
昔は いろんな人がいて 楽しかった気がします。

ともあれ現代の 夏の陣は終わり。

最近 「大阪の陣」という本を読みました。

タイトル  大坂の陣 
     岡田秀文/著 
出版者  東京 双葉社
出版年  2019.6

「賎ケ嶽」「関ケ原」につづく豊臣興亡記完結編
関ヶ原の戦いの後の 家康 秀頼。
家臣たちは どう動き 何を目論見 どちらについたか。
駆け引き 思惑 それに対する 家康の動き。
大坂冬の陣・夏の陣を そんな 武将たちを描いています。

岡田秀文さんの 本は好きで 他もたくさん読んでいます。
歴史ものが多いです。

関ケ原 家康 夏の陣 冬の陣など たくさんの本が出ています。
歴史は変わらず どんなふうに描くかが 面白いところです。

それにしても 戦いというのは バカらしい。
人の命が軽すぎる。
戦国の世とはそういうものかもしれませんが 命の重さなど ひとたまりもない。
読んでいても むごいものだなぁ・・と。

平民の命など たとえその一人一人に 家族があり 生活があっても 虫けらのようにしか扱われなくて
悲しくなる。

そんな世に 生まれなかったことに ホッとしてしまいます。

ところで 大阪というのは なぜ 大坂から 大坂に変わったのか・・調べてみました。

室町時代、蓮如上人の『御文章』に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が最古の文献となる。 「大坂」は「オオザカ」と呼ぶことが多かった。
古くは浪速または難波と呼ばれていたが、緩やかな坂が多かったことから「大坂」と称されるようになったという説もあります。大政奉還により天皇に実権が戻った明治時代に入ると、大坂の名称は「大阪」と改められたらしいです。

明治に入って「大阪」となった理由として
坂が土に返るで縁起悪いからとか 明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読め 
ることから「坂」の字を嫌ったともいわれています。
本当のところは どうなんでしょうね。

では
江戸という地名は?
「江戸」という地名は、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』が史料上の初見で、おおよそ平安時代後半に発生した地名であると考えられている。と書かれています。

江は川あるいは入江とすると、戸は入口を意味するから「江の入り口」に由来したと考える説が有力らしいです。
江戸は 、武蔵国と下総国の国境である隅田川の河口の西にあり、日比谷入江と呼ばれる入江が、江戸城の間近に入り込んでいて 品川あたりも 入り江でした。

水の都と言えば 聞こえはいいですが 昔は 湿地の野原が広がる 辺境の地だったわけです。

大人になってから こういう歴史ものの本も 面白いと思うようになりましたが
昔は 歴史なんて つまらない ただ 試験のために年表を覚えるだけ という感じで つまらなかったです。
もっと 興味深く 面白い授業だったら 関心も深まるかと思います。
本やドラマを見るのも いいかもしれませんね。

遠き昔の 人々の暮らしや 思いを知ることもできますし・・・
自分をその時代に 置いて今の暮らしを考えてみるのも また いいものです。
私など 面白い本は すぐ 脳内タイムスリップしてしまいます。

本はいいなぁ・・・。
タグ:読書
posted by うめのはな at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書

2019年07月18日

コーヒーの話

今は コーヒーのカフェインを控えているので コーヒーは飲んでいません。
たまに カフェインレスコーヒーなら たまに飲みますが 時々 本当に美味しいコーヒーが飲みたくなる時があります。

外国では カフェインレスコーヒーの「デカフェ」が当たり前のように普及しているのに 日本はまだまだです。
デカフェなんて 普通のコーヒーショップでは 見かけません。

映画やドラマなどで 外国人はコーヒーをよく飲んでいる場面がありますが あれがもし カフェン入りだったら ちょっと弊害がありそうです。
以前 コーヒーは ○○にいいとかいう健康法が紹介されたりして 馬鹿正直に 一日何杯ものコーヒーを飲み続け 利尿効果もあって 体を壊した人もいます。
そりゃ カフェインをたくさんとるからなんです。

何杯も飲むなら デカフェじゃなきゃ ダメですね。
ぼちぼち 高級スーパーなどでは カフェンレスコーヒーが 売り出されるようになりましたが お店でも カフェインレスが普及してくれないかなぁと 思っています。

