2019年06月30日

映画

最近は 映画館で映画を観ることもなくなりました。
たいてい TVの放送を録画してみるというような感じです。
それも 特別見たいものならともかく 特別みたいものもないです。

十年くらい前は ビデオ屋さんでめぼしいもの 話題のもの レンタルして毎日のように見ていましたが
そうまでして みたいものもなくなってからは TVの放送をたまに見るくらいです。
そもそも2時間ずっと 見ていることもできなくなりました。
だから 録画で細切れという感じです。

ひと昔前は 映画は映画館でした。
最後に映画館で観たのは いつだっけ・・・
たぶん 3D映画だからといって映画館に わざわざ出かけて行って見た
「アバター」だったかなぁ・・眼鏡かけて見ましたが とにかく目が疲れました。
そういえば 3D映画ってあまり聞かなくなりました。
短編のイベントのようなものはあちこちで あるのだけれどね。
プラネタリウムなんかで 見るのもいいものです。
映画館じゃないのでゆったり見れます。

子供の頃は田舎暮らしでしたが 小さな町にも映画館は2つあって
東映と松竹の映画館でした。
松竹は 時代物ばかりで子供には あまり面白くなくて
東映のほうは ちょっとハイカラな映画をやるのだと そんな風に思っていました。
2つとも 今はないです。
時代劇の映画真っ盛りの時代はすぎて 今は アニメとか 洋画なんですよね。

時々 映画関係者が町に来て 俳優さんも来て そのときは ものめずらしくてみな 見に行ったものです。
古くて 観光地の街ですので ロケなどもよく行われます。

子供の頃の思い出なのですが 夜までロケを見ていたこともあります。
最後のシーンで とある有名老俳優のシーンがあって・・・終わったら声をかけてくれて
その言葉が
「世界人類が平和でありますように・・といつも 祈りましょう」
子供だから 意味がわからなかったのですが
大人になって あれは 何かの宗教の教えか・・と 思ったわけです。
町中にも そういう言葉の貼り紙を見かけます。
なんなのでしょう・・いまだにわかりません。

親戚に泊まりたくて 従妹や叔父と 隣町の映画館で
怪獣映画をみたら
こわくて 泣きだして 「帰る〜〜」と言いだして
また 家まで叔父に連れられて戻って笑われたことは よく覚えています。
その時のことは かなり長く 笑い種になっていました。

映画館はなじみが深いです。
映画館に勤めていた人の子供と幼馴染で
よく映画館にもぐりこんでは 映画を観ていたからです。
時代劇ばかりでしたが
たまに 普通の映画がかかると 楽しくて内容はわからなくても 見ていたものです。

しかし時代はかわり
映画館も敷居が高くなり いかなくなりました。

東京では 何本も映画を観ましたがあまり 心に残るものはないです。
友人とだったり デートだったりで
気もそぞろで 映画どころではなかったのかも。

「風の谷のナウシカ」
これは よく覚えています。
映画館に公開記念で 宮崎駿氏がやってきて 挨拶しましたから。
ナウシカは大好きで 漫画も全巻買って読んでいました。

家でごろ寝しながら みるのが一番楽です。
映画館に行って 我先にと新作を見る気力もないです。
あとで 見れればいいやなんて 思うようになったら 年をとった証拠でしょうね。

そのうち みなくなったりもして・・・・。
映画は心の栄養かも。
若いうちは 見て感じて 感性豊かになったほうがいいかもしれませんね。
自分の生活にはない 魅力を体験できます。
わくわく感があれば なおいいです。

いい映画を観ましょう〜〜
posted by うめのはな at 09:43| Comment(10) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月27日

かゆい

手が届きそうで 届かない。
背中の真ん中。
肩甲骨の間。
もうちょっとで 届くのに やっと指先だけ。
かゆいのに 手が届かないと よけいかゆくなる。
身体をねじらせ 手を背中にまわして 届いたときは やったーという気分になって
気持ちがいいことこの上ない。
ちょっと 油断するとまた届かなくなって もっと掻きたいのに もう手が届かない。
そんなときは 諦めるしかない。一瞬 届いて かゆみが和らいだだけでも よしとしなきゃ。
でも またすぐに かゆくなる。
イライラ感が襲う。
何かで気を紛らわせれば かゆみも薄らぐ。
では そのかゆみは 何なのか・・・
ぶつぶつができているわけでもないのに かゆい。
ストレスなのか 薬のせいなのか アレルギーなのか さっぱりわからない。
わからないけれど 時々かゆくなるのは 確かなのです。

