2017年12月31日

大晦日

大晦日。
今日は 曇り。
昨日までは日差しがあって ぽかぽか暖かかったのですが 今日は寒いです。
(追記:午前9時すぎに 雪が舞っていました。東京の初雪だそうです)
来客もなく することも 予定もなく 今日はのんびり。
こんな日は 一日 「こたつむり」

大晦日と言えば 実家の福井は 寺が多いところですので 除夜の鐘が聞こえました。
紅白が終わり 「行く年 来る年」になると
近くの寺の 除夜の鐘が 響いてきました。
それが ひとつじゃなく あちこちの寺から・・・
でも 数軒先の寺の鐘の音が 一番大きく しかも 重量感がある鐘の音でした。
「ごぉ〜〜〜〜〜ん ごぉ〜〜〜〜ん」って なんというか 心にしみる音色で
物悲しくも思えたり 荘厳にも聞こえたりで
心ひとつで 感じ方が違うような気がしました。
除夜の鐘ってのは どこでもどこにいても 聞こえるものかと 思っていましたが
そうじゃなかったようです。

都会に出てから 除夜の鐘なんて 聞いたことがありませんでした。
赤坂や 大岡山じゃねぇ・・・
東京の喧騒の中では 聞こえにくいのかも。
寺が近くになかったのかもしれません。

千葉県の新興住宅地いたときは 地元の寺なのか 貧相な きーんこーーんというような 軽い鐘の音で 残念でした。

大田区にいたときは 池上本門寺の荘厳な鐘の音が 静かに 響き渡っていました。
ここは・・・
どうなのかなぁ〜
もう10年以上住んでいますが 意識して聴いたことがないです。
高気密防音サッシで 外の音が遮断されるからです。
でも 家族によれば 聞こえてくるそうです。
どこの寺なのかもよくわかりません。

今夜は 耳をすませて聞いてみようかな・・・

田舎の あの 荘厳な 除夜の鐘の音が なつかしいです。
みなさん 
よいお年をお迎えください。

来年が いい年でありますように。
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posted by うめのはな at 08:32| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月30日

父の思い出

父はいわゆる 頑固者でした。
しかし 自分に甘いところも 多々あったようです。

私が 5才くらいまでは 体が弱かったこともあって とても可愛がってくれたようです。
風呂にもいれてくれたり あぐらの中に入って くつろいだりしていた記憶もあります。
雪が降って 子供たちが雪遊びをしているのを見て 
私も 雪にさわりたいといったのだと 思いますが
外に出られない私のために 弟子に屋根のきれいな雪を持ってこさせたのを 覚えています。
過保護だねぇ〜

でも 学校に行くようになると もう関心はなくなったようです。
年の離れた兄を一人前にすることだけが 生きがいのようで
女なんぞ いずれ出ていくから 必用ない・・って ことでしょうか。
その態度があからさまで いやでした。

犬を飼って 欲しいといっても
「客商売に動物は御法度」って 却下。
新しい ハーモニカが欲しいといっても
「兄のお古がまだ使える」
あれも これも ダメダメダメでした。

あと継ぎの兄だけが 大事という感じで 二番目の兄もそう感じていたようです。
後に二番目の兄が
「俺は 父親に何かしてもらった記憶がない・・」といったのを聞きました。

そんな 父でしたが 内孫が生まれたら やはり メロメロでして・・
私はそのときまだ 家に住んでいたのですが
うまれたばかりの赤ん坊に 私の目の前で
「じいちゃんのものはぜーーんぶ xxちゃんにあげるからな。誰にもやらない」っていいました。
別に 私は 何か欲しいわけでもないのですが
これみよがしに言われて いい感じはしませんでした。

もう猫かわいがりというか じじバカというか 絵本を毎晩読み聞かせ ごはんを食べさせ 散歩に連れていき
イクジジになってしまいました。
仕事が忙しくて 私が抱っこしてxxちゃんの面倒みていて 泣くと 大声で
「泣かせるな!!」って どなりつけました。
わざと 泣かしているわけでもないのに そんな風に言われました。
あんなにダメといっていた ペットも飼いました。

私を見る目は もう
はやく家を出ていけ・・・でしたね。
「あまり勉強ができると 嫁の貰い手がなくなる」といって
勉強するのをいやがり 9時には就寝でした。

二番目の兄は 高校卒業後 関西ではなく 遠くの 東京に行きました。
めったに帰省しなくなりました。
その気持ちがよくわかりました。

内孫が大事で 外孫は所詮 別の家のもの・・・って気持ちだったのでしょう。
外孫が生まれてもその 赤ちゃんにむかって
「xxちゃんに悪いから 俺は 絶対抱っこはしない」と宣言しました。
あほかいな・・って 思いましたね〜

そんなに大事にした 内孫に見向きもされなくなり
ようやく 他の孫にすり寄るって 感じでしたかね〜
思えば 身勝手な人だなぁーーって 思います。

しかし 晩年は おもうようにはいかなかったようで
母が先になくなり その介護は全部父がやりましたが
自分はといえば
病院に入れられ 施設に入れられで 家で介護をうけることはできませんでした。
見舞いは行きましたが 私も 介護には行きませんでした。

家を大事にし 家を守り 死ぬときは 家で死にたいといっていましたが
亡くなったのは 病院。
心臓発作で倒れて ペースメーカー入れて はやく家に帰りたいと嘆いていましたが
結局 一度も帰宅することなく
病院で一人亡くなりました。
ペースメーカーだけが 動いていて
朝まで 誰にも気づかれずに。。。。

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posted by うめのはな at 09:44| Comment(2) | エトセトラ

2017年12月29日

祖母

活花の話の続きになります。
祖父の名が 代々 平助 で受け継がれてきたという話をしましたが これは 何代前からなのかわかりませんし 本名なのかどうかも知りません。
なぜなら 私が生まれた時には 祖父はなくなっていたからです。
父方の祖父母は いませんでした。
戦争で亡くなったのか どうかも知りません。

古文書に記されていた
○○平助 殿 という名は たしかに我が家の 代々受け継がれてきた 姓名です。
父方の祖父母のことは 今まで 聞くこともなく 父から話をすることもなかったので どんな人物だったかはわかりません。
折り合いがよくなかったらしく 話すのをいやがっていたのは 確かです。
墓参りは ちゃんとしていたようです。

叔父もなくなっているので 詳細は不明です。

私には 一人だけ 祖母がいました。
母方の祖母。
祖父は 戦争でなくなったそうです。
若い未亡人で 相当苦労をしたようです。

思えば・・・
何かにつけ 母の手助けに来ていたので 母がひと月ほど 東京に行っていたときは 祖母が来て面倒をみてくれたのだと思います。
祖母は 苦労したせいか みかけより年寄で しわしわでした。
いつも 縫物などしていたようです。

