2019年05月31日

贈りもの

お中元セールの時期になりました。
日本の良き・・いや 悪しき習慣が 続いています。
私は実家くらいしか お中元は送りません。
お中元というより 好みを聞いているので 年に二度 その品を送るようにしているだけです。
向こうもそれなりに あてにして待っているようで 勝手にやめるわけにもいきません。
何を送るか 迷わなくてすむので 気が楽です。
実家からは 福井の名産品(こちらが欲しいという品)を送ってくれるのでこれもまた ありがたいのです。

今朝の記事を読むと 義父母からもらって困る品という特集がありました。
怒りがわく品 というのもあって これはもう世代間の違いというより
いやがらせに違いないと 思うこともあるそうです。

・向こうで使わなくなったものを 送ってくる。
・自分たちが食べずに賞味期限が過ぎた 飲み物や食品を送ってくる。
・いくら 家庭菜園でとれすぎたからといって 同じ野菜を山のように送り付けてくる。
 サンマをひと箱送られたって 家族でたべきれるわけもなく 近所だってせいぜい3~4匹ずつしかおすそわけできないし 臭くて処理に困った。
・着なくなった服やカバンを送って来て 会ったとき「あの服は?」と聞かれる。

数え上げれば きりがないほど 次々と出てきます。
贈るほうは もったいないという 意識からでしょうね。

要するに ありがたいのは 現金とか買い物券は 嬉しいということでした。

そうですね〜
世代間の違いもあって 品物は難しいです。
食べものも やはり好みや食制限などあって 困りますね。
甘い饅頭をひと箱もらったとて 食べきれません。
甘いもの 控えていたりすると 本当に困ります。

マンションなのに 泥付きの野菜をどっさり送ってこられても 本当に困ります。
泥を落とすところがないのです。
魚の処理も 臭うのでいやですね〜
冷凍庫も空いているわけでもないし 少人数の家族じゃ食べきれません。

私が 怒りを覚えた贈りものは 
引っ越しの当日 ご近所のおばはんが 醤油のセット1L瓶 5本セットをくれたことです。
こちらは 急いでいるし 電車で引っ越し先に行かなくてはならないのに
クソ重い醤油を持たされて・・・でもその時は ありがたいと思っていました。
しかし
到着して 開けてみたら。。。。
賞味期限が3年も前に切れていたものでした。
自分の家に置いてあったものなのでしょうね。
次の日 掃除に戻ったとき 「お気持ちだけ・・・賞味期限が3年前ですので お返しします」と
突き返しました。
そのお気持ちってね〜いやがらせでしょう?
醤油は排水に流すわけにもいかず 困るものなのです。
こちらに処理させようなんて バカにしています。
もともと 行動がおかしいおばはんでしたので そういうものかという感じでした。
せめてもの お礼に 噂好きなご近所さんに 事の
顛末を話しておきましたけどね。

もう一つは 親戚のおばちゃんから 泥付き ひびわれなどの腐りかかったウリやキュウリがどっさり届いたことです。
私は野菜など届いても ありがたいと思うほうなのですが
畑で割れたウリや虫食い ひび割れ 傷んだ野菜を欲しいとは思いません。
次回からは 廃品処理はご遠慮いただきました。
いくら都会人だからといっても 人にあげるものは それなりのものを選ばないとね〜

「着れなくなった服あったら ちょうだいね」っていってあった 親戚の人から
貰った服ですが
時代遅れの何十年前のもので すりきれ シミ 汚れつきまくりのものでした。
これもまた ゴミ箱直行。
私なら 自分はサイズ的に合わなくなったけれど まだあたらしいので どうぞ・・・ていうもの送りますよ。

人にものをあげるって 本当に難しいです。

物欲のない人に ものをあげるのもダメですし
自分が旅行に行ったからとて お土産くばりまくるのもね〜
むかしは お土産ってありがたいものでしたが
このご時世 どこでもなんでも手に入るしね。

私が帰省するときは 東京土産・・
やはり悩みます。
日持ちして 美味しくて めずらしいものってね〜

ありがたがられるのは やはり東京にしかないものかなぁ・・・
皇居の最中は大好評でした。

いらなくなったものは 基本処分します。
ゴミです。
自分がいらないものは まず 人もいらないと思ったほうがいいです。

欲しいというものだけ あげますが こういうことはあまりないです。

マンションなんて 花飾るのにも 苦労するんですよ〜
家の中で日が当たるところって 限られていますし
アレルギーならまず アウトです。
人にものをあげるときは
よくよく考えてなきゃね。
と・・自分に言い聞かせています。
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2019年05月29日

東京の空〜

中国企業が 水で動く自動車を発明と 発表したという。
「ありえない」「大ペテンだ」という真偽を問う声が多いそうです。
まぁ フェイクニュースかもしれないし そこは黙ってみているしかないです。

しかし 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンの電源供給装置は 原子炉だし
未来はどうなるかわかりません。あれって ゴミ入れてたよね〜
dlran.JPG
ずっと前に カリフォルニアUSHで 写したデロリアン。

よく子供の頃 SF映画で 空中を走る タイヤのない自動車を見かけましたが
いまだに 実現していないのが 残念です。
夢の実現には 時間がかかるものなのですが
それでも 明治維新からみれば 文明もずいぶん進化しましたね〜。
そのうち きっと水で走る自動車も出てきますね。

「オランダ首都アムステルダムの市議会は2030年からガソリン車やディーゼル車など化石燃料で走行する車を市内から締め出し、排ガスを出さない燃料電池車や電気自動車のみ認めると決めた。環境汚染と地球温暖化の阻止を図る。」というニュースも過去にありました。