これが 痛みだと さすがそのままにしておくわけにもいかず
原因をつきとめようとするのですが
たかが かゆみと そのままにしておくことが多い。

たかが かゆみ されど かゆみ。ということもあるのですが
さほど 真剣には考えない。
もだえるほどのかゆみや 何かできていたり腫れているなら ともかく
ただ かゆいだけでは おかしいな〜くらいで 我慢してしまう。
でも なんとなく不快なのは 間違いない。

夏になって 湿気が多くなってあちこちかゆくて これはもう アレルギーなんだと
わりきっていますが
背中のかゆみは まだあって それもほんの一か所だけというのが わからない。
一点もの。
なんなんだろうか・・・

わざと手が届きにくいところなので いやがらせのごとく しつこくつきまとう。
かゆみ おまえは ストーカーか・・・。

とまぁ 暇なので こんなバカなことを考えてしまいます。

暇なときに限ってかゆいので これはもう 気持ちの問題なのかもしれません。
かかりつけ医にちょこっと 見てもらえば
「何もないですね〜年齢的なものかも」って。。
そうかもねーーと 言い聞かせてみる。
でも 一か所って おかしくないですか?
汗かく部分だからかもしれないしね〜

そういえば風呂に入ったとき 背中って みなさんどうやって洗うんでしょう。
タオルで ごしごしかなぁ・・・
スポンジ持っても 手が届かないところあるものね〜
誰かに洗ってもらうのが 一番気持ちがいいんだけれどね〜
そうもいかないし。。。

皮膚のためには ごしごししないで 泡で洗うのがいいらしいけれど
泡だけじゃ きれいになった気がしなくて
ごしごし洗いたい。

日本人だなぁ〜
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posted by うめのはな at 09:52| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月24日

松方コレクション

上野の国立西洋美術館は今年で 創立60周年を迎えます。
この西洋美術館が 作られる元となったのが 松方コレクションです。

国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展
2019.6.11(火)〜 2019.9.23(月)
国立西洋美術館
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現在 開催中です。

今年の直木賞 第161回直木三十五賞にノミネートされたのが原田マハ『美しき愚かものたちのタブロー』という本です。

タイトル  美しき愚かものたちのタブロー
        原田マハ/著  出版者東京 文藝春秋
出版年   2019.5

内容(「BOOK」データベースより)
すべては一枚の絵画(タブロー)から始まった。あのモネが、ルノワールが、ゴッホが!国立西洋美術館の誕生に隠された奇跡の物語。

これは 繰り返しよみたい本です。

モネ、ルノワール、ゴッホ…。日本の若者に本物を見せたい。その一心で絵画を買い漁った男松方幸次郎。
日本に美術館を創りたい。
その夢ひとつのために生涯を懸けた不世出の実業家・松方幸次郎。
戦時下のフランスで絵画コレクションを守り抜くという任務と責任から 貧困と苦を乗り越え使命をはたした 孤独な飛行機乗り・日置ス三郎。
そして、敗戦国・日本にアートとプライドを取り戻した男たちがいた。
国立西洋美術館の誕生秘話に隠された 松方コレクション100年の歴史がここにある。

松方はアートへの審美眼は持ち合わせていなかったが 若き美術史家にサポートされていました。
モネtの出会い親交 は 松方をアートに目覚めさせていきます。

絵はわからないが あなたの絵が好きです。
モネに言ったその言葉は正直なものでしょう。

よく美術館で ルーペを持ち タッチなどをじっくり見ている人がいます。
それもまた研究で いいことなのでしょうが 私にはそういうことはよくわからないので
いつも いいなぁ〜 好きだなぁ〜 いつまでも見ていたいなぁ〜と 
心に残るような絵を見ています。
数多くの絵の中でも それは 数点しかなくても 展覧会があれば ホンモノを見たいと思います。

感動を与える絵こそ その人にとっての名画なのではないでしょうか。

さて 苦労して大金資産をつぎ込んで買いあさったアートもフランス内に とどまったままで 
どうなるか・・・
なんとしても 守らねばならないという日置の苦労がみのり 消失はまぬがれましたが
戦後 敗戦国となった日本。敵国人財産として接フランスに没収されてしまいます。