某お寺の 縁日には 電車に乗ってやってきて お参りのあと 必ず 水あめを買ってきてくれました。
棒につけた2本の水あめを くるくるまわして 茶色が白くなったころ 食べます。
これが 香ばしい香りのする 米飴でした。

酒粕に水あめを挟んだものも 買ってきてくれました。
これは 大人の好物でした。

可愛い子ではなかった 私は よく この祖母と 衝突しました。
祖母も負けてはいなくて 言い返すので 最後には
「くそばばーー はやく帰れ!」って 捨て台詞でした。
いうべき言葉じゃなかったです。
猛烈に 反省です・・・・・
祖母は だまって 知らぬふりしていたようです。

その祖母が なくなったのはたしか 私が 中学生のときでした。
なんとなく 寂しくて それでも 口にだせなくて
母に
「ばぁちゃんいなくなって 淋しいか?」って 聞きました。
本当は 自分がさみしいくせにね・・・

年に何度かは お墓参りに行っていましたが
福井を離れてからは とんと 行っていません。
いとこの代になり 付き合いもさほどなくなりました。

たった一人だけでしたが
祖母との思い出があって よかったです。
posted by うめのはな at 08:56| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月28日

懐かしい味

子供の頃の お正月の思い出は 寝正月 しかありません。
なぜなら 大晦日は仕事が忙しくて 明け方までみな 働いていたので 正月1日の午前中は みな 寝ているのです。
私や兄たちのために 母は起きて 朝食のしたくをするのですが とても疲れていて眠そうな姿でした。
みな 寝ているので 静かに 静かに すごすのです。
部屋も電気を消しています。
外は寒いし 居場所がなくて 困りました。
じっとしているのが 辛い朝でした。

昼過ぎになると すこしずつ起きだしてきて 昼ご飯ですが たいてい お雑煮でした。
福井のお雑煮は 鰹だしのきいた 薄味のお醤油のすまし汁にお餅をいれて 鰹ぶしをかけるくらいの簡単なものです。
そういうものしか食べてこなかったので ごちゃごちゃいろいろな野菜が入っているような お雑煮は好きではありませんし
最初は カルチャーショックを受けました。
それまで お雑煮とはシンプルなものだと思っていたからです。

お雑煮と 何日かかけて コトコト煮た 煮豆。
そして 寒鱈の煮たもの。これは もう佃煮のように固く カチカチの保存食です。
これ大好きでした。
そして タコやなまこの酢の物。
かまぼことか 普通のものもありました。

一番 好きなのが ナトミソ。(なっとう味噌というかもしれません)
どうやってつくるのかは 教えてもらわなかったので知りませんが
なすのからし漬け というのが正式な名らしいです。
ナスを麹とからしであえてあるもの。
ごはんが進みます。

もうひとつは たくわんの煮もの。
これが まぁ〜意外と美味しいのです。
たくわんを 薄く5mmくらいに切って ことことかつおだしのきいた 醤油で煮るのです。
たくわんは 柔らかくなって 口の中でほわほわして 美味しいです。
これは 田舎料理の知恵ですね。
どれも なつかしい
もう一度食べてみたい 母の味です。

きっと 忙しい中 今頃から準備したのでしょうね。
もう 28日です。
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posted by うめのはな at 09:05| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月27日

活花の話

年末が 忙しい理由の一つが 活花なのです。
年末 祭事 などの行事には 集会所 社務所などの 地区の会館に 活花をするのが 父の役目でした。
お花の 資格をもっているので ボランティアで 活けてあげるのです。
年に何回かはそういう 役目がありました。

ほんの3~4歳の頃から 父の活花のお勉強の会場に連れていかれました。
もちろん 子供ですから 見て 遊んでいるだけでしたが
お花より お菓子をもらえるのが うれしくて いつもついていきました。
お茶の修行もするので お菓子がもらえたのです。

少し大きくなって いざ 正座して学ぶというときになって
すごく つまらなく思えて 気はそぞろ 学ぶという気持ちにはなりませんでした。
とにかく 正座というのが とても辛かったです。
一応 基本だけは 今でも覚えていますが
それ以上にも それ以下にもならなかったようです。

中学生くらいのときには 師匠(父)がお話をしている最中 「あくび」をした という理由で
「クビ」になりました。
父も こいつはダメだ・・・と見限っていたようです。
修行から 解放されて とてもうれしかったのを 覚えています。

別に お花の師匠で身をたてるわけでもなく 力をいれて学ぼうという気持ちはなかったです。
まぁ たしなみ程度に 学んだかなぁ・・って くらいです。

なぜか 花嫁修業の たしなみのひとつのようで
お花を習う子は 多かったようです。
中には 上級のお免状をとったりして 「ホホホホ・・」って子もいました。
着物着て しなしな・・と歩く姿に 
「おまえの 普段を知っているんだぞーー」と心の中で笑っていたりしてね。

「はじさらし」の 典型ですな〜私は・・・

それでも
父はなくなる 何年か前に
「花伝書」という とても古い 書物を数冊 くれました。
黄ばんで 汚いものです。
「花伝書」を読みましたが 花のことだけではなく
生き方そのものが 書かれていました。
もしかしたら お花の修行は 生き方の修行だったのかも・・と
その時は 思ったものです。
今でも 大切にしています。

ちなみに
いろいろ資料を調べていたら

「活花定式」
池坊專定著

というのが あることがわかりました。

奥書: 文化八未年正月 洛陽六角堂 池坊專定(花押・印) ○○平助殿
という のがあるらしい。
文化8年は 1811年です。
池坊專定さんが 平助さんに贈ったもの・・ってことですかね。
(○○は 我が家の 実家の名字ですが ここでは 伏字にします。)

この ○○平助 というのは 祖父の名で その名は代々 同じ平助で受け継がれてきたということです。
父は次男で 平助の名を継ぎませんでした。長男の 叔父は書家になってしまい 平助の名は継ませんでした。
この 平助が何ものかは 存じませんが 少なくとも 活花と昔から 縁はあったようです。
祖父で 平助は 終わってしまいましたが
きっと 違うすじの 人が 何かを受け継いでいるに違いない。。。。と 思いましょ!
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posted by うめのはな at 09:28| Comment(2) | エトセトラ