カフェで 注文に困るんです。カフェンレスのコーヒー 紅茶は ないのです。
温かい飲み物で 飲めるのは ルイボスティくらいしかなくてね〜
自宅では カフェインレスの紅茶を飲みますが どうも出かけて 御茶する気にならないのは
飲み物に困るからです。
じつは 緑茶も控えているのです。
食間なら飲めるのですが 癖になりそうで どうしても・・・というとき以外は控えています。

食事時は たいてい 麦茶 はと麦茶 時々 ほうじ茶。
こんな ところです。
薬の関係で グレープフルーツジュースもダメだし 好きなんですけれどね〜
人生の楽しみが だんだん少なくなってきました。

銀座SIXに すごいコーヒーショップができて 行ってみたいと言われ 調べてみたら
ボトルキープ制で 10000円から・・とか 書いてあるだけで 近寄りがたいと思いました。

まぁ 銀座ですからね〜

今までで 美味しいと思ったコーヒーは やはり ダッチコーヒーですね。
「山の上ホテル」 ヒルトップの 水出しコーヒーは本格的なもので
絶品。香り コク 後味 これは美味しいコーヒーです。
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1台につき2リットル、合計6リットルを約10時間かけて抽出するそうです。「水出し」ですが上部に氷が入っています。
コーヒー豆の酸化を極力抑えるためだそうです。
豆本来のおいしさが抽出されて カフェインも少なくなるので私でも 飲めます。
また 飲みに行きたいです。(760円)
現在山の上ホテルは 改修工事のため11/30まで 休館中です。

時々 無性にコーヒが飲みたくなる時がありますが そこは 我慢。
そして あのダッチコーヒーに優るコーヒーに出会いたいものです。
銀座のコーヒーがそうなのかもしれませんが・・・・
敷居が高いです。
タグ:グルメ
posted by うめのはな at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年07月16日

ときぐすり

3連休も終わり ちょっとのんびり過ごしています。
来客アリの 連休でしたが 非日常の楽しい日々をすごしました。
雨降りのじめじめした日々ですので 布団乾燥機フル活用で いろいろ準備したりしました。
雨降りばかりで 困ります。

再び 単調な日常がはじまります。
何か起こるより 単調な日常がいいのですが 時として 刺激も欲しい日々です。

選挙期間中だというのに 選挙カーはこないし 静かな毎日。
どんな人が 出ているのかやっと届いた公報ではじめて知るという 選挙戦というには 穏やかな界隈です。

義務だから 選挙にはいくつもりです。
決めた人もいないし こういうのを浮動票というのでしょうね。
いつも お願いしてくる人も最近は とんと電話すらかけてこないので 諦めたかな〜と・・。

しかし 今年は涼しい日々が続きます。
千葉市では はやばやと13日から 夏休みになったそうですが
昨年の夏から比べたら 涼しくて あてが外れたという感じでしょうね。
あまりの暑さで 今年は早めの夏休みらしいですし 教室へのエアコン工事を急ぐためだそうです。

エアコンなしじゃ 暑くて たまらないですものねーー

でも 私が子供の頃は エアコンなんて 学校にはなかったし
家でも 一部の部屋にしかなかったです。
いまじゃ 各部屋にないと 暑くて眠れもしないです。

昔より暑くなった気もしますね。
特に コンクリートの街じゃねーー
それよりも エアコンの排気そのものが熱風で 温度が上がっている気がします。
みなが エアコン使えばそれだけ 気温もあがるというわけです。

「ときぐすり」
本を読んでいたら そんな言葉に出会いました。
いい言葉だなぁ〜と。

時間が ゆっくりと 心の傷をいやしてくれる。時間をかけて 人はもとに戻っていく。
時間が 治してくれるという意味です。

病気でさえ 時が自然に治してくれるものもありますしね。
風邪なんてのは 薬より 自然治癒なんですね。

ときぐすり
いやなことも 忘れたいことも時とともに 心がいやされ 治癒していく。

でも 心の傷って なかなか忘れられません。
トラウマになったり PTSDになったりもします。
それでも ゆっくりと 人は 立ち直ることができます。
それが
「ときぐすり」