講和条約後 時の首相吉田茂のもと フランス政府に 個人資産なのだから返還して欲しいと申し入れます。

多くが散逸・焼失しているが、浮世絵が約8000点、西洋美術が約3000点で総数は1万点を超えていたと言われています。
近年 イギリスでそのリストが見つかったそうです。
松方コレクションのうち 浮世絵は日本に。ロンドンの倉庫にあったものは消失しました。

難儀な交渉。
返還ではなく 寄贈といいはる フランス政府に 「寄贈返還」という変な言葉を使わざるを得ませんでした。
交渉の中で、コレクション中、重要なゴーギャンやゴッホなどいくつかの作品についてはフランス側は国宝級だと 返還せず結局、絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、書籍5点の合計370点の作品が、美術館を建設して展示するという条件付きで返還されました。
松方 日置の思い入れのある 「アルルの寝室」は返還されず。
今回展示。
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モネの 睡蓮「柳の反映」は行方不明。
クロード・モネの『睡蓮―柳の反映』が2016年9月にルーヴル美術館の収蔵庫でロールに巻かれた状態で発見され、返還され修復されました。上半分が水にぬれたのか 損傷。

返還された 松方コレクションの受入れのための美術館はル・コルビュジエにより基本設計が行われ、1959年に国立西洋美術館として開館しました。

おなじみ ロダンの考える人が 入り口にあります。
ロダンの作品は 50点ほどを購入したそうです。

今回の 松方コレクションは 波乱の歴史をたどり 
作品を守り抜いた 男たちの奇跡をたどるものとなりますね。

タブロー(仏: tableau)
とは 絵画 という意味です。
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2019年06月20日

おふくろのあじ

学校の前を通ると カレーのいい匂いがしてきて・・・
東京は 自校給食ですから 昼前からいい匂いがします。

ふと子供の頃を思い出してしまいました。

私が通った小学校も 生徒玄関の脇に 給食室があって 毎日いい匂いがしていました。
昼前はおなかがすいて その匂いで グゥーっと腹の虫が鳴いたものです。
給食の定番は やはりカレーでしたね。
パンにカレーなので スープカレーのようにさらりとしたカレー汁でしたが
とても美味しくて 大人気でした。
黄色いカレーです。

今は インスタントのルゥーがありますが
大量に作るには やはり手作りの黄色いカレーが一番です。

自宅のカレーも そうでした。
小麦粉を炒めて 缶入りのカレー粉を混ぜて カツオだしでのばし 具を入れてコトコト煮込みました。
家族の分と 住み込みの職人さん それに時々 近所の子なども来て食べましたから
かなり大量に作っていました。
何度も おかわりをしたりしましたが
今のルゥーのように ドロリとはしていなくて 給食のようにサラリでした。
色も 茶色ではなくて やや黄色いカレーでした。

そのうち 家族だけになり 母も市販のカレールゥーを使うようになりましたが
やはり 手作りのカレーの味が よかったです。
サラサラなんだけれども おふくろの味というか 他では味わえないうまみというのがあったからかもしれません。
カツオだしだけではなかったのかもしれません。

給食のとは少し違う味でした。

その家独特の味が おふくろの味なんですね〜

煮豆もよくコトコトコトコト 一日中 鍋を火にかけ作っていました。
昆布を入れて 甘辛く煮ます。
できあがりは 豆につやがでていて 輝いていて ほろりとしていて いくらでも食べることができました。
大鍋でにていたので 何日かは食べることができました。
忙しかったので そういうものは 重宝していたようです。

私が一番好きだったのは 「チラシ寿司」
関東のチラシ寿司ではなくて 混ぜご飯のような チラシ寿司。
かんぴょうを長時間煮て レンコンとかひじきとか もちろん卵などいくつかの具を混ぜた酢飯。
これが 大好きで 何かあれば 「チラシ寿司」といってリクエストしました。
つくるのが面倒らしく ちょっとためらいながらも 作ってくれましたね。
遠足や運動会のときは 稲荷寿司を造ってくれました。
甘く美味しい稲荷寿司でした。
あの味は いろいろ試してみましたが かないません。
有名店で買うものも 全く違う味なのです。
もっとも 関東のは味がぜんぜん違います。
京都で食べたものが 一番近かったかも。