2017年12月26日

年末の集金

実家では 子供の頃ですが 商売のほかにも 諸事情で忙しくて 猫の手も借りたいくらいでした。

私は 猫の手よりは少し ましなようで 集金にまわらされました。
これが とても いやで 逃げたいくらいでしたが そうは行きませんでした。
とにかく 田舎では「ツケ」なる習慣があって 月末に 請求書を届け 集金に行くのです。
何も大金じゃ あるまいし たかが数千円のこと 「ツケ」にしなくてもいいかと思うのですが
それは習慣でかなりの家が 「ツケ」でした。
サラリーマンの家は そうじゃなかったようです。
これはきっと
「おまえのところを儲けさせている証拠なのだから うちにも買いにこいよ」という 脅しのようなものなのではないかと思ったくらいです。

私は 愛想がいいわけではなく 可愛げのない 娘でしたので 集金にいったからとて
何か おべんちゃらを言うわけでもなく ただ集金にきたことを伝え お金を受け取り 領収書を書く。
ただそれだけでした。
母なら 一言 二言 愛想をいい 長話もしたのでしょうが・・・
相手も心得たもので すんなりお金を渡し
「ごくろうさん。えらいね〜」くらいで 解放してくれました。

とにかく いやだったのです。
集金をすることそのものがいやで 請求書をポストにいれるのはいやじゃなかったです。
田舎のおばはんどもの相手するのも 品定めされるのも 話するのもいやでした。
きっと
「親に似ず 不愛想な子」という 評判だったに違いないです。

わざわざ家に電話して 「○ちゃんが 集金に来ているけど 払って大丈夫かね?」と確認した人もいたらしいです。
そりゃ〜子供に集金させる親が悪いです。
私は何も悪くなかったです。だから いやだったのです。
私は あくまでも 猫の手でいることにしました・・・・

おこずかいをためて お金をつくり 町の電気やで 念願の品を買いに行ったとき
家に 通報されました。
「○ちゃんが高価なもの 買いにきたけど 売って大丈夫?」ってね。
それ以来 買い物は 福井に出て 大型店で買うことにしました。

そちらが 信用しないなら こちらも信用するか!って 感じ。
おせっかいな 人が たくさんいました。

私のような はぐれ娘には 息苦しい町でした。
義理と人情と 妬みと おせっかいが 蔓延していたように感じます。

しかし
年末の 寒い日の集金は 本当にいやだったです。
天気がわるくて ぐしょぐしょ・・・

今日も快晴。
暖かな日差し。

これだけでも 東京に住んでいる価値がある。。。。。
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posted by うめのはな at 07:25| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月25日

餅つき

クリスマスが終わると あとはもう お正月の準備です。
子供の頃は 自宅で餅つきをしました。

家族総出 そして近くの親戚も参加して 2軒分のお餅をつきました。
場所は 中庭。
狭いですが そこに臼を置いて 餅つきをしました。
蒸しあがった もち米を 臼に入れて 父や若い衆が 餅をつきました。
女子供は 出来上がった餅を 丸めて並べます。
全員参加の 楽しい餅つきでした。
待ち切れず 少しお餅をもらって 大根おろしや 砂糖醤油 黄な粉 で食べました。
出来立てで 柔らかくて とっても美味しかったのを 覚えています。
私は 最後に作る 黒豆入りの 餅。
干して 「かきもち」 となるのが 大好きでした。

そのうち 若い衆がいなくなり 父一人では 餅がつけなくなり
こんどは 親戚の家に場所を移して 餅つきをやりました。

しばらくして 年末は仕事が 忙しくて そんな暇がなくなり 餅つきは 終了。
そして 餅つき器が かわりに餅をつくってくれました。
なんとなく
わびしかったです。
餅が欲しいのではなく 
あの にぎやかな そして家族が一体になって わいわい 笑顔で餅つきをするのが よかったのだと思います。

その 餅つき器も お蔵入りとなり
餅やに 注文して 買うようになり・・・
今じゃ 餅を食べる人も いなくて
食べる分だけ スーパーで買う・
こんな 風に変わっていきました。

私のところは やはり食べる分だけ
切餅買ってたべます。
正月だから・・ではなく 今じゃ年中 買えるので 欲しいときに買います。

実家のほうでも 自宅で餅つきする家は ないみたいです。
日本の伝統文化もだんだんなくなっていきそう。
地方の人が ちゃんと 伝えていってくれるのを 期待しましょうか・・・
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posted by うめのはな at 08:57| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月24日

クリスマスイブ

今日は12月24日。
クリスマスイブ。
別に キリスト教徒ではないし そう重視している日ではないのですが みな が浮かれて楽しみな日ってことは 子供の頃から刷り込まれているので なんとなく いつもと違う気がする そんな 日です。
daruma.JPG
子供のころは クリスマスといえば プレゼント。
小さいころは 寝るまいぞ!と 布団の中で 頑張っていたのに
いつの間にか 寝てしまって 朝起きたら プレゼントがあった・・
それは それで 嬉しかったのだけれど サンタクロースの正体を見るぞーーという 願望はかなえられなくて ガッカリしたものです。
そのうち プレゼントすら もらえなくなり クリスマスもケーキを食べるだけの日になりました。
少し 大きくなるともう クリスマスは 普通の日になってしまって ・・・
年末 忙しくてそれどころじゃないって感じでした。
商売をしていたから 一番忙しい時期だったのです。

東京に出て どんなクリスマスだったかって・・・
ほとんど 記憶がないです。
一度くらいは 誰かと どこかで食事したりしたかもしれないけれど
きれいに消えたように 記憶がない。
きっと ぼっちクリスマスだったか 普通の日だったか そういう感じかなぁ〜

家族を持ったあとは 年末はだいたい スキー場ですごしましかたね〜
年末年始の 混む時期(このころが値段も一番高い)を避けて 30日までの数日間に予約をいれて スキー場のホテルですごしました。
暖炉の前の クリスマスツリー。ナイトスキー場のライトアップ。
今ほど 派手ではなかったですが 記憶しています。

その後は まぁ 普通の日にまた 戻っています。
特に ごちそうを食べたり お酒を飲んだりもせず プレゼント交換もなく
ほんとに いつも通りです。

何度か 汐留やお台場 丸の内とイルミネーション見たりしましたが
それは 24日ではなかったし
24日は やはり 普通の日になっています。
xmas.jpg
でも 世間はクリスマスイブ。
みなさん それぞれに お楽しみください。

メリークリスマス!
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posted by うめのはな at 08:53| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月23日

天気がいいです。

学校も冬休みになりました。
本日は 天皇誕生日です。
今朝の TVで そういうニュースが流れていて ああーーそうなのか・・・だけ。
クリスマスイブの前日で なんだか そうインパクトなくて 言われてそうだったのか くらい。
土曜日と重なり 残念な日です。本当は3連休くらいなっていたよね〜

整理整頓も ほぼメドがつきました。
でも まだまだ捨てなきゃいけないもの 多すぎて手がつけられないので
見て見ぬふりしているものが 多いです。
ま・・そのうちに!