日本政府は パリ協定の目標を受けて 「2050年までに同、80%減とする」などの目標を立てています。
世界主要都市のトップが共通課題を議論する『U20メイヤーズ・サミット』の冒頭で 都知事が
「Tokyo declares that by 2050, become zero emission Tokyo that contributes to the world net zero carbon emissions.」と発言したものだから
ネットは大騒ぎ。人間の息はどうするのかとか 
CO2排出量実質ゼロなんてできっこないという 批判がありました。

じつは
「東京は2050年に向けて『ゼロエミッション東京』を宣言し、世界のCO2排出量実質ゼロに貢献します」という意味で
人為的に作られたCO2を 緑化推進や化石燃料に頼らない発電などに置き換えていくという話なのです。

政府の目標が80%ならそれに先んじて 目標をたてましょうということらしいです。
これは 目新しいことではなくて 多くの大企業もすでに宣言しているとのことです。

一部のマスコミは ネットの批判をそのままに 嘲笑し おもしろおかしく とんでも宣言として 報道したりして
勉強不足だなぁ・・・と 思いました。呼吸ができなくなるだなんてね〜わかりそうなものでしょ。

最近 街なかで 黒いバスを見かけます。
都バスはグリーン主体のバスなので あれ?と 思うと
「水素燃料バス」なのです。

2020年度までに100台以上 走らせたいとのことで だんだん増えてきて 江東区ではよく見かけるようになりました。
今度 見かけたら写真でも撮ってこよう。
なかなか しゃれてて 都バスとは気が付かないです。
なんでも エンジン音が静かだそうです。

電気自動車も増えてきましたね〜
日本も ガソリン車から電気自動車に シフトしていきそうです。

東京が全国に先駆けて ディーゼル規制をやったようにガソリン車も いずれそうなっていくのかもしれませんよ。
長い時間をかけて 変化していくものなのでしょうね。
それこそ オランダが2030年なら東京も ・・ってことになりそうです。

でも 東京って意外と 空気悪くないんだなぁ〜
以前住んでいた ところより よほど いいです。
郊外が空気がいいなんて 幻想。。。

砂埃はひどいし 車も多い。虫も多かったけれどね。そして 農薬もがんがん撒いていました。
水も 悪かったです。工場や産廃施設も多いしね。
高速道路はあるし 空港もあって 飛行機よく飛んでいたしで 
家の中はいつも ざらざらしていました。
壁紙は粉塵で 黒くなりました。

智恵子抄の頃の東京は どんなんだったのだろうか・・・・。

どこでも すめば都。
人生50年が100年になって
ますます 元気で長生き人生です。

これで 環境がよくなったら 逆に軟弱人間になったりしてねーーー
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2019年05月28日

お医者さん

山崎豊子原作の 「白い巨塔」のTVドラマを見ているのだけれど
教授にしては 少し若いかな〜と 思う岡田准一さんも なかなかの熱演です。

昔のドラマの リニューアルですが 内容は現代医療になっています。
しかし あの 教授回診は いやですね〜
大学病院という場所なので しかたのないことなのでしょうがね〜
今も そうなのかは 知りませんが・・・。

もう20年以上前の大学病院は まぁそんな感じが残っていました。
小児科でしたが やはり教授回診てのがあって もちろん子供には優しいのですが
ぞろぞろと 大勢が金魚のフンのごとくついてまわり
一つの儀式のようでした。
だって 教授なんて 一人一人の 患者のことなんかよく知りませんよ。
担当医ならともかく ほんの一言二言 説明聞いて おしまい。という感じでした。

担当医も大学の授業などで忙しいので普段は研修医におまかせで
研修医は あれこれ 患者からと指導医からの 注文でそれはもう寝る暇もないほど大変そうでした。
どちらが 病人かわからないほど 顔色が悪くて いつ寝ているんだろうか・・という具合。
患者が急変すれば 呼び出されるしで その試練を乗り越えて 医者になっていくのでしょうか。

病棟で思ったことがあります。
病気にも 序列があるということです。
特に 大学病院は 珍しい病気が 一番なのです。
勉強 発見 論文の資料になりそうな 患者は 重宝されました。
ごく普通の 病気は あまり関心がないようでした。
小児科でも その差は歴然で
医師 看護師の態度も違っていました。
研究材料なら大歓迎ってところでしょう。

同じことをしたり ものを持ち込んでも
「あの子は いいのだけど 君はダメ」という風に差別がありました。
なぜかと聞けば
「あの子は 君とは違い重い病気だからね」という具合でした。
そんなこと言われても 子供は納得できませんよ。

昔は そういうことも平気でありましたが
今は そんなことはないと信じています。

昔は つけとどけ 袖の下 謝礼 贈答品 なんでもありでした。
堂々と 医者に渡したり ナースステーションに品物届けたりでした。
子供の病気に そんなことで差がつけられるとは思いませんが
とにかく 常態化していました。
退院するときの お礼もありましたね〜

そんな 習慣がとても不愉快でした。
今でも 残っているところがあるだろうか・・・

医者が偉くて 看護師の機嫌をそこねたら大変で 患者は顔色伺っていなきゃいけない時代から
いつの間にか
「患者」は 「患者さま」になってきて
「謝礼 贈答品はお断りします」の貼り紙がはられるようになり
変わってきました。

私学の病院はどうなのかは わかりませんが。。。。
田舎では 相変わらず 医者に謝礼を届ける習慣があると 聞いています。

悪しき習慣はなくしたほうがいいと思います。

それでも 何らかの差はあるとは思います。
特別室の患者もいれば 大部屋の患者もいますしね〜

コネ カネ ありの世界でしょうね。
政治家と同じに 地盤 看板 カバンの3つのバンが必要な世界なのでしょうか?
白い巨塔の 教授選の世界も そんな感じでしたね。
純粋に 腕のいい医者が 偉くなるってことはないのでしょうか。

臨床医の経験が少なくても 論文たくさんかけば 博士になれるってね。
私ならどんなに偉い医者でも 論文ばかり書く医者より
臨床経験豊富な 医者にみてもらいたいなぁ。。。。
などと 思ったりしています。