母の晩年は 気力がなくなり 料理もしなくなったので
おふくろの味は もう子供の頃の思い出だけになっていました。

あのころ食べた おふくろの味は 味覚として記憶の中だけに残っています。
伝授してもらえばよかったなぁ・・と 思っていますが
そのころは 不肖の娘で そんなこと思いもしなかったです。
いろいろなもの思い浮かびますが
どれも 私には 作れない 手の込んだ 長時間かかる料理です。
いや 料理というか 日常食べる 田舎料理なんです。
それでも 時間をかけて作り 保存のきくものってことなんだと 思います。

田舎料理も 便利さに負けて さっと作れる 万能料理に変わってきました。
いつどこで食べても 同じ味。
おふくろの味は
お袋の味に なりました。
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2019年06月18日

6月の月

昨夜は ストロベリームーンだったそうです。
ストロベリームーンなどというと 色が赤いのかピンク色なのか・・と思いますが
もともとはいちごの収穫時期に向かえる満月という意味だそうです。
正式な天文学の用語ではなく、名称はアメリカ先住民の風習に由来するものであり、色とは関係がないとのことです。
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6月17日の満月
決して 赤くはないですね。
明るいけれどね。

よく日本でも 赤い月 を見ることができます。
波長の関係で 夏至の頃には月が空の低い位置を通るため、赤い月が観測しやすくなります。
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暮れなずむ 東京スカイツリー

ここは 旧中川です。
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まいとし アジサイ祭りが行われます。

紫陽花と言えば 松戸の本土寺の紫陽花を見に行ったことがあります。
写真はここ

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なかなかいい寺で 鎌倉に行った気分になれます。
鎌倉より いいかも・・・。

今は ちょっと身動きができないけれど また どこかに行きたいなぁ〜
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posted by うめのはな at 11:48| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月17日

老後資金

統計によれば 60才の 2019年度の平均貯蓄額は2900万円だそうです。5月17日発表。
しかし 67%は2000万円以下とのことです。
中央値は1032万円。
そして 4人に一人は100万円以下ということです。

こういう統計も 格差があって どこを見ればいいのか悩ましいですね。
そりゃ それぞれの事情もあります。
公務員とか 共働きだったとか 大企業とかの退職者は 退職金が2000万はあるでしょうし
中小企業などは 平均1000万、もしくはそれ以下 というところもありましょう。
自営業者は 自分で貯蓄しておくしかないです。

年金だって 共働きの家庭は 二人分が大きな額になるし
国民年金だけだと とても暮らしてはいけません。

老後資金に2000万円必要 という言葉だけが 独り歩きして やいのやいのと 言っているようです。

言い方もありましょうが
この数字はいきなり出てきたものではなくて 前からそう言われているものです。
生活のレベルを落とさず 暮らすか
それなりに切り詰めて生活するかの違いはありましょうが
老後資金はある程度は 必要だと思いますし
ある程度年齢がいけば それ相応の 準備もしている人は多いでしょう。

持家か 賃貸かでも違いますし
生活のレベルによっても 必要額は違います。
病気をしたり 寝たきり施設ということになれば
貯蓄もあっと言う間になくなるでしょう。

ひとそれぞれが 老後のことを考えて 備えなければならないと思います。
若いうちは 生活だけで そんなこと考えられないとおもいますが
ある程度年齢がいけば いやでも 考えなきゃいけないことなのです。

貯蓄がなくても なんとかなるだろうは 考えが甘いです。
少し我慢してでも 毎月すこしずつでも 貯めるということは必要でしょうね。
国や自治体まして他人は 何ともしてくれませんから。

年金がこれからどうなるかはわかりませんがねぇ〜

しかし
あるところには あるもので
自宅預金を盗まれたり 詐欺にあったりもします。
80才くらいになっても 欲はあるようで うまい儲け話にだまされる人も多いです。
私なら 余生をあるだけのお金ですごします。
何千万円も持っていて それ以上欲しいとは思いません。(今なら 欲しいけれど うまい話はないに等しいです)

まぁ金持ほど ケチ といいますがね。
ケチだから 金持ちなのかも。。。。。

普通の人は 年金だけでは暮らせません。
みなさん 備えましょう。
自分の老後は自分で守りましょうね。

2000万どころか 3000万以上必要だと思いますよ。
posted by うめのはな at 14:27| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月15日

朝から雨です。
20度以下ということで 半袖では少し涼しくて 長袖着ています。

せっかくの週末に雨は 残念ですね。

前回 水分の話をしましたが いろいろな水が販売されています。
それこそ いつだったか 話題になった高額の○○還元水だの 水素水だの はたまた深層水なるものから
東京水と言われる水道水までいろいろです。