東京は 毎日カラカラ。
天気がよくて 日差しがあって 日当たりのいい部屋は 暖房がいりません。
早朝 16度くらいまでさがることはありますが 日中は20度前後。
あたたかいです。
朝晩の食事時にエアコンつけるくらいかな・・・

重宝しているのが こたつ 。
本を読んだり TVをみたりで 一日のほとんどを こたつですごします。
ありがたいです。

夜は あんか。
部屋の暖房はなしです。

電気代もそうかからないので 新電力のお誘いは 多々ありますが
そのままにしています。

今日も 天気がいいし ぽかぽかでありがたいです。
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posted by うめのはな at 09:10| Comment(2) | エトセトラ

2017年12月22日

年末って・・

なんとなく 年末って感じがしてきて みな せかせか しているように感じます。
そう忙しくもないのだけど なんとなく気だけ あわただしいような ・・・
あれもしなきゃ これもしなきゃ って頭の中で思ったりして。
そのうち たいてい まぁ・・いいか・・って 最低限のことだけやって お茶を濁すのです。
これが いつものパターン。
私って やはり ぐうたら なんだと 自覚しています。

今年最後の歯医者に行きました。
歯のお掃除だけ。
予約だから 待ち時間はないのだけれど やはりそのために小1時間かかります。

先日 歯医者と同じフロアーにある かかりつけの医者に行ったときは そんなもんじゃなかったです。
午後は3時からで 2時半前に行ったのに 廊下の椅子にすごく並んでいて・・
7番目。
まぁまぁかな〜と思ったのに 診察室に呼ばれたのは 4時20分。2時間後!
診察 採血 会計 おわって 同じビルの薬局。
なんだかんだで 3時間かかりました。

とにかく 並ぶのが大嫌いですが 医者だけは 並ばないとしかたがないですね〜
町医者は 予約なんてわけにいかないから しかたないですが
本当に 元気な人しか 行けませんよ。
笑い話のようです。

歯のお掃除は してもらったけれど
部屋のかたずけは まだあと少し残っています。

外は 剪定だの 修理だのなんだのって 工事が追い込みでやはり年末って感じです。
どうやら マンションの中の 共用部分のクリーニングも終わったようで きれいになっています。

あと少しだねぇ〜
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posted by うめのはな at 09:13| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月21日

買い物

私は 自分ではめったに買い物にはいかないのですが この間 久しぶりにスーパーに行って戸惑いました。
レジが・・・セルフレジばかりになっていました。
え・・・どうやって使うのかい?って 感じ。
ずいぶん前から そうなっていたのに 買い物に行かない私が知らなかっただけで
他の人は スイスイ。
特に 困っている人もみかけなかったから お年寄りでも 大丈夫なんでしょうね。

モニターに書いてあるとおり  順序良くやれば何も問題はありませんでした。

人手不足なのか 人件費削減なのか 効率よく・・なのかは わかりませんが これも時代の流れでしょうかね。

企業の受付も 最近は ロボットの端末操作で すみます。
昔のように きれいなおねぇさん 並べておく必要もないのです。

結構 自動化は進んでいるようです。
そのうち スーパーなどの 棚の補充も ロボットが・・なんてね。
昔 夢だったことが 夢じゃなくなってきたりもします。

ついでに 100円均一の店に 行ったら レジが 行列で、何も買わずに帰りました。
並ぶのも しんどいものですけどね セルフレジも 好きじゃないな。
人と人が 会話して 買うってのは いいものなんです。

昔は 個人のお店で 店主とやりとりしながら 買い物していたわけで
スーパーができて レジになって 会話がなくなり 無言で買い物できるようになり
そしてセルフ。と・・
そのうち 店舗も必要じゃなくなり ネットで注文 となりそうな予感。
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posted by うめのはな at 09:01| Comment(2) | エトセトラ

2017年12月20日

ヨコハマメリー

少し前に ある本を読んだ。
小説ではなくて ドギュメンタリー本。
この本は映画をつくるため 取材したというような 内容。
その表紙の衝撃に すぐは受け入れられなかった・・・
ようやく 私の記憶に残しておこうという気になりました。
mery.JPG
ヨコハマメリー  :かつて白化粧の老娼婦がいた
中村高寛 (著)
出版社: 河出書房新社 (2017/8/28)

内容(「BOOK」データベースより)
歴史の中に埋もれていた幕末以来の“娼婦たち”を掘り起こし、一方で“メリーさん”の周辺に生きる人々の人生を見つめた渾身の実録!時代とともに“ヨコハマ”の町が変遷していく姿を背景に、謎めいた“ハマのメリーさん”の鮮烈な全貌を描くドキュメント!

末尾に、ほぼ10年前に原稿は完成していたが、自身の意思でお蔵入りにしていたこと、それを今、出版した理由が書かれています。


表紙の写真。ほぼ生涯娼婦だった高齢のメリーさんの姿に衝撃を受けました。
白塗りの顔。白いドレス。
娼婦として横浜の街角に立つ メリーさんの姿は 特異だが 貴賓があり 凛とした貴族のような姿だった。
施しは受けず ホームレス状態だった メリーさんが 忽然と横浜の街から消えた・・・

メリーさんは 何ものだったのか?
白いマネキンを見た ・・人形か?
そんな 目撃者はたくさんいたが メリーさんは生身の人間として実在しました。

自らは何も語らず 1960年頃から1995年まで、真っ白なドレスに真っ白な化粧で、横浜、関内・馬車道・伊勢佐木町界隈に出没していた老婆。もちろん 若いころもあったわけですが 話題にのぼりはじめたのは、老いた80年代頃から。 

戦後 占領下にあった日本。
多くの娼婦たちがいた。
メリーさんは 高級将校のみを相手にする、プライドの高い娼婦だったらしい。
そして 帰国した一人のアメリカ人将校を 横浜の街で生涯待っていたとか・・・

移り行く横浜の街と メリーさんの生涯を 関係者の証言や 写真をもとに書かれたドギュメンタリーです。
それは 重く心に響くものでした。

横浜は 外国人の住んだ街。唐人お吉の噂高いヨコハマ。
幕末の 異人町から 戦後の占領下まで・・
そこには たくさんの娼婦たちがいた・・・

“ハマのメリーさん”
生まれ故郷に戻った メリーさんの最後が おだやかでよかった・・・・

何も語らない メリーさんには 何も聞かない。
そんな ドギュメンタリー。
横浜に生きた メリーさんと メリーさんを温かく見守り続けていた人たちの 人生が語られていた。

映画になって 公開されているそうです。
心に残る 1冊でした。


メリーさん(本名非公開、1921年- 2005年1月17日)
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posted by うめのはな at 09:19| Comment(0) | 読書