どの医者も 忙しすぎて 一人一人の患者に時間がとれないみたいです。
それが 今の医療の欠点かもね。

患者からしてみれば大病院の先生は
救いの神みたいに思えても 
神様は ほんの3分ほどで 患者のことを知らねばならないので
どうしても 検査 検査となるみたいです。
2時間待って 3分 診療ってのもね〜
我慢強い日本人は じっと耐えます。待ちます。
やっと自分の番が来ても 3分じゃ 余計具合いが悪くなりそうです。

災害の時に 頼りになるのは医者ですものね。
DMATのような 医者はすごいなぁ・・と思います。
そんな 医者が増えるといいなぁと 思います。
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posted by うめのはな at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年05月25日

余生

このところ何かと忙しい。
おまけに 真夏のように暑い。
こんな日は 外に出るのも命がけ・・・って こともありますね。

家人に 遠くから知人が訪ねてきました。
終活の旅をしているとのこと。
学生時代をすごした 東京の知人のあいさつ回りだそうです。
他にも 勤務先で 転勤もあり 知り合った人への 挨拶めぐりもしているとか。

じつは この人 本当の終活なのです。
数年前にガンを患い ありとあらゆる治療や手術をしました。
そのたびに 「負けるものか。頑張ります」の年賀状が来ていました。
しかし
とうとう 転移し医者に
「これ以上の治療はもうありません。余命は3か月ほどです。
残りを好きなように生きてください。何をしても 何を食べてもいいです」と
宣告されたそうです。当然 抗がん剤も薬もすべて 中止です。
そうしたら 一時的かもしれませんが 体調がよくなったとか・・・。

そこで 身の回りを整理し 知人 友人 巡りをしているそうです。
私なら 会うのがつらくて 何を話していいかわからないかな。

遠くから東京に出てきただけでも 大変そうなのに
もより駅までこちらが行くといっても
住んでいる最寄り駅まで 出向くというのです。

いろいろ思いはありましょうが
慣れない東京は 乗り換えだけでも 疲れます。
「東京はよく知っているから。なつかしいので 地下鉄にも乗ってみたい」と言えば
断れないですが
何十年も前の 東京とは 全く違う街 違う駅になっているのです。

案の定 説明したのとは 全く逆の 出口に出てしまったようです。
携帯がなかったら 会えなかったですね。
便利な世の中になったものです。

その人は
整理した 写真をアルバムからはがし 配っています。
一緒に撮った写真。そして ご自分の写真などです。

こちらは
「ああ〜そうか ここは ○○だね」というくらいで
若いころの自分が くそ恥ずかしいという感じなのですが
本人にとっては 自分の人生そのものの一コマなのでしょう。

そして おもむろに
「一緒に写真とりましょうか」と
こちらの 端末で写真を撮りたそうにしているのですが
もともと 写真などきらいなので 返事をしなかったら 諦めたようです。

自分の存在を残しておきたかったのでしょうか・・・・
忘れないで欲しいという 願いなのでしょうかね。


写真など 撮ったとき見るくらいで たびたび見るものではないし
人は 自分の記憶の中に 焼き付いているものは
時間がたっても 忘れないものです。
写真に残そうが残すまいが
脳裏に焼き付いたものや 人 出来事は 忘れようにも忘れません。

いずれ皆 灰となるのですから その時まで 記憶の中に生きていてくれればいいのではないでしょうか・・・
わざわざ 後世に残したとて
次世代になれば 処分されてしまうものなのです。

その人は
終活で 自分で戒名を考え 高額のお金を僧侶に先払いし
葬儀も墓の手配も済ませているそうです。
家族は いません。

あとは ホスピスに空きが出るのを待って  そこへ入って 痛みをコントロールするだけの余生になるそうです。
ホスピスというのは
治療はしません。苦痛をとりのぞくだけ。
治療が必要な他の病気になり 治療を希望したり ガンの治療を望んだり 縮小させる 民間療法を希望したときは
一般病棟なりに移るそうです。
緩和ケア病棟というのは 少なくて 待ち人も多いらしく
言葉は悪いですが
余命がある程度わかっている人が 入るところということです。

空きが出るということは どなたかが 亡くなって・・ということなのです。

なんだか聞いていても 辛いです。
ただ 終活する時間があるだけ まだ 救われます。

突然死もありますし 寝たきりになることもあります。
突然死ってのも 困るかなぁ。
死ぬ本人は困らないのだけど
残った家族が 困りますね。
基本捨ててもいいものばかりしか ないですし
見られて恥ずかしいものないのですが
整理整頓が悪くて 「なんだこんなもの」って 思われそうです。

思い切り処分できればいいのだけれど
みみっちく捨てるのをためらったりします。

今回少し 考えを改めて 断捨離をしていこうと思います。
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posted by うめのはな at 09:30| Comment(2) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年05月23日

ややこしいのはいや

近頃は 家電話をほとんど使いません。
かけることもないし かかってくることもほとんどないです。
よって詐欺電話もなくて 安心です。
選挙の時は 自動世論調査とやらの アンケート電話がかかってきますが
いつも 無視しています。
ある病院の間違い電話が時々あります。
あまりに多いときは(最近は ほとんどないです。代表番号にしたのかも)
しらっと
「はいそうです」って 言ってやろうかと思うのですが
さすが そういうことはできず 「違います」と言って切ります。

いっそ 光電話だけ 解約しようかと思いますが
ごくたまにかかってくる実家とかの電話は長くなるし 携帯でかけたくない事務的連絡もあって
なかなか 解約はできません。

私はまだ ガラケーです。
電話もあまりしないし かかってくることもほとんどないしで
ただ 緊急連絡用に持っているだけなのです。
使わないものだから 無料通話の枠が 毎月数千円になっています。
家族間は無料だし まず他で使うこともないです。