まさに 水商売です。
この水商売・・・接客業にも同じ水商売と呼ばれるものがありますがこの場では 単純にウォーターのほうです。
水商売というのは なんでも すごく儲かるらしいです。

人の弱みに付け込んで ○○の病気が治ったから ダイエット 美肌まで いろいろなうたい文句で売っているものもあります。
値段が高いと 効果がありそうな 気がするから これまた不思議なもので よく売れるらしいです。

日本では 昔から水と空気はただ・・・なんてことも言われていましたっけ。。。
飲食店に入れば すぐ出てくるのが お冷。
これ 外国ではない習慣です。
水は 有料で頼むのが 普通です。
日本って お水どころか お茶までサービスで出てくる ありがたい国なのです。

アメリカに行ってまず 買わなきゃならないのが 水で
ホテルなら冷蔵庫に常備されてはいますが スーパーで買ったほうがすごく安いのです。
常に持ち歩くし 水のボトルは滞在中かかせません。
たいてい ナチュラルミネラルウォーターと書いてあったり ただのミネラルウォーターだったりします。
ボトルも 大きいのがあって ガロン(4L)で売られています。
アメリカの水道水は 硬水が多く赤ちゃんなどにの 飲料には適していません。
お風呂の金属が白くなったり 髪がパサついたりします。

日本でも いろいろな水が販売されていますが。
水道水には厳しい規制がありますが、ミネラルウォーターの規制は緩いようです。
最低限の殺菌が義務付けられていますが 採水地の地下水や湧水がはたしてどんな場所なのかは 知る由がありません。
だったら 日本の場合 水道水のほうが安全 安心じゃないか・・ということになります。

たしかに 昔は 塩素の匂いがしたりして 都会の水はまずかったということもあります。
そんな時代もあって ペットボトルの水が普及していったのでしょう。

私も 千葉にいたときは日本一汚染のひどい 手賀沼 印旛沼からの水でしたので
家庭には浄水器をつけ ボトルの水を飲んでいました(生水のみ)
3・11の原発事故のあとは しばらく スーパーのRO水なるものを 貰ってきて飲んでいました。
これは 無料なので調理も 湯もでした。
RO水は よくお茶がおいしいとかいう人もいますが 無味無臭で お茶いれるなら水道水のほうが美味しいと思います。

我が家も 今は水道水です。
ボトルは非常用に買い置きしているだけです。

そもそも ミネラルウォーターだからといって ミネラルをたくさん とれるわけでもありません。
日本で採水される水はどこも 水道水もミネラル分はほとんど変わりません。
違いがわかるほど入っているものは 硬水でしょうね。
それに 水素水なるものも お国から 効果なしのお墨付きが出たようだしただの水なのです。
水道水も 冷やせば美味しくて ミネラルウォーターと区別がつきません。

いろいろな水があります。
まさに 水商売です。
ただみたいなものを 売るのですからほとんど宣伝費でしょうね。
何が本当か嘘かは 自分の判断です。

飲みすぎても 不足しても 体に悪い水。
適量がいいです。

似非科学として 水商売を科学的に 疑問視しているひともいます。
プラセボ効果というのもあるでしょうし
ひとそれぞれ 思いはあるでしょう。

日本の水は 美味しいし 水に恵まれているのはたしかしょうね。
でも 水は 売れる・・・
非常用には ありがたい存在です。

水は 備えておきましょうね。

今年は 雨が少なくて ダムの貯水量が少ないとか・・
今日の雨で 少しは回復したかしらね・・・・
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posted by うめのはな at 11:42| Comment(4) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月12日

近況です。

最近 水を飲んでも体重が増える気がして・・・
通院日に 
「体重が急に増えたんですよね〜5kg増えて もとに戻らないんですけど〜」
と 言ったら
「いつから?」というわけで 「半年くらい前に 具合が悪くなったそのころからです。
食欲もいつもとかわらないし 間食もしないのに増えるんです。」
と言うと
「胸のレントゲンとります」
 異常がなければ ただ増えただけでしょうが 念のため。ってことでした。
結果は 異常がありました。
2年ほど前の 胸のレントゲンと比べると 明らかに 心臓あたりが肥大していました。
心臓のポンプの働きが悪いため 水分が心臓のまわりにたまっている。
もっとひどくなると 肺まできて 肺水腫になって呼吸が苦しくなるから
身体から水分を出しましょう。。。。
って ことで 利尿剤がでました。
これでは 水を飲んでも太ると 思ったのも間違いないわけです。