2017年12月19日

掃除

何も年末にする必要はないのだけれど 毎日小一時間だけ 掃除というか整理をしています。
不要なものを捨てたり 整頓したり・・
寒いから 暑いから とかいって先延ばしにしてきたものを
けじめみたいな感じで 年末にやっているわけです。

1時間以上やると 集中力がなくなって どうしてもいい加減になるし
疲れるので 毎日1時間くらいが ちょうどいいです。

いらないもの 使っていないものもかなりありますが
なかなか捨てられないものもあります。
公共料金などの 領収書は 何年とっておけばいいのか・・・
本当はすぐ捨てたい。。。。

あちこち巡ってきた パンフレットも1年の終わりには捨てます。
なんだかんだと いろいろ溜っているものです。

いらないものは かなりありますが どこまで思いきれるかが 問題。
捨てたあとで 後悔しないようにと思うと なかなか捨てきれません。

棚を掃除し 整頓し 台所の油汚れをきれいにし・・・
うちは 洗剤やクリーナーは使いません。
基本 台所用アルコールを吹き付けて よごれを落とします。
これだと 汚れはとれますし 二度拭きで洗剤を落とす必要がないからです。
けっこうきれいになりますね〜

以前は 本畳もダニがわかないよう アルコールで拭いていました。
こちらは局用アルコール。
すぐ 蒸発するし 殺菌にもなってカビをおさえられます。
ただし マスクしないと 酔っぱらいます。

掃除も あと少し・・・
もう少し 頑張るか。。。。
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posted by うめのはな at 09:23| Comment(0) | エトセトラ

2017年12月18日

英会話

再来年の東京都立の高校入試で、英語の「スピーキングテスト」が始まるという。
これはすごいなぁ〜と思いました。
これからは 普通に英語で話せる人を育成していかなければ ならないからです。

正確だけど実用的でない英語を使うより 自分の知っている言葉で 相手に伝えることができるか・・ということが大切です。

私たちは これまで 英語の授業と言えば
単語の読み書き。
英文和訳。
英文法。
そんなことばかり 教えられてきました。
会話や 発音なんて 二の次。
とにかく 英単語を必死で覚え 文法を正確に使い 日本語に訳すことが 受験に役立つ そういう授業でした。
教えるほうの先生も 知識はあっても 話すのは苦手っていう 感じでした。
たまに 帰国子女などが 流ちょうな英語を使うと にらまれたりしたものです。

わりと近くに 都立高校があるのですが ここは2013年度に国公立大学進学率で都立高1位になるなど実績のある高校なのですが 都立高校でありながら ある先生の 英語の授業が 全部英語なんだそうです。
先生も英語 生徒もその時間は 英語しか使ってはいけないそうです。

予習の必要はなし、辞書に頼らない、全文和訳はなし、英文法解説もなし。
教科書を使わないことも多いそうです。
とにかく 英語の教科書の和訳の宿題をやめたことは 大きかったそうですね〜

(私らの時は 必死で和訳していました。
授業も その読み上げみたいなもので 日本語の授業 みたいでした。)

まわりからは 「非常識」といわれたそうですが その効果はすばらしく 
「GTEC(聞く・読む・話す・書くという英語の4技能の能力を測るテスト)」の得点があがり スピーキングで満点を取る子もいたそうです。
帰国子女でも留学経験者でもない、普通の高校生なのに 「ネーティブのALT(外国語指導助手)と英語で雑談」できる力を付けていったとのこと。
こういう授業はすばらしいですね。

私学では いくつかの学校で 日本語禁止 授業中は英語 だけ という授業がありますが 都立高校ではめずらしいです。
そういうことできる 教師が少ないってのも ありますね。

さて・・
英会話が 試験になるというと また 英会話スクールへと 殺到するでしょうね〜
でも 会話のコツは 本当に簡単な中学程度の英語で 相手に伝えることができるか・・
ってことらしいですよ。

はたして
教師そのものに 会話能力があるか・・・
それが 一番の問題だ。。。。

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2017年12月17日

医者通い

二度目の歯医者に行きました。
予約なので 待ち時間なしで治療してもらいました。
歯石とりなので 歯科衛生士さんだけです。
時間は30分。
前と違って今度は 手でほじるような感じがして いやだな〜って思いました。
でも 痛くなくてなによりでした。
出血もほとんどなく まぁまぁかな。
治療が一度で終わった 欠けた歯は もう どこを埋めたのかすら わからなくなって 一体化していました。

別の日。
年末だし いつもの医者に薬をもらっておこうと 行きましたら・・・
「え!!!えーーー!!」っていうくらい
人があふれていて。
これは ラーメン屋の行列か!って くらいの人の多さ。
午後の診療は 3時すぎなのに どういうことじゃーー
いつも並んでいるとはいっても10人くらいなのに30人はいる。
まだ 1時すぎ・・
「あの、これ 午前の診療の人ですよね? 午後までかかりますよね?」
と聞けば そうだという。
しかも 廊下に並んでいるのはおそらく 午後の診療を待っている人らしい とか・・・

もう 驚いて その日は帰りました。
医者に行くには 「元気」じゃなきゃ 行けないなぁーーーって 
思いましたね〜
もっとも 緊急の患者は 症状によっては すぐ見てくれます。
そして 丁寧で これまた 待ち人も気にせず 時間も気にせず診察してくれるので長引くのです。
いいのか・・わるいのか・・
いいんだろうな〜本当はね。

次回 再び根性いれて 本を持って 「元気」でいて
チャレンジしなきゃ だめだわ・・・・

医者通いも 覚悟がいります。
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2017年12月16日

三代豊国五渡亭園「かわらぬ恋の池」

三代豊国五渡亭園 の池です。
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「かわらぬ恋の池」というそうです。
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朱塗りの橋を渡ってみると 鯉がたくさん泳いでいます。
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600匹の鯉が泳いでいるとのこと。
説明板がありました。
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江戸時代に亀戸付近で江戸城の瓦を造っていたことにより、「瓦」と「鯉」をかけて「かわらぬ恋の池」と名付けられました。
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五の橋の下は 豊國ギャラリーになっています。
両側に 豊國の代表作が並んでいます。
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常時22枚の浮世絵が展示され 季節ごとに浮世絵が変更されるそうです。
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2017年12月15日

三代豊国五渡亭園

橋の下に下ります。
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三代豊国五渡亭園
人気浮世絵師・歌川豊国ゆかりの地
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「江戸末期の人気浮世絵師・三代歌川豊国が五ノ橋際に住んでいたという史実にちなんで作られた、江戸情緒あふれる庭園です。」
うーーん。江戸情緒でも探しますか。。。。
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「流れ」 と書いてありますが コンクリートではなんだか少し わびしい・・・
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季節ごとに展示内容が入れ替わる浮世絵のギャラリーや「朱塗りの太鼓橋」があります。
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四阿と鯉が泳ぐ池。