一生に 何度かの 「ときぐすり」で
だんだん 強くなっていくのでしょうね。

若いころ 腹がたっていたことも 年を取るにつれて
しかたないなーになって
そのうち 恨みつらみも消えてしまう。
そして おだやかに 年をとれればいいです。

これもまた 「時」のなせる技なのかもね。
posted by うめのはな at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年07月11日

鎌倉大仏 長谷寺 鎌倉散歩

銭洗弁財天から大仏ハイキングコースに戻ります。終点まではは約2km、30分強。
起伏のあるハイキングコースです。
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そこから高徳院まではさらに、5分程度の距離です。
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高徳院といえば、鎌倉大仏。
この大仏様のお顔は 穏やかで慈悲に満ちていて ハイキングの疲れを癒してくれます。
男前のお顔。正式名称は阿弥陀如来坐像。鎌倉唯一の国宝仏です。
これは修復前の大仏様です。
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だいぶつさまの 後ろ姿もいいですねー
結構好きです。
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胎内見物もまた いいですよ。

高徳院から江ノ電「長谷駅」に向かう途中に長谷寺はあります。
高徳院から 長谷寺までは すぐです。
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創建736年の歴史あるお寺で 日本人にも外国人にも 人気のお寺です。
長谷寺は広い境内に見所がたくさんありますが 花のお寺としても有名です。
四季折々の花が きれいです。
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庭園も美しいです。
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境内には 大黒天や地蔵様などもおられます。
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和み地蔵様。
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傾斜に建てられている寺院のため展望スポットもあります。
時間をかけて ゆっくり参拝すると いいですよ。

長谷寺を出ると 江ノ電「長谷駅」なのですが ここからまた少し歩いて 坂の下にある 「星の井」に行きました。
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虚空蔵堂の下にある「星ノ井」は、別名「星月ノ井」又は「星月夜ノ井」と呼ばれ、鎌倉十井の一つ。
この辺りは山はうっそうと木々が繁り、昼でも暗かったため、井戸を覗くと星が輝いて見えたという伝説から「星月夜」と呼ばれたそうです。
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「われひとり鎌倉山をこえゆけば星月夜こそうれしかりけり」という古歌にも詠まれ、鎌倉の枕詞となっています。
星ノ井の上にある虚空蔵堂(星井寺)は、行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られている御堂といわれています。
行基が井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建て虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空蔵堂といわれています。

「極楽寺にいたるほどにいとくらき山間に星月夜というところあり」と『北国紀行』に記している。法印堯慧。
ということで 極楽寺へと 歩をすすめました。
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極楽寺
1259年に北条重時が創建した古刹で、鎌倉では唯一の真言律宗です。
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全盛期には、金堂、講堂、十三重塔などの伽藍のほかに49の塔頭を備えた大寺院だったが、合戦や火災、地震等により、今ではただ一つ残った吉祥院が本堂となっています。
桜がきれいなお寺です。
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極楽寺駅は目の前です。
江ノ電に乗って「鎌倉駅」に戻りました。(この写真は 当時のもの 今も走っているかどうかは???」

鎌倉駅から 小町通りに入りました。すごく混んでいて 失敗したと思ったけれど 買い食いしたり お店をみたりで結構楽しみました。
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最後は 鶴岡八幡宮で締めました。

境内はすみずみまで 巡り参拝しました。写真もたくさん撮ったけれど 省略。
いちにち 鎌倉ですごし 山歩きをし あちこち巡ってもまだ4時ころで 帰宅ラッシュにあわずに早めに帰宅することができました。
いい お散歩でしたので また鎌倉に行きたいです。

余談ですが
鎌倉は 大人気のようで このブログも鎌倉がテーマだと 一日のアクセス数が1000を越えていて ちょっと驚きました。
いつもの倍です。
ブログ 1も 2も 同じくアクセス数がかなり増えていてそれぞれ1000近いです。いつもは半分くらいです。