動悸はするし 息切れもするし
これは 上皇后さまと 同じではないか・・・
下々の私は そんなに大ごとには されませんが BNPの上昇とか 人間同じなわけです。

利尿剤といっても 朝一錠だけ。
たしかに午前中は トイレに行く回数が増えました。
これじゃ 出かけたとき大変かなぁ〜
はやく 水分が抜ければいいけどなぁ・・と 思います。

疲れると 手足もむくんでいたのは そのせいだったようです。

今は 大丈夫です。
トイレが近いだけです。

ぐっすり眠れるし 夜中のトイレも1度だけだし
いつもと同じなんですが
何より 自重して生活しなければなりません。

まぁ ほとんど引きこもっているから いつもと変わりはないです。

まだ 涼しいからいいけれど 
真夏になって 暑くなったらちょっとばてるかもしれません。
月に一度の 通院が 2週に一度になって
ちょっと 気が重いです。
だって すごく待ち時間が多いのだもの・・・・。
おまけに いくたびに 体重計るらしいです。

というわけで
ほとんど 何も変化なく
だらりと過ごしていて ブログの話題もないです。

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posted by うめのはな at 11:34| Comment(6) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月09日

車の免許

毎日のように 高齢者のアクセルとブレーキ踏み間違えの事故などが報道されています。
それは それで問題で 何とかしなければならないことなのですが
じつは若い人も踏み間違いなどはあるそうです。
ただ 反射神経がいいので すぐ踏みなおすことができ 重大な事故にはならないというのが多いそうです。
もちろん スピード違反や 法令違反などの事故はあります。

高齢者の運転免許返納 云々という巷の話題の中で
80歳のタクシー運転手が 踏み間違えで事故というニュースを見て
これは どうしたもんだと 考えてしまいました。
返納以前に 80代のタクシー運転手ということが 驚きで 営業車には年齢制限すらないんだなぁ・・・ってね。
まさか 年齢は?と聞いて 乗車するわけにもいかないし 運・不運もありましょうや・・・。

定年ってないのかなぁ〜個人営業だとそうなのかも。
もちろん 免許更新などのとき 検査は受けているでしょうが 認知検査だけじゃなく
反射検査などもあればいいのにと 思います。
運転手不足で しかたないといえばそうなのですが
人の命を預かる仕事は 本当に きちんとしなきゃいけないと 思います。

今まで事故起こしていないから これからも大丈夫というのは ないです。
70才越えたら ゴールドでも3年更新と聞いていますが 毎年でもいいくらいです。
しかし 高齢者講習が 大変な混み具合だとか。。。
これも なんとかしなきゃいけないでしょうね。
運転技術や 認知検査 視力検査だけでなく 反射検査や 運動能力 視野検査なども行うべきでしょう。

都会はともかく 地方では車がないと生活できないというところもあって
一律に ○○才で 年齢制限設けよというのも ちょっと無理かな〜とは思います。

私は ゴールド免許なんですが 実は東京に来てからは ペーパーなのです。
車は手放したし 運転する機会もないし 車がなくても生活できるからです。

わたしの ゴールド免許は いわばインチキです。
だって 運転していないのだから 違反ゼロは当たり前です。
ところが 運転してみろ といわれたら ちょっと困ります。
今の車が運転できるかどうかもわからないし
うまく運転できないと思います。
こういうのが ゴールドというのもおかしな話です。
でも 免許あるから いざというときは 堂々と運転できるんんですからね〜
何かおかしいです。

ペーパーの人も 一律ゴールドって 変な仕組みです。
身分証明書かわりに 5年に一度更新しているようなものです。

高齢者の運転もそうだけど ペーパーの運転も怖いと思いますよ〜

抜け穴だらけの 仕組みで いずれなんとかしなきゃって ことになるのかもしれません。
69才で免許更新すると ゴールドだと5年後まで 更新なしってのもおかしな話だと思います。

なんのための70才なんだろうか。。。。と。

車も アクセル ブレーキ 踏みまちがいのできないようなもの 作るべきだな〜

昔は マニュアル車で アクセルは右足 ブレーキは左足って ならったような気がしますが
今はそうじゃないのかなぁ。。。。。。。

私はAT車もそうやって 運転していました。
今は右足だけなのかなぁ〜
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posted by うめのはな at 10:11| Comment(6) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年06月06日