必要な時は 最近はLINEの通話や スカイプで無料で話せますし 
いざというときのために 携帯を持っているだけです。

LINEなどは 私は タブレットなのですが
WiFiはあるし 東京では 街なかでも 交通機関の中でも たいていWiFiは来ているので
みなさん 不自由はしていないようです。
「TOKYO FREE Wi-Fi」です。

外国人もみな 利用しているようです。
都心は街なかは ほとんどOKです。
便利な世の中になったものです。

福井にいる 従妹が スマホに変えたらしいのですが
しばらく使っていて 
あまりの金額に驚いて すぐに解約しました 再びガラケーに変えたそうです。
田舎は出かけても WiFiなど使えないし 便利だわ〜で 使っているうち パケット代がすごいことになったそうです。
自動でアプリのUPデートがはじまったり 触れた覚えがないのに
アプリが起動したり(それ あんたがにぶいからだ)
指で触れても 動かなかったり(年取ると皮膚が乾燥していて そうなるんだってよ) いらつく と言っていました。

だからと言って 電話もほとんどしないし 触ればおかしなことになるし
何がどこで どうつながるかわからなくて
こわくてさわりたくなくなった と言っていました。

電話とメールだけなら ガラケーがいいそうです。
私も そうかなぁ〜
電話とメールだけだものねーー

ネットはタブレットでできるし そりゃスマホは 持ち運びには便利だけど
なんだかややこしいので
あと2年は ガラケーかなぁ。。
そのうち 安くなれば 考えましょう。

世の中便利になったようで 逆に不自由になったのかも。
不必要な機能が増えて 操作が複雑になったりします。
電子レンジも チンだけでいいかもね〜
あとはトースターがあれば いい。
そんな複雑な調理を電子レンジでしようとは思いません。

洗濯機も 洗って脱水してくれればいいのに
あれやこれやと ボタンや機能が盛りだくさんで いやになります。
炊飯器もそう。
予約で炊いてくれるだけでいいです。
炊飯器で調理はしません。

温水便座は お湯で洗ってくれるだけでいいです。

なにもかにも複雑にして 値段を高くして・・
もうちょっと 原点に戻って単純なものを安く 発売してほしいな。

スマホも 電話とメール。カメラ。
そしてWiFiだけでつながる機能。
それあったら 買い換えるかも。。。。。
2年ごとの端末買い替えはやめてほしいです。

人も
複雑な人より
単純な人のほうがいいです。
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posted by うめのはな at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年05月20日

ふるさとは・・

今日は五月二十日。
そういえば 我がふるさと 三国祭りの 本祭りの日だなぁ・・と。
昨夜も 実家から電話で「三国祭りの日だ」と言われたばかりです。
そういわれて ああ〜そうなんだなぁと 思いだしたくらいで ほとんど忘れていました。

この三国祭りは 数基の大きな山車が出て 街なかを練り歩きます。
大きな 山車で何十人もで 山車をひきます。
山車当番の町内は 大変です。
総出で 山車をひくのですが いかんせん 高齢化で ひき手が不足しているのです。
町内が山車を出す年は 一軒に一人 人を出さねばなりません。
何キロも 朝から晩まで街中を ひきあるくのですから 高齢者は 大変なのです。
しかも 暑い。。。

実家の兄なども 旧町内にいたときは 否応なしにかり出され へとへとになっていました。
アルバイトを雇い 出てもらう家もありましたが
そういうことをするのも 何か言われて 肩身が狭いということもありました。
何かと口うるさいのが 田舎の特徴です。

最近は HPでボランティアを募っているようです。
町の人だけじゃなく どこからでも誰でも 参加できるようにするのが いいと思います。
町のものって 考えは捨てたほうがいいです。
伝統行事を 末永く引き継いでいくには 臨機応変でいかなきゃねぇ。

ところで 最近は 都会に出てきた若者が 帰省したくない と思う人が増えているようです。
大学に 就職にと都会に出た若者に
実家からは 長い休みになるたび 「顔をみせろ」「かえってこい」などと 言われる。
それが 苦痛だということです。

気軽に 顔をみせろとは言いますが
GW お盆 など 混み合う時期に帰省するのが どれだけ大変かわかっていない。
切符は 高いし 予約も大変だし なにより混み合いへとへとになる。
しかも帰るたび
「○○ちゃんは 結婚して子供がいる」
「○○君は Uターンしてきた」
あそこの子は ・・とか 
噂話を聞かされる。
要するに はやく結婚しろ 孫の顔がみたい こちらに戻ってこい
の 裏言葉に他ならない。

そういう言葉を聞かされるのは うんざりする。
あげくのはて 
「誰のおかげに 都会の大学に行って 都会で就職できたんだ」と
恩着せがましい言葉を聞かされる。
帰っても 田舎の友人たちと 話も合わないし 楽しいことなどない。

なにかにつけ 祭りだ 正月だ 同窓会だと行事に出ろと言われる。
煙草に酒と すすめられ断ると 付き合いが悪い と言われる。

こちらは 自分なりの生活もあるし 帰省するお金を工面するのさえ大変なのに
気軽に帰ってこいは ひどいじゃないか。
休日にしかできないこともあるし 予定もある。

そういう感じで 帰省することに 疲れ果ててしまうというわけです。

そうなんですよね〜
私なども 帰省するとなれば 往復4万は交通費がかかるし
土産だ なんだで 結構な出費でした。
いつぞや 兄嫁に
「交通費って いくらくらいかかるのか」と聞かれ
「片道 18000円くらいかな」と答えると
驚いて
「ごめんねー車でしか出かけないから 新幹線代も知らなかった。そんなにかかるんだー」と言われました。
これが 家族なら 1度の帰省で何十万もかかりますし
もっと 遠くの人。飛行機など使えば やはり大金になります。