やはり このブログは 散歩ブログなんだなぁ〜と しみじみ・・・
出掛けられなくて ごめんなさい!
posted by うめのはな at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 都外

2019年07月09日

「葛原ヶ岡(源氏山)・大仏ハイキングコース」3

葛原ヶ岡公園から急坂をを下っていくと、やがて右手に銭洗弁天に通じるトンネルの入口が見えてきます。
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第二次世界大戦時 砲台を築くため掘られた 隧道。
まるで 異世界への 入り口のようです。
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トンネルを抜けると 白木の鳥居が並んでいます。
朱塗りの鳥居は たくさんありますが 白木の鳥居は珍しいのでは?
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銭洗弁財天宇賀福(うがふく)神社
平安末期、鎌倉は災害が続き貧困にあえぐ庶民のために,源頼朝が世の救済を祈願したところ。
「巳の年の文治元年(1185)の巳の月、巳の日の巳の刻、宇賀福神から「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」と源頼朝の夢にお告げがあり、そこで源頼朝はこの地に社を建てて宇賀福神を祀った。その後、世の中の混乱は収まったと伝えられている。」

境内は三方が崖に囲まれていて、ちょっとした異空間。
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奥宮
宇賀神と弁財天が祀られている洞窟
銭洗弁財天銭洗弁財天 奥宮でお金を洗います 。
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鎌倉随一の金運パワースポット。ここで湧き出る霊水は「銭洗水」。
霊水でお金を洗うと倍になると言う信仰が生まれた。鎌倉五名水の一つである。
この洞窟の奥宮は 日本神話に登場する水の神様・市杵島姫命が祀られています。
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浅ましい気持ちを捨てて 御祈願。
巳の日に参拝すると ご利益があるそうです。
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摂社「七福神社」七福神をお祀りしています。(恵比寿、大黒、毘沙門、弁才天、福禄寿、寿老人、布袋)
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摂社「下之水神社」
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「下之水神社」と「上之水神社」がありますが 
石段を上がった高いところに「上之水神社」はあります。
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銭洗弁財天 から 大仏コースを下っていきます。
タグ:神社・寺院
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2019年07月08日

「葛原ヶ岡(源氏山)・大仏ハイキングコース」2

浄智寺の山門を入り しばらく歩くと 源氏山ハイキングコースに続く道になります。
「源氏山まで600m」という標識があります。
石段が終わると 土の道になります。
ここからが 本格的なハイキングコースです。
獣道のような道をひたすら登ります。木の根に足をかけ すべらないように歩きますがけっこうキツイです。
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険しい切通しの崖などもあります。
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けっこう急な山道ですので パンプスやヒールはやめたほうがいいでしょう。
距離は短いですが 起伏に富んだいいコースです。
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緑のさわやかな空気を味わいながら歩くのも 心地よいです。
浄智寺から1kmほどで あたりが開けます。
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葛原岡神社です。
葛原岡神社は明治21年に創建された神社で、南北朝時代に南朝の後醍醐天皇に仕えた日野俊基(ひのとしもと)を祀(まつ)っています。境内には俊元の墓所があります。
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近年は縁結びの神社として知られるようになりました。境内には「男石」と「女石」が並ぶ縁結び石もあります。
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あたりは 公園になっていますから 休憩にはいい場所です。
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葛原ヶ岡公園といいますが、それに隣接する、源頼朝の像がある方を源氏山(げんじやま)公園といいます。
源氏山公園には 源頼朝像があります。
いずれも 花見の名所です。
かなり高いところに登ってきたようですが山頂はすぎています。
一番高いのは「天柱峰(標高97メートル)」です。
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鎌倉にはいくつかのハイキングコースがありますが ここは 「葛原ヶ岡(源氏山)・大仏ハイキングコース」です。
大仏までの約半分の地点です。
タグ:観光
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2019年07月07日

「葛原ヶ岡(源氏山)・大仏ハイキングコース」1

東京駅から北鎌倉へは 乗り換えなしの横須賀線快速で55分ほどです。
一日 鎌倉で遊んでも日帰りができます。
鎌倉へは 何度も行きましたが いつも 八幡宮 大仏など名所を訪ねるだけでした。
ふと 思いついて 北鎌倉へ行ったのは10年くらい前になります。
その時のブログというか 記録はもう閉鎖したHPですので 残っていません。