職質

今朝の記事を見たら 信じられないことが書いてありました。

公園のベンチに座って 休憩、スマホを見ていたら 通報されて警察に職質を受けたというのです。
スマホの中も調べられ あれこれ質問。
「ただ 休憩しているだけの何が悪いのか?」というと
あちらにいる人が 通報したというのです。
そのおばさんの言うことは
「見かけない人が スマホで盗撮しているのではないか」と思ったということです。
「私は悪いことしたとは思っていません!」と 謝罪もしなかったそうです。

こんなことでいちいち通報されたら 出先でベンチに座って休憩することすらできませんね。
人をみたら 泥棒と思え・・・
そんな世の中になってきました。

ただ 後ろをたまたま同じ方向に歩いていただけなのに
通報されたとか、
目と目があっただけで 不審者と子供に通報された人もいるそうです。

安全メールには毎日のように どうして?というような メールが入ってきます。
冬に マスクに眼鏡に黒い服という恰好なら
すぐに 通報されそうです。
スーパーなどでも 帽子に眼鏡 マスクは まず要注意で監視がつくそうです。
おんなの人でも万引き犯とマークされます。

おっかない事件が多いので 仕方がないことなのかもしれませんが
行き過ぎは よくないです。
子供が一人で 泣いていたので 声をかけたら
たまたまやってきた 親ににらまれたという話も聞きます。

子供には声をかけられません。
声をかけただけで
「助けてーー」と 叫ばれた人もいるらいしいです。

安全教育はいいですが ここまでくると もうどうしていいのかわかりません。
関わり合いをもちたくないなら 見て見ぬふりをするしかないです。

電車の中で 男の人は手を下げてはいけません。
上にあげていないと 「痴漢!」と叫ばれるかもしれません。

工事関係の人が コンビニで買い物して車に戻ったら警察に 職質されて
車に ドライバーやスパナがあっただけで 一日拘留されたという記事もみたことあります。
おかしな 話ですね。
荷物におかしなものがあったら まず 追求されます。

活花に行くのに ハサミも持てないのですかね〜
それとも そういう人は職質されないのかな?
身なりも きちんとしていないとダメなのかしらね。

点数稼ぎで 誰でも彼でも 職質して拘留ってこともあるのだと 記事には書いてありました。
こうなったら
もう目立たず 出かけず ひっそりと暮らすしかないです。

それのほうが 怪しいか・・・・・。
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2019年06月03日

お風呂

生まれ育った実家の街は 江戸時代から栄えた港町で 北前船が出入りしたので豪商などの旧家も多い町です。
北前船寄港地として栄えた街ですから、九頭竜川沿いに商家や廻船問屋、そして遊郭なども軒をつらねていました。
川沿いには うなぎの寝床のような 細長い家屋があり 裏は船から直接荷揚げができるような独特の造りの家が多かったです。
表通りは 店をかまえ 裏は倉庫や荷上場という風です。
こういう江戸末期に建てられた、奥深い切妻造り妻入の主屋の手前に、平入の表屋を直角につなげた、いわゆる「かぐら建て」の家屋は今でも 残っています。

そして 遊郭のあった地域はには 切妻造り、妻入りの建物の前方に平入桟瓦葺き2階建ての建物が建てらていました。
今でも表は格子造りのいかにも遊郭だったというような 家屋が残っています。
友人の家も そのひとつで 今では文化財になっているみたいです。

子供の頃 遊びに行けば 1階は うす暗く 日が差さない造りで 陰気臭かったです。
二階は 小さな部屋がいくつもありました。
奥行きのある 細長い家です。

私の実家も間口の狭い 奥行きの長い家で 中庭がありました。
遊郭の造りではなく 商売のための スペースが 表通りにあるような作りです。
家と家はくっつくようにして建てられています。
隣が空家になったのを機会に 隣も買い取って 中庭の廊下をつなぎ 広い家として使っていました。

私が小さな子供の頃は 風呂場はありませんでした。
すぐ近くに 銭湯があって 毎日そこに入りに行きました。
5歳くらいまでは 母と一緒に入りましたが
小学生になるころには 友達と一緒に行ったりして 銭湯も遊び場のひとつでした。