江戸情緒?
朱塗りの橋にいけば 感じられるかな?
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2017年12月14日

堅川河川敷公園 

五の橋の真上を通る 高速道路の高架下は 堅川河川敷公園になっています。
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堅川河川敷公園  江東区亀戸6丁目33番10号
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区民の広場 をテーマに整備された公園で 雨をしのげることから有料施設のカヌー・カヤック場・フットサル場をはじめ、無料でご利用いただける水上アスレチック・親子でキャッチボール広場・パターゴルフ場・グランドゴルフ場・健康遊具広場・じゃぶじゃぶ池など多彩なスポーツ施設があります。
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延長2.4km、面積7.48ha、首都高速道路7号線の高架下にある公園です
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現在地は ここ。
日本庭園が整備されています。
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三代歌川豊国 生誕の地
歌川 国貞(うたがわ くにさだ、天明6年5月19日〈1786年6月15日〉 - 元治元年12月15日〈1865年1月12日〉)は、江戸時代の浮世絵師。のちの三代目歌川豊国。
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三代目歌川豊国(歌川国貞)〜「江戸名所百人美女」「五百羅かん」
安政4年(1857)

三代歌川豊国は江戸末期の浮世絵師でした。親友、式亭三馬の日記によれば「本所五ツ目渡し場(現・五の橋)の際に住し」、蜀山人から「五渡亭」の号を贈られたとあります。

この生誕の地に 三代豊国五渡亭園 が造られた所以です。
タグ:歴史
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2017年12月13日

五の橋

明治通りは 1923年(大正12年)の関東大震災後の復興のため、1927年(昭和2年)の都市計画に基づき、東京初の環状道路となる「環状5号線」として整備されました。
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五之橋は明治通りに架かる橋。
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旧千葉街道の道標
 北詰東側の位置にある道標です。
旧千葉街道は両国橋から竪川の北岸沿いに東に通じ千葉方面にいたり江戸時代から佐倉道と呼ばれていました。
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本所・猿江・亀戸 村辺 絵図 嘉永4年 1851年
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首都高小松川線が 上を通っています。
親柱には電燈があって 立派な親柱です。
震災復興記念として、現在も残されている記念碑的なものです。

1659(万治2)年の竪川開削時、西方から一ツ目橋、二ツ目橋…と数えて五つの目の橋が架けられました。 
1684(貞享元)年に橋は撤去され、船渡しとなり 1695(元禄8)年、五百羅漢寺建立により、渡しの利用者が増え、「羅漢の渡し」や「五ツ目渡し」と呼ばれて親しまれたそうです。

 1879(明治12)年には木橋が架けられましたが、1923(大正12)年の関東大震災により焼け落ちてしまい、震災復興により、1928(昭和3)年に鋼橋に架け替えられました。
老朽化により 1975(昭和50)年に現在のものに再度架け替えられました。
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2017年12月12日

明治通り(らかん通り)

明治通りの五ノ橋から都営新宿線西大島駅がある新大橋通りとの交差点までの区間に らかん通り商店街があります。
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「らかん」の名はこの交差点脇に羅漢寺があることによります。
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らかん通り商店街
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かつてこの地に、元禄時代に彫られた五百体以上の羅漢像を持つ五百羅漢寺という寺がありました。
今の西大島駅付近にあったそうです。
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江戸時代の五百羅漢寺  江戸名所図会 広重
総門を入り左手、天王殿の奥にある。三層の建物で上層は西国、中層は坂東、下層は秩父計百番の札所、観音の霊蹟を摸して百体の観音様を祀っていた。最上階からは周囲を見渡せる名所であった。通称を「さざゐ堂」という。
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 五百羅漢寺さざい(え)堂  広重 絵本江戸土産

明治になって没落し、二度の移転を経て目黒の地に移ってから再建されたとのことです。
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目黒区下目黒の目黒不動尊の隣 現在の 天恩山五百羅漢寺 です。

五之橋は明治通りを渡しています。地元では、「五ノ橋通り」、「らかん通り」などと呼ばれて親しまれています。江東区亀戸駅 都営新宿線西大島駅の中間です。
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2017年12月11日

クリスマスケーキとか。

コンビニで お一人様用 クリスマスケーキが売り出されるらしい。
写真見たら 小さなホールで いちごがのっていて まさにお一人様。
でも そういうケーキは ケーキ屋さんに前からあったし 別にお一人様だからといって 買っていたわけでもあるまい。
コンビニで ひとつ買うと 
「こいつは ぼっち・・・のクリスマスか」と 思われそうでわびしいと いう口コミ。
なんか よけい惨めになりそうな気がします。
私なら どうせ一人だ!!って 普段買えない ケーキ買うかも・・
もっとも ケーキは あまり好きじゃないので
ケーキじゃなく 別のものになりそうです。

二つ買わせるのが 目的か・・・・。
この お一人様ケーキ 売れるかどうか 見て見ましょーー。

そもそも こういうような 生クリームのホールケーキ食べる習慣は 日本くらいなもの?
アメリカでは クリスマスケーキの習慣はないですね〜
ヨーロッパは ノエルだし イギリスは ドライフルーツや 木の実のパンみたなものだし
商魂たくましい 日本の菓子メーカーが しかけたものではないのでしょうかね〜

不二家が1922年(大正11年)頃から広めたものだそうです。
たしかに 昔はめったに食べられないケーキを食べることができて 楽しみだったかもね。

何かの行事のたび ○○商戦となって キャンペーンになっています。
そもそも バレンタインデーのチョコなんてのも そうですし
最近は ○○デーといって なにかしら 売り出ししています。

そういえば プレゼントも 自分へのご褒美ってのが じわっと増えているそうです。
独身者はそれもいいですが
家族持ちは なかなかねーー
へそくりで 買うしかないし
買っても 隠さなきゃ。。。。
淋しいね。
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2017年12月10日