思いだしながら 北鎌倉散歩をたどってみます。
北鎌倉駅から源氏山を歩き 鎌倉大仏、長谷寺へと続く ハイキングコースです。
距離にすれば 5kmほどですが 97mの源氏山を越えていきます。

JR北鎌倉の駅を降りて すぐに見えるのは 円覚寺です。
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円覚寺(えんがくじ)   鎌倉五山第二位 臨済宗・円覚寺派総本山
文永・弘安の役の戦死者を慰霊するため、北条時宗が無学祖元(仏光国師)を招いて1282年(弘安5)に創建。

総門を入ると 参拝受付がありますが 源氏山への道を急ぎます。

踏切を渡り 東慶寺をすぎます。
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山門から見える 金仏
東慶寺は北条時宗を弔うために開創されたので、金仏は時宗の廟がある円覚寺の佛日庵の方を向いているそうです。

東慶寺をすぎて しばらく行くと 浄智寺です。
駅から 徒歩10分くらいでしょうか・・
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浄智寺入口の道標から 右に曲がると古い山門へ続く参道です。
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「宝所在近」の額を掲げた浄智寺の総門。
「宝のある所は近くにある」ということだが、「宝所」とは悟りの世界の彼岸のこと。
修行して立派な僧になりなさいということかな。
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石段を上がると、鎌倉でも珍しい中国式山門(鐘楼門)があります。
浄智寺(臨済宗円覚寺派)(じょうちじ). 鎌倉五山の第四位で、北条宗政の妻と子の師時が1281年(弘安4)ごろに創建。
「山居幽勝」と書かれた扁額は この浄智寺の立地 雰囲気にぴったりです。
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左手をしばらく進むと山道が始まります。
とても静かで 幽玄 。木漏れ日の中 静かに進みます。
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ハイキングコースを3分ほど歩くと 浄智寺の茶室の門です。
「宝庵」の入口。
苔むしていて わびさび の世界そのままです。
しばし 見とれていました。

源氏山はまだ これから先へ進みます。
タグ:神社・寺院
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2019年07月06日

縁切寺と千姫

子供の頃 よく同じ夢を見ました。
それが 私は姫様なのです。

あるときは 炎の中あるときは 戦っている そんな夢なのですが たしかに姫様なのです。
何がなんだかわからないうちに 目が覚めて現実に戻るという具合。
その夢は 大人になったら見なくなりましたが とても不思議な感じがしました。

ふと こんな本を思いだしました。

姫君の賦 
   〜千姫流流〜
 玉岡かおる/著 2018.12発売 PHP研究所

内容
「千姫」の人生は、大坂城落城から始まった――
豊臣秀頼、本多忠刻との哀しき別れ、そして将軍・徳川家光の姉として……
徳川家康の孫娘であり、2代将軍・秀忠の娘、千姫。天下の泰平のため、幼くして豊臣秀頼のもとへ嫁いだ千姫。

時代に翻弄され、いわれなき悪名を浴びながらも凛として生きた千姫の生涯を描く。
愛と哀しみに満ちた波乱万丈の人生を描き切った作品。
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東京 伝通院にある 千姫の墓。

千姫の墓 (区指定史跡)
慶長2年〜寛文6年(1597〜1666)。二代将軍秀忠の娘。
慶長8年(1603)幼少の身で豊臣秀頼に嫁し、大阪城にはいる。
元和元年(1615)城を出て翌年桑名城主・本多忠政の子、忠刻と再婚するも死別とともに天樹院と号して江戸に帰り竹橋に住む。
東京都文京区教育委員会 昭和62年3月