帰省のために 貯金するようなもの・・って 誰かが言っていました。

最近は それだけのお金で ぱぁーっと海外旅行って人も 多いです。
渋滞の中 くたびれはてて 実家へと言う人は 本当にご苦労様と言いたいです。
親は 楽しみにしているのでしょうからね。

でもでも 帰ったあとは 嵐が去ったように 寂しくなるのも確かです。
その繰り返しが またメリハリがあって いいのかもね。。。。。

親が生きているうちは 親孝行もいいものです。

親がいなくなると 自然に実家は 遠くなるのです。
代替わりしてもそうですけれどね。
旦那には そういうことわからない人もいるので 困りものです。
いつまでも 自分の家だという気持ちが抜けないのか
歓迎されていないと わかっていても 帰りたがる ということがあります。

そのうち 勝手にどうぞ 私の実家ではないですから。
と 嫁に言われて 腹がたつ 
って こともあります。
なかなか 難しいものなのです。



「ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや」
                 室生犀星
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2019年05月16日

廃プラ

今何かと問題になっていて 面倒な廃プラなのですが 
「国内で処理が追いつかなくなっているプラスチックごみ(廃プラ)について、環境省は、焼却炉などで家庭ごみの処理を担う市区町村に対し、企業など事業者が出す産業廃棄物の廃プラも受け入れるよう要請する方針を固めた。」
という記事を 見ました。

何をいまさら・・と いう感じです。
もともと 廃プラなど せっせと分別することに 以前から疑問を持っていました。
環境に〜とか 資源が〜とか もっともらしく分別を推奨していましたが
結局は 燃やすのが一番 いい方法ってことなのでしょうね。

リサイクルには お金がかかります。
そのリサイクルで 巨額の利を得ている企業 団体もありましょう。
何よりリサイクルにも エネルギーが必要です。

石油資源を・・といいながら 資源を使ってリサイクルはどこか変です。
プラのリサイクルのために 汚れを落とし 水で洗っては 水の無駄使いそれに 排水は汚れた水。
回収にも 運搬にも 人手とエネルギーを使います。

燃やすのが一番無駄のない方法 と言われています。
まぁ そこにはいろいろなリサイクル利権がからんでいたのでしょうが
環境に〜の お題目は 崩れてきたようです。

私は ペットボトル 紙ごみ 発泡スチロール 瓶 缶 などの分別はしています。
しかし プラスチックの分別はしていません。
燃やすごみ に入れています。
区の回収基準も あいまいで 燃やすごみのプラもあれば 汚れていないものは 回収とか 
一体どっちなのか よくわかりません。
綺麗なものでも おもちゃや CD とかのプラは燃やすごみとかで 首をかしげることばかりでした。

プラは 燃やすと 燃料の役目になります。
よく燃えるのです。
だって 石油製品ですから それだけ 石油の節約になりましょう。

ちまちまと こうるさく ビニールのかけらまで 分別と言っていた 自治体は 今回の方針を
どうみているのでしょうか・・・。

家庭ごみだけではなく 集めてしまった 産廃としてのプラゴミまで 燃やしてほしいとは何事でしょう。
だから プラゴミなんて 分別回収しないほうがよかったって ことなんでししょうね。
輸出ができなくなって 行き場がない プラゴミをまた 自治体で燃やしてほしいなんてね〜

もともと プラスチックを燃やしてはいけないというのは 猛毒のダイオキシンなどが発生するからと長い間、それが「常識」だと思い込まされてきました。
しかし 高温で燃やせばダイオキシンは発生しにくいということが わかり 焼却派が増えてきました。
高温焼却施設があるなら 大丈夫なのです。

東京23区はプラスチック不燃派が多かったです。
しかし、実際は、廃プラスチックの約半分が燃やされています。
4割は 燃えるゴミに混在しているそうです。
さらに 、不燃ごみに出されたプラスチックの2割を「不燃ごみ専用の焼却施設」である大田第2清掃工場で燃やし、重さで7−10分の1、容積で最大40分の1に減らしてから埋めているとのことです。
なぁんだ 結局 燃やしているんじゃないですか。。。。
わざわざ 時間と人手を使い 回収しなきゃいけない意味はないでしょうね。

環境派の圧力が 各議会でも強いところは 回収しているのでしょうが
今回の 方針で それが崩れそうです。

そもそも 環境が〜の主張も パフォーマンスだけになっていませんか?と言いたいです。
環境科学を 一通り学び 環境分析を実務でやってきた私にしてみれば
おかしなことばかりで
それは エコでは なく エゴ ではないでしょうか?
ということも いろいろありますね。

これから 廃プラの行方を 生暖かく見守っていきたいと 思います。
そりゃ 使わないのが 一番いいですが
じゃ 紙にしたところで 今度は 木が〜森が〜って なるのは目に見えています。
なかなか 難しい問題です。

ひとつ言えることは レジ袋なくしたら
赤ちゃん 老人の 紙おむつ処理に 困りますよねーーー
ぎゅっと縛って 臭いがもれないようにするには レジ袋が最適なんですが・・・
どうするの?