お金を貰い 風呂上がりのコーヒー牛乳を飲むのが楽しみでした。
都合のいいことに 銭湯の目の前がお菓子屋さんで 夏は 冷たいアイスを食べるのが楽しみでした。

その銭湯も 火事で 燃えてなくなってしまい
そのあたりの家のひとたちは 困りました。
その火事の時のことはよく覚えています。
すごい煙と火の粉で 父や兄は屋根に上り バケツで水をかけていました。
私と母は おろおろするだけでした。
まだ子供の私は 何もできませんでした。
身の回りの物を持つように言われましたが
何を持っていいのかすらわかりませんでした。
親戚に電話をし 叔父たちがかけつけたときには
下火になっていて ほっとしました。母がうろたえていたのを 叔父たちが笑っていましたが
私は煙で ひどく咳き込んで苦しがっていたし 家の中は煙で白くなっていたしで
うろたえたのも あたりまえのことです。
家は無事でした。

銭湯がなくなったので少し遠くまで歩いて 別の銭湯に行きましたが。
それも大変なので 各家々は 工夫をこらして 自宅に風呂場をつくりました。
我が家は 風呂場ができあがるまで
中庭に風呂桶を置いて そこで入っていました。
いわば 露天風呂でしたかね〜
ちゃんと 薪で焚く風呂桶でした。

自宅に風呂があるのは いいものです。
しかし 狭い。
それでも そういう風呂に慣れてしまって 他人と入らなくていいという 心地よさもありました。

100年もたっている家に風呂というのも なんとなく似合いませんでしたが
銭湯がなくなったのだから しかたなかったです。

この風呂は 実家を越すまで そのときの風呂でしたから 思い出深い風呂です。

東京ではじめて一人暮らしをしたのは 赤坂のマンション。
ここには 地下に大浴場があり、住民は一日おきでしたが 無料で入ることができました。
私は ほとんど利用したことがないです。
一度入って おばさん方ばかりで 若い人がいなくて じろじろみられて 窮屈だったので
いやになりました。

青山のほうに少し歩くと 当時は銭湯があったので よくそこを利用しました。
二度目の一人暮らしで 大岡山に越した時は 学生街のボロアパートで風呂が ありませんでした。
家賃が高いので 風呂付のアパートは借りられなかったのです。

大学がある駅なので 銭湯はありました。
アルバイト先の親戚の マンションには風呂があったの そこでシャワーを浴びさせてもらっていました。

風呂の入り方もところ変われば 違うのだと初めて知ったのは
まだ小学生の時でした。
小さな 旅館で風呂に入ったときですが
一緒に入ってきた 二人連れの中学生が じっと見つめ 不思議そうな顔をするのです。
親戚のおばさんが
「なぜ 風呂に入らないのか?湯をかけてばかりいるのか?」
と聞くと
風呂につかる習慣はないというのです。
湯がもったいないので 体の汚れを落とすため湯をかけるだけです。という話。
鹿児島だか 九州のどこかでは そういう風呂の入り方だとのことでした。
「まぁここでは いいから 入ってみなさいよ」と叔母が言うと
おそるおそる 入り
あまりの気持ちのよさに 極楽 極楽というような 顔をしました。

沖縄の人は 風呂につからない入り方もあるそうですし
外国の人はシャワーだけというのも多いです。
最近の若者も シャワーで済ませる人が多いです。

じつは私も最近はシャワーだけです。
心臓によくないという理由もありますが 湯船に入ると疲れるのです。
夏はシャワーで十分です。

温泉は好きで よく行きましたが最近は 同じ理由 疲れるので行きたくないです。
行けば 極楽 極楽で気持ちいいのでしょうけれどね〜
まずは 自宅温泉で 体を慣らしてからだなぁ〜

銭湯も もう何十年も行っていないし
都会には少なくなりました。
スーパー銭湯も クアハウスなどもあるしサマーランド ハワイアンズいろいろ行きましたが
水着で遊べるところは いいですね。
家族で楽しめます。
普通の温泉だと ぼっちで そそくさと入って すぐ上がるって 感じであまり好きじゃないです。

我が町にも銭湯はあるみたいです。行く機会もないですが・・・
いざというときには 行くかも。

大田区に住んでいた時 一度くらい 黒湯に入ってみれば よかったかな・・・
4年もいたのに とうとう入りませんでした。
有名なのにね。

銭湯の思い出 風呂の思い出でした。
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posted by うめのはな at 21:50| Comment(10) | TrackBack(0) | エトセトラ