伝通院には徳川の女たちの墓が多数あります。


千姫はその波乱万丈の 人生の中で 鎌倉 東慶寺ともかかわりが深いのです。
豊臣秀頼の長女である千代姫は 義母の千姫の懇願で徳川家康に命を許され、鎌倉の東慶寺に入れられる。
そして 天秀尼と称し、やがて東慶寺二十代の住職となります。
千姫の援助で 寺を再建し縁切り法の存続を願い出ました。
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縁切寺で有名な 東慶寺です。
江戸時代、夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のこと。寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。
男たちは 何人たりとも 許可な山門より中の 境内には入れませんでした。
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不当な扱いを受けた女性が 駆け込んだ寺です。
敷地内である門から内側に妻の体が一部分でも入れば それが草履やかんざしであっても 男は女を連れ帰ることはできなかったそうです。ですから 駆け込み寺とも呼ばれていました。
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三渓園にある 旧東慶寺仏殿。
鎌倉の東慶寺にあった仏殿を明治40年(1907)に移築したものです。 
旧東慶寺仏殿は寛永十一年(1634)、第二代将軍徳川秀忠の長女・天樹院千姫によって建立されました。禅宗様(唐様)の特色を色濃く残した貴重な建物です。

そうそう 玉岡かおる著の姫君の賦 ですが  〜千姫流流〜とあるように
7歳で秀頼に嫁入り 大阪落城で 波乱の人生。

家康の孫、秀忠の娘、家光の姉、秀頼の妻、さらに言えば、信長の妹、市の孫という 複雑な生まれなのです。
一つ下の 6歳の侍女ちょぼ(松坂局)の一生も同時に描かれていて 著者渾身の作品という通り 戦国時代を生きた 女の一生 ですね〜
読んだのは ずいぶん前のことですが すごく 面白かったです。

戦国時代の女は それぞれに 波乱万丈の一生を送ったのでしょうね。

縁切り寺 という歌を 思いだしました。
さだまさし さんの歌は 源氏山から北鎌倉・・という歌詞なのですが 
私は 北鎌倉から 逆に源氏山を越えて 鎌倉駅へと 歩いたことがあります。
その途中に 東慶寺はあります。
その話は また後日。

タグ:歴史
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2019年07月05日

螺旋プロジェクト

ちょっと面白い企画の本を読んでいます。
8作家による 競作企画 「螺旋プロジェクト」(中央公論新社)
全部で 8冊。
明日発売の2冊を 残して6冊はよみ終えています。

3つのルールがあって 原始から未来まで 描かれます。
7月は 原始と未来。

1・海族 と 山族 の対立を描く。
2・全作品に 共通する特徴を持ったキャラクターを登場させる。
3・年代を越えた 仕掛けがある。お守りや壁など。

このルールにより 壮大な歴史絵巻が完成する。


3月
朝井リョウ
「死にがいを求めて生きているの」平成

4月
伊坂幸太郎
「スピンモンスター」近未来
「シーソーモンスター」昭和後期
これで1冊

5月
薬丸岳
「蒼色(そうしょく)の大地」明治

天野純希
「もののふの国」中世・近世


6月
乾ルカ
「コイコワレ」昭和前期

澤田瞳子
「月人壮士(つきひとおとこ)」古代

7月
大森兄弟
「ウナノハテノガタ」原始


吉田篤弘
「天使も怪物も眠る夜」未来


毎月待ち遠しくなるくらい どれも面白かったです。
私は「海族」か?「山族」か?って 考えましたが
どの特徴にも当てはまらない。
でも 本当に会った瞬間から バリアーがあるかのように 気の合わない人っています。

これまでで 一番 よかったと思ったのは 
薬丸岳
「蒼色(そうしょく)の大地」明治
次に
乾ルカ
「コイコワレ」昭和前期

まだあと2冊残っていますが 今まででは・・ということ。

こういう企画は面白いです。
各時代の背景も読み取れますし その時代の人々の暮らしや思いも垣間見ることができます。

「もののふの国」は 日本の戦い歴史を語ります。
源氏と平氏 から 700年にわたる 武士たちの争いの系譜。
これが 日本の血の歴史なのでしょう。

天皇家に藤原の血が・・
聖武天皇の真実なんていうのも 面白い。
これもまた 争いの歴史。

明治海軍と海賊の争いや 戦時下の疎開っこの話から 
嫁姑の争いまで ・・・ 
海族山族と思えば納得できたりもして。。。。

さて あと2冊が 楽しみです。

タグ:読書
posted by うめのはな at 07:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書

2019年07月02日

食べる順

食べものの話なのですが 好きなもの 苦手なもの どちらを先に食べますか?