歯医者へ GO〜

せんべいを食べていたら ガリッ!っていって・・・なんだこのせんべい 固い部分があるって 噛んだらガリガリ音がして あわてて 吐き出しました。
奥歯が 欠けたみたいでした。
舌で触ってみると 穴があいています。
こりゃぁ〜ダメだ・・と 歯医者に電話。
しかし もう長いこと歯医者には行っていない、大丈夫かなーーって 電話したら記録は残っていて その日の午後に予約いれてくれました。
予約の時間に 行くと 改めて問診票書いて・・・
すいぶん前で 数年前に来たことあるんですが〜っていうと
歯科衛生士の人が
「覚えていますよ〜○○さん!XX先生でしたよねーー」
嘘!って まじまじと顔をみます。
「どこか 他の歯医者さんかかっていました?」っていうから
「ぜんぜん。痛くもならないので 面倒でそのまま 数年がたちました・・」
って 申し訳なく いいわけすると
「あらまぁ〜すごい。そういう人珍しいですよ」って・・
で・・医師が見て 
「あ〜大きな穴・・」
最新の レントゲン(ぐるりとまわるやつ)とって。。。
「すごい 丈夫な歯。これじゃ 虫歯にもならないし 痛みもでないから 歯医者に行こうって思わないですね〜
でも 逆にそれが 歯石つけたまま 歯茎によくないので 今回はクリーニングもしましょう。」と。

嫌いなんですよねぇ〜その歯石取り。
一度 やぶ医者で 血みどろになって以来 恐怖で。。。
でも 先生が
「出血ないようにやってあげてね」というと
とっても 上手にやってくれて 血が出た気配はありませんでした。
治療の前に 口の中 撮影するんですね〜小さなカメラみたいなので歯の裏まで写しているみたいでした。
記録というか 証拠写真というか データーに全部残るみたいです。
ウォーターの音がシューシュー。吸い取るのがシュワー。
痛みもありませんでしたが とにかく 数年分の歯石とりにてこずったみたいでした。
ふがふがうがうがいいながら けっこうつらかったりもして 小一時間。
「疲れました?」っていうから 口長いことあけているんだから
そりゃぁ あたりまえじゃろ。って思って
「うがーー」っていいました。
何度か ゴクンしてしまったわ。。。。
下だけ きれいにして 上はこの次することにしました。
歯石みせてくれて これですよーーっていうけど
「あら 汚い!」ってしか言えませんでした。
記念にとって おくわけにもいかないしね〜

で・・・先生が来て いよいよ 欠けた歯の治療。
ほんの数分で おしまい。
痛くもかゆくも 苦しくもなく 仮の穴埋めもなく 一度で治療終わりました。

最近の治療ははやいものだ・・・
何度も通わなくていいんだ〜

でも 次週は上の歯の歯石取り。
また うご〜って いいながら 耐えなくてはなりません。
でも
先生も優しいし きれいな女医さんだし 
みな親切だし いいかなぁ〜
これでへたくそで えらそうなら 二度といかないです。

医者も選ばなきゃ・・・・。
数年ぶりの 歯医者体験でした。
歯が・・すかすか する感じ。
欠けたところは なにも違和感なしです。見た目もなにもわかりません。
よかった・・よかった・・・

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2017年12月09日

生活の便

アメリカのスーパーマーケットですが 労働者階級 中産階級 上流階級と なんとなく分かれているような・・
立地と品質と値段の違いなんでしょうかね・・
日本だって 高級スーパーもあれば 普通のスーパー 格安スーパーといろいろあるので 同じかもしれません。
ブランド高級スーパーは 出店の場所を間違えると 売れません。
購買層をリサーチしないと 高いものは売れませんね〜

庶民は 100g3000円もする 牛肉はそう 買えませんし。。。
毎日の暮らしを考えています。
とは いっても やはり産地や 品質にはこだわりたい。
となると 
普通のスーパーの中で 自分により合った店を選びます。
いくら 激安でも 品質が・・産地が・・・は 私は好みません。
こだわりなく そういうお店を選ぶ人も それはそれで生活の知恵で 一向にかまいません。
個人の自由ですから。

アメリカのように 低所得者は 他の立地のスーパーに入りずらい・・ということもありませんので
どこで 何を買おうが自由。
たまに 高級店 そして激安店そういう選び方も自由です。

ちなみに 私のまわり 徒歩範囲15分いないには ずいぶんスーパーがあります。
10店はあるかなぁ・・・大 中 小 様々な形態。
でも いつも行くのはやはり すぐ近く。徒歩2分くらい。

品質がよくて 安く売っている スーパーがあるので その店へもよく行きます。
激安店もあります。
ここは あまり行きませんが たまに行きます。
いつでも 選べるので買い物にはとても便利な場所です。

車 持っていないので 買い物が便利なところに住んでいないと生活できません。  
病院も 役所も 銀行も 歩けるところ。
駅もすぐがいい。

なんでも 駅徒歩 7分以上のマンションは借りない 売れない とか。
みな そうなってきたのですかね。
うちは 10分ほどかかりますが 平坦だし 東京駅まで10分以内だし バス停は目の前なので なんとか・・・

昔は 通勤で2時間なんて お父さん たくさんいましたけど
今考えると ばかばかしい時間です。
バブルの時は そういうとこしか 買えなかったし
なんでも持家って 時代でしたね。

今は 気軽で賃貸が多いらしいです。
都会暮らしは 家賃高いけど それなりの 利 はあるようです。
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2017年12月08日

ホテル暮らし

大掃除の時期になってきましたが 年々面倒になって・・・
まぁ〜いいかぁ〜で すごすことが多くなってきました。

こんなとき ホテル暮らしの人は いいかなあ〜って 思います。
著名人や 芸能人で ホテル暮らししている人は 少なくないらしいです。
かの 有名な岩谷時子氏や山田五十鈴氏は 帝国ホテル暮らしだったし 淀川長治氏も全日空ホテル住まいだったとのこと。
最近では ホリエさんが ホテル暮らしだそうです。
最低限の持ち物で暮らせるし 買い物にも食事にも困らないとか。

ホテル暮らしのいいところは
@「光熱費」「朝食代」「生活用品」「清掃」が宿泊費用に含まれる
Aコンシェルジュいて サポートしてくれる
B都心の一等地にあり交通の便がいい
Cセキュリティ
D24時間サービスで 急病の時安心

なかなか よさげ・・・
ただし お金が必要。。。。

高級ホテルだとやはり100万単位でしょうが 普通の1泊1〜2万程度のホテルなら 賃貸とそうかわらないかも。
都心のマンションは たとえ 1LDKでも 2~30万はしますし、 共益費だの光熱費だの更新料だの とられるし かなりな 出費になります。

品川の某ホテルは なんと レジデンスがあって ホテル暮らしができるらしい。
57〜8uの1LDKで25万くらい(管理費なし、礼金・更新料なし、敷金のみ月額賃料の1カ月分)
2LDKで3~40万くらいだそうです。
駅前でこの値段は 賃貸と変わらないです。
フロントサービス ごみの回収サービスなどもあって ホテルサービスが受けられるとのこと。
どんな 人が 住んでいるのやら・・・・・