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2019年05月14日

灰の男

初版発行が 2001年3月 という 本を読みました。
古い本は 時代背景があわなくて 興ざめしてしまうのであまり読まないのですが
この本の内容紹介に興味をそそられて 読みました。
なぜ いままで 読んでいなかったのか・・と おもうほど 面白かったです。

単行本で初版が出てからも 単行本での再販 そして 文庫本でも出版され 今回2019年に再び文庫本 上下 で再版された本です。

タイトル   灰の男  上・下
著者      小杉健治/著 
出版者   東京 祥伝社
出版年    2019.3

内容紹介
「昭和史の暗部を抉る衝撃と感動の大作!
昭和20年3月10日、10万人の命を奪った東京大空襲の裏に驚くべき謀略があった! なぜ下町が狙われたのか?なぜ空襲警報は遅れたのか? ともに大事な者を失った咄家の信吉と大学生の伊吹。2人が平成の世に再び邂逅した時、史実の闇に隠された衝撃の真相が明かされる。著者渾身の歴史ミステリー問題作。」

物語は 大正時代からはじまります。
そして 関東大震災。
不穏な時代へと 突入 。
昭和初年から 戦争へと・・・

出会いがあります。
それも 普通の出来事ではなく 運命を左右するような 出会いの数々。
そして 人間模様。

上巻半分くらいからは 戦争です。
それも 東京大空襲。
飢えに苦しむ家族のために ある日同僚たちと 盗みをしようと計画をたてる。
そして当日 同僚の不可解な行動。同時に起こったB29の爆撃。
空襲警報の遅れ 火焔地獄をそこで見た。
下町を焼き尽くす 炎。
死体の山。
それをのりこえ 家族のもとへ・・・。

なぜ、こんなに大勢の人が死ななければいけなかったのか・・・
なぜ、下町だったのか。

時代は昭和から平成へと・・
あの焼け野原で 心身ともに焼き尽くされ 燃え尽き失望した 男。
そして 時代は移りますが
心に残る あの3月10日の 空襲の出来事。
あれは 3月9日ではなかったのか・・
真実は 闇に葬られている。
衝撃の事実を語らねば・・・
今 再び歴史の裏に隠された 真実が語られる・・・

庶民から見た東京大空襲に迫る畢生の書下ろし1200枚。
一気読みしました。
読み始めたら 途中でやめられない 迫力がありました。

以前も このブログで書きましたが
なぜ 東京慰霊堂はあっても 東京大空襲の記念館はないのだろう。
10万人の人がなくなったというのに なぜ その人々を慰霊する施設がないのだろう・・・
この疑問が あきらかになるような気がしました。
両国の慰霊堂は もともと 関東大震災の慰霊のための施設です。
1948年より東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年に現在の形になりました。

本来 東京大空襲で亡くなったかたの 慰霊施設があってもいいはずなのにありません。
アメリカへの忖度か。。。
はたまた 何か 後ろめたいことがあったのか
それは わかりませんが
「灰の男」 を読んで 少しわかるような気がしました。


少し前に読んだ 石田衣良氏の 「不死鳥少年 アンディ・タケシの東京大空襲」
も 空襲の場面が悲惨で 読んでいて辛かったですが
この本も おなじような描写があって 辛いです。
決して 作り事ではなく 証言をもとに 事実を描いているからだと思います。

ちょっとできすぎな気がしましたが
運命の出会いと 人とのつながり 不思議な縁を感じる 話でした。
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2019年05月12日

さしすせそ

調味料の 「さ し す せ そ」は よく言われている 言葉ですが
人生の 「さ し す せ そ」もまた 人付き合いのための いい言葉です。

さ・・・さすがですね
し・・・知らなかった
す・・・素敵ですね
せ・・・せっかくですから
そ・・・そうですね

大事な 相づちの言葉です。男を落とす 言葉だそうですが・・・
嫁姑がうまくいく魔法の言葉だそうです。

行き違いは たいてい コミュニケーション不足からくるものだそうですが
いやいや そうでない場合もありまして なかなか 人とのお付き合いも難しいものです。

特に 嫁姑の問題とか コミュニケーション不足だけではすまされない問題も多いです。
人とのお付き合いもそうです。
何を見ても そこにその人がいるだけで なぜか「むかつく」という 人もいるそうですし
難癖をつけたくなる 相性の悪い人もいます。
会社でも 学校でも それが 「パワハラ」「いじめ」となります。
じつは裏を返せば 「むかつく」と思う人の 「心の病」なんですけどね。
コンプレックスや 嫉妬 という 病です。

ある本によれば
「海」の人 「山」の人 の二種類あって
この二つは お互い相容れないものだそうです。
あくまでも お話しの世界のことですが
「そうかも」と 思える点もありました。

そりゃ 人間 生まれ育った環境が違えば 習慣や 食事も違いますので
お互い同じようにというのは いきなりは無理です。

海の人が 山の人のところに行って 結婚してもその風俗習慣に戸惑いますし
まわりからみれば 「変なやつ」「同じことができないのか」と言うこともありましょう。
逆も 同じですね。
狭い日本と言っても ところかわれば 習慣も違うし 言葉さえ違います。
そこで 行き違いも出てくるというものです。

昔は 狭い地域での お付き合い 結婚と 同じ習慣の人が集まることで
うまくいっていたのでしょう。
そこで 村社会ができあがって 「よそもの」意識が生まれてきました。
それが 今でも続いているところもあるのです。

今じゃ 「村」の人 「町」の人なのかもしれません。
習慣や言葉の違いだけでは なく 様々な障害もあります。
人の行き来や 結婚も 日本全国 いやいや 世界各国ですからね〜

嫁姑の 軋轢の経験はわたしにはなくて 幸いですが
やはり 田舎の親戚などとは 考え方も違い なんとなくズレを感じています。
自分を一歩下げて 相手を立てるという意味では

さ・・・さからいません
し・・・心配しないでください
す・・・すみません
せ・・・せっせとやります
そ・・・相談にのってください

こういうのも いいかも。

しかし
私ならねちねち 文句言われたとき

さ・・・さぁね〜
し・・・しらんがな〜
す・・・すきにしたらぁ〜
せ・・・せこいね
そ・・・それがどうした

こんな感じかもね。

お世辞なんて 言えません。。。。

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2019年05月10日

帝国ホテル建築物語

非日常の連休もすぎて どうやらまた普通の日常に戻ってきました。
しかし 今日は暑いです。
冬布団を干して 夏布団と入れ替えています。
エアコンのフィルターも掃除。
急に 夏支度です。