たとえば お寿司。
握りの中で 一番最初に食べるのはどれ?って聞かれたら
私は 一番好きなものから食べます。
マグロ ホタテ ウニ ・・・そういうものから食べます。
最後に あまり好きじゃないものを食べます。

料理でも そうです。
好きなものから 箸をつけます。
全部一度に食べるわけではないですが 箸をつけるのはすきなものからです。
嫌いなもの 苦手なもの 美味しくなさそうなものは あとまわしにします。

日本料理では 最初に 汁物なんて めんどうなルールがあるのですが
普段の食卓では そんなものは 無視します。
外食でも そうです。
好きなものから 食べます。

家族や友人の中には 好きなものは 大事にとっておいて最後の楽しみにする という人もいます。
そもそも 好きなものから食べると 最後の楽しみがないし
うまいものを先に食べると あとから嫌なもの食べる気がしなくなる。
と言っています。

たしかに 最後にまずそうなものや 嫌いなものを食べるのは辛いかもしれません。
私の場合は 嫌いなものは残す。
これで 解決。
きらいじゃなくても 順番的に最後になってしまったものは食べます。

なぜ 好きなものから食べるのかと聞かれたら 
「だって 何が起こるかわからないじゃない。火事が起こるか 地震が起こるかわからないのに 好きなものあとまわしにして食べそびれたら 後悔する」って 言いますね。
まぁ それもあるのですが 食欲のあるうちに 美味しいものから食べて そこそこ満足感を味わって ゆっくり食事をしようというのです。

では ご飯はいつ食べるか というと 私の場合はいつも おかず ご飯というように食べていました。
しかし このところ 食べ方を変えています。

まず 好きなものからは食べない。
最初に 野菜を食べる。
そして おかず。
最後に ご飯と おかずの最後になったものを一緒に食べる。
こんな風に変えてみました。

ご飯の量は 100g〜せいぜい 120gです。
軽く盛り付ける程度。
それでも 残ることがあります。

野菜とおかずを先に食べることで 満腹感になって 炭水化物は少量でいいというわけです。
このおかずを先に食べるという食べ方は 推奨されています。
ちょっとそれを試しているわけです。
洋風の外食すると サラダが先に出てくることが多いですが これは理にかなっているわけです。
体重も増えたことだし 健康のためには ご飯の量を減らしたほうがいいと思ったわけです。

外食しても たいてい 少し といいます。
今まで 普通量で残すこともあって 申し訳ないと思っていたので 先に少しということにしました。

昔は 家でご飯を普通に盛り付けて食べても ご飯だけ残ることがありました。
そんなときは お茶をかけたり 味噌汁かけたりして 全部食べるようにしていました。
米粒つけて残すのは失礼 なんて 教え込まれていましたしねーー

今はそんなことおかまいなしに 食べたくないものは食べたくない で すませます。

おかずを先に食べると 後から食べる炭水化物の糖質の吸収を穏やかにしてくれて 血糖値の上昇を和らげるそうです。
おかずとごはんは 交互に食べましょう という時代から 変われば変わったものです。
たしかに おかずでおなか一杯になれば ご飯の量は少なくてすみますね。

我が家も お米の消費量はとても少ないです。
もともと 少ないのですが さらに少なくなりました。

ご飯と一緒におかず という教えも 今はどうなのでしょうか。
三角食いなんて死語かも。。。。

昔のように 好き嫌いなくなんでも食べましょうも
アレルギーの子や 持病のある子もいて 指導も難しいし
無理強いして 泣いても時間がかかっても食べさせるというと 虐待になりかねないし
難しいです。

食育教育も 一人一人に合ったものじゃないとなかなか受け入れられないし
家庭環境も違うし教育も大変です。

食品ロスが多くならないよう
盛り付けも
食べられるだけにして おきましょう。

ご飯最後は しばらく続けるつもりですが
カレーや丼や寿司はしょうがないねーーー
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 09:23| Comment(7) | TrackBack(0) | エトセトラ