連休中に何冊か本を読みました。
一番興味深く読んで 面白かったのは

「帝国ホテル建築物語 」
著者  植松三十里/著
出版者東京 PHP研究所 2019.4

帝国ホテル建築の物語ですが世界的建築家フランクロイドライトの厳密すぎるほどの 細部までのこだわり。
大工 石工たちとの 確執 理解までの苦難。
一番は 利益 効率追求の 経営陣のライトへの追及。
関東大震災でも 壊れなかったライトの設計。
火事などなど 苦難をのりこえ
1923年(大正12年)に完成した帝国ホテル旧本館「ライト館」の建築にかけた男たちの熱い闘いを描いた長編小説です。
ライトは完成を見ることなく 経営陣に解任され 離日。
一番弟子の 遠藤新の指揮のもと 完成。


ライト館
フランク・ロイド・ライト 設計。
鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート造、地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室数270。
1923年(大正12年)竣工。1968年(昭和43年)新本館建設のため解体。

この名建築は 今は ありません。
玄関部分だけが 保存され 明治村に移築されています。
この移築も困難を極め 10年かかったそうです。

すばらしい建築で 一度見たかったなぁ・・・
庶民には縁のない ホテルだったでしょうが・・・・

ホテル宿泊者のクリーニングサービスは世界的にも 評判がよかったとか
ビュッフエスタイルの食事を日本ではじめて取り入れたのも帝国ホテルだそうです。

私はビュッフエスタイルの食事は落ち着かなくて 好きではないですが
帝国ホテルの食事はしてみたいです。

世界へと開かれた日本において、迎賓館の役割を果たしていた帝国ホテルも 時代の移り変わりとともに変化し
高層ビルとなりました。
今では誰でも 利用できる シティホテルとなりました。

フランクロイドライトの代表作の一つに
自由学園明日館があります。


見学した時のブログです。
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そういえば
「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」(原題: So Long, Frank Lloyd Wright)
サイモン&ガーファンクルの歌がありましたっけね・・・。
わりとすきでした。

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posted by うめのはな at 11:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書

2019年05月08日

ラジオ体操続いています。

毎日夕方にラジオ体操をするようになって もう2か月以上たちます。
第一 と 第二 の順でやります。
我ながら よく続いているものだと 思います。

一度 第二からはじめてみたのですが これは 疲れますね。
やはり 軽い第一からはじめて 第二に続くのがいいかと思います。

ラジオ体操って いつからあるのだろうと 調べてみました。

ラジオ体操第一
1951年制定、同年5月6日放送開始。現在の体操は3代目。

初代:1928年11月1日 - 1946年4月13日
2代目:1946年4月14日 - 1947年8月31日

ラジオ体操第2
1952年制定、同年6月16日放送開始。現在の体操は3代目。

初代:1932年7月21日 - 1946年4月13日
2代目:1946年4月14日 - 1947年8月31日

もともとラジオ体操は 国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操のことですが
ラジオ放送時代のことですので ラジオでは伝えられない動作などもあって 代替わりしてきたようです。

今は TV時代ですので 映像をみながら 体操をすることができます。

じつは ラジオ体操第三というのも あったそうです。

ラジオ体操第3
初代:1939年12月1日 - 1946年4月13日
2代目:1946年4月14日 - 1947年8月31日

2代目第3は両腕を大回転して屈伸したり、両脚を開閉してリズム良く跳びはねるなどの複雑で躍動的な動きが特色。放送
時は音声でその動きを伝えるのが困難な為、普及せず、短期間で放送が終了。
と 解説がありました。

この第三は YouTubeなどで 見ることができます。
動作がはやくて ハイハイハイハイののりの テンポで ついていけません。

そして 驚いたのが
ラヂオ体操第四と称する 動画でした。

見て 唖然・・・
椅子の上で逆立ち したり アクロバットのような動作だったりで とても一般人にはできません。

ラヂオ体操第4と名づけられたこの映像は、スポーツ用品メーカーが商品のPR用に制作したものだそうです。
ラジオ体操のパロディということで ジ じゃなくて ヂ なんですね。
もちろんテレビでは放映されません。
これ 最初に見たときは笑えるくらい「こんなの無理」って 驚きました・・・。

要するに 第一と第二が 一般的に普及したということです。

続けていて 上半身の運動が多いので 肩こりや背中のコリに効きそうです。
下半身の運動は ちょっと不足ですね。

これは 自分で工夫するしかないですが よく動いていれば 大丈夫でしょう。

体調もいいので もうちょっと続きそうです。
できれば ずっと続けたいですね〜
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posted by うめのはな at 09:03| Comment(6) | TrackBack(0) | エトセトラ

2019年05月06日

東京交通会館

有楽町駅前にある 「東京交通会館」には パスポートセンターがあって利用するのですが
この東京交通会館は 東京都交通局庁舎跡地の再開発により1965年6月18日に開業しました。
すいぶん年月が経っている建物です。

当時は ホテルニューオータニを初めとして日本各地のホテルなどで見られた回転レストランがあります。
東京に来て間もないころ 兄夫婦に連れられて この回転レストランではじめて食事をしたときは
感激したものです。
地上55メートルからの眺望で 当時は人気スポットだったそうです。

東京交通会館15階には 今も 東京會舘銀座スカイラウンジが あります。
約80分かけて 360度回転するそうです。
当時とは景色もずいぶん変わって 高層ビルが建ってしまったのでしょうね。

3階には屋上庭園「有楽町コリーヌ」があります。
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東京国際フォーラムの建物が正面に見えます。
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東海道新幹線を間近に望める撮影名所として知られています。
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ちょうど目の高さで 新幹線の全体が眺められるのが いいですね。
この屋上庭園 ところどころに 休憩するスペースがあるのですが 日差しが強くて暑かったです。
もっと 木陰があるといいなぁ・・・。

1階と地下には 全国各地のアンテナショップも入店していて にぎわっていました。
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この交通会館のらせん階段が 有名なのですが 今回は人が多くて いいショットで撮れませんでした。
また 次の機会にでも チャンスがあれば 写してきましょう。

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2019年05月05日

銀ブラ

銀座へは都バス1本で行けるので バスで銀座へ。
途中 晴海を通ったら 選手村のマンションが ・・・
ひとつの街が 出現していました。
これが 分譲されるのですよね〜
高嶺の花です。
バスは 築地場外市場前を通ります。
かっての 築地市場はまだ 建物こそ残っていますが 解体中で閑散としていました。
場外市場は ものすごい人です。
ぞろぞろと 人が行きかい 賑わっていました。
外国人観光客が多そうです。
歌舞伎座前から 銀座4丁目と 観光巡りのような ルートです。

さて 久しぶりに 銀ブラ。
8丁目から 1丁目までの中央通りは
歩行者天国なので 人が分散していて 歩きやすいです。
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日の丸が 掲げられていました。
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銀座7丁目ヤマハ株式会社の旗艦店
斜角格子状ガラスの装飾が特徴なカーテンウォールでファサード全面が仕上げられていて 目立ちます。
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銀座7丁目の銀座ライオンビル
1899年から1世紀を超える歴史を持つ「銀座ライオン」」
1階のアールデコ風の装飾と、奥のモザイクタイルの壁画が美しいこの建物は、建築家・菅原栄蔵(1892〜1967)の設計により昭和9年に竣工したもの。

食事しようにも 外まで人があふれていて 入ることすらできませんでした。
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銀座SIX 6丁目
松坂屋銀座店の跡地を含む銀座六丁目10番街区の再開発で生まれた 複合商業施設。

地域の防災施設としての機能を備えていて 
帰宅困難者のために 食料 や毛布 発電機なども備えています。

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銀座SIX前 石碑

商法講習所
  明治8年(1875年)この地に
  商法講習所を開設す
  これ現在の一橋大学の発端なり
    昭和50年9月24日

    百年記念に当り
      一橋大学之を建つ
銀座は よくみるとあちこちに 石碑などがあります。

4丁目の交差点をすぎると
4丁目の 木村屋は 中はめちゃ混み。外でも販売していましたがそこも人で いっぱいでした。

令和 初日には あんぱんが配られたとか・・・。
三越のライオン像は 正装していました。
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銀座松屋。
個々の壁面広告は イベントごとに変わって 面白いです。
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2015年春のミッフィ展のが よかったです〜

そろそろ 銀座から京橋へ・・・
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京橋高速道路 脇には こいのぼり。
五月五日は 子供の日。
風がなくて 垂れていて 残念です。
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警察博物館が 対面にあるのですが ここも 賑わっていました。
外国人の親子連れが たくさん入っていって 入り口の 衣装を着て ヘリや白バイで写真を撮るコーナーが行列でした。
警視庁って どこの国の子供にも 人気なのね〜
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警察博物館は無料の施設です。
銀ブラは ここでおしまい。

結構 疲れました。
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posted by うめのはな at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 中央区

2019年05月04日

銀座の柳

銀座にはあちこちに 柳の木が植えられています。
中央区の木は 柳 です。
銀座の柳は、1877年(明治10年)完成の「銀座煉瓦街」に誕生しました。
震災 空襲などを経ましたが 銀座の柳も よみがえっています。

昭和7年(1932年)発売された『銀座の柳』の歌も年配の方は ご存知かと思います。

銀座の柳も 1世から 2世 3世 そして 今は4世 と時代を経ています。
新橋から銀座へと 歩けば銀座8丁目 「御門通り」沿いに 柳の並木に日の丸並んでいます。
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「銀座の柳四世」と書かれた札が掛けられている柳が植えられています。
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昭和 平成 そして令和へと・・・

5月5日には 第13回 柳祭りが開催されます。
「銀座柳まつり」は、西銀座通りが東京都のシンボルロードに指定されています。

この日は 通りが通行止めになり いろいろなパレードやイベントが催されます。

銀座の柳は 紆余曲折を経て 接ぎ木 や挿し木 で増やされ 全国各地に 植えられているとのことです。

いずれにしても 柳は銀座の シンボルです。

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シンボルと言えば銀座4丁目交差点です。

銀座4丁目交差点の銀座のシンボル的建物「和光」のショーウィンドウには 人だかり・・・。
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「令和」
カメラ構える人が 足をとめていました。

新しい時代になりました。
銀座中央通りは
4月27日から 本日まで 歩行者天国です。
みな自由に車道に出て 歩いていました。
座り込んだり 寝転んだりする人もいました。

外国人がとても多かったです。
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2019年05月01日

令和元年 初日

昨日で 平成が終わり 今日から 令和。
昨夜は まるで 新年のカウントダウンのような 大騒ぎだったそうです。
崩御されての 代替わりじゃないので はじめての経験です。
そうそうあるものじゃないけれどね。

このような  お祭り騒ぎで驚きます。
高齢者は 退位に涙をながし 
若者は フィーバーして いました。

平成の天皇が みなに慕われていた証拠でもあります。
国民に寄り添われ 何事にも全身全霊で 取り組まれていたのでしょうね。

日本人って不思議な民族だなぁ〜って 思いました。
天皇制が なんたらかんたらという人もいますが
なんといっても
日本人の心のよりどころ 
なんだなぁ〜と 今回 しみじみと 感じました。

政府が そのことを 悪用しないように願います。

さて
令和。代替わりしても 
国民に寄り添い 慕われる天皇様でありますように。。

なんていったって
日本の象徴なんですからね。

令和のはじまりの日に。

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博品館前で 記念にパチリ。
(本当は 顔の穴に 顔を入れて 記念写真を撮ります。顔の絵を描きました。)
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