あの赤プリ跡地の 紀尾井レジデンスも実は賃貸。
賃料は かなりのものですーー

都心の公団や公社の賃貸マンションでも30万くらいはしますし 便利性を考えたらそのくらいはしかたないのかもね。
だったら ホテル暮らしでもいいんじゃないかーーって なりますね。
家族単位では無理でも 一人暮らしにはいいかもね。
まぁ ・・
お金持ちさんが 考えそうなことですけど。
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2017年12月07日

「WHITE KITTE」

毎年恒例 KITTEのクリスマスツリーです。
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本物の モミの木を使った 14.5mの真っ白なクリスマスツリーです。
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まるで雪が降り積もったかのように真っ白なクリスマスツリーは、各時30分おきに音楽とともにライトアップされます。
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KITTE ホワイトツリー ライトアッププログラム 1Fアトリウム。
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点灯期間2017年11月22日(水)〜12月25日(月)
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丸の内恒例のクリスマスイベント「WHITE KITTE」
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「ビスコ」協賛による絵本ムービー「ひとりぼっちのモミの木」の上映イベントもあり ビスコのツリーもありました。
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新日本フィルハーモニー交響楽団によるクリスマス演奏会など いろいろなイベントもあるそうです。
タグ:イベント
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2017年12月06日

M&C CAFE お茶タイム

東京駅丸の内 オアゾ1F 丸の内センタービルの通路に クリスマスツリーがありました。
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年末は 丸の内イルミネーションで どこにもクリスマスの飾りがあって 楽しめます。
あちこち歩いて 疲れたので
丸善 4Fの「M&C CAFE(エムシーカフェ)」で休憩しました。
ここは 丸善の創業者である早矢仕有的氏が生みだした元祖「早矢仕(ハヤシ)ライス」が食べられるお店として知られる名店です。
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お昼ではないのでカフェタイム。 ケーキとコーヒ。
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私は かぼちゃのパフェ。
なかなか 美味でした。
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この カフェは 窓際の席から 東京駅の電車がよく見えるので 人気です。
窓際の席は カウンターで 外がよくみえるようになっています。

次回は 新しくできた3Fの電車のある カフェに行きたいです。
タグ:グルメ
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2017年12月05日

東京駅八重洲

東京駅八重洲口の大丸 近くに 都旧跡 北町奉行所跡のプレートがあります。
注意してみないと 気が付きません。
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都旧跡 北町奉行所跡
指定 大正七年四月

ほとんど 読めません・・・
この 北町奉行所跡の碑は 八重洲再開発で 何度か移転しています。

「江戸町奉行は徳川幕府の職制の一つで寺社奉行、勘定奉行とともに三奉行と呼ばれていた。江戸町奉行は老中の支配に属し、配下の本所奉行、道役、小伝馬町牢屋、寄場奉行、町年寄を統轄した。その職掌は江戸府内の行政・司法・警察の一切にわたっていた。定員は二名で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務したが時に応じて増減された。原則として旗本が任命され役科は三千石、芙蓉間詰で勘定奉行の上座輩下に与力・同心などがいた。
「いれずみ奉行」として名高い遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)は天保十一年(1840)三月から三年の間北町奉行の職にあった」東京都教育委員会
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この図をみれば 本当は永代通り JR日本橋口あたりだったのですね〜
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日本橋口 高速バスターミナル 脇のトラストタワーです。
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この時期は クリスマスリース。
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東京駅八重洲口北口 鉄鋼ビル のクリスマスリースが 上品でいいですね〜
旧鉄鋼ビルは 復興のシンボルだったそうですが解体されこのビルは 3年半ほどかけて 2015年に竣工しました。
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鉄鋼という硬い名ですが普通のオフィスや商業施設になっていて 南館上階は高級賃貸アパートメントとなっているそうです。
現在 東京駅八重洲 京橋地区大規模再開発進行中で 地下にバスターミナルもできるそうです。
あっちこっち にょきにょき 高層ビルになってきました。

この鉄鋼ビル前からは 中央区の コミュニティバス(江戸バス)や無料巡回バス 日本橋メトロリンクが出ています。
タグ:歴史 観光
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2017年12月04日

日本橋ぶらり

ぶらぶら 日本橋。
日本橋三越本店 新館1階 日本橋口の クリスマスツリーです。
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クリスマスツリー フォトスポットになっています。
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ツリーの下に 大きな椅子が置かれています。
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金と銀の椅子に座って 王様気分・・・
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少し歩いて 榮太樓本舗の入口。相変わらず 混んでいます。
安政四年(1857年)創業。日本橋に本店を構える江戸・菓子鋪です。
飴 買うの断念。
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入口の左手に長さ約1mの大きな赤石が置かれています。
「この石は、もと小判鋳造金座後藤家の別荘にあった佐渡の赤玉石です。 江戸末期、たまたま同家に招かれた榮太樓初代細田榮太郎は、本石に魅せられ、その別荘ごと譲り受け今日に至っています。 佐渡の赤玉石は赤みが強く、その光沢は他に類を見ない日本の銘石の一つでありますが、この石のように人手を加えず姿かたち、艶のよいものは極めて少なく、好事家の間に「榮太樓の赤玉石」として知られています。」

日本橋タカシマヤの前を八重洲方向に行きます。
日本橋2丁目 山梨のアンテナショップがあります。
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桔梗屋の信玄餅を買いました。
巾着袋が 特徴です。
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きなこと 黒蜜が 美味しいです!

日本橋ぶらり でした。
日本橋は 一日かけてもまわりきれないほど 老舗の店やスポットがあるので何度来ても 飽きません。
タグ:観光
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2017年12月03日

三井記念美術館 2

展示室1は 元食堂の復元だそうです。
【展示室1】
七宝、金工、自在、漆工、木彫・牙彫
鹿の角から掘り出したという薄い花びらの ソメイヨシノが印象的でした。

【展示室2】
ここはもう 安藤緑山《胡瓜》につきます。
胡瓜も、花も葉も蔓藻象牙。大変に葉が薄くデリケートな作品。

前原冬樹《一刻:皿に秋刀魚》
これも おみごと。一木造り。
【第3室】
山口英紀 右心房左心室 
ここは モノクロ写真に見える 水墨画の作品。
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パンフレットより
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パンフレットより
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パンフレットより
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パンフレットより

【展示室4】
明治の七宝を代表する“ふたりのナミカワ”有線七宝の並河靖之と無線七宝の濤川惣助。漆工の柴田是真などの明治の超絶技巧が並んでいます。
中でも 目をひくのは やはり 安藤緑山の果物やら野菜です。

【第5室】
自在、金工、刺繍絵画など
明治と現代 を比較したコーナー。
虫をテーマにした自在置物があります。
刺繍絵画で、下絵が竹内栖鳳、制作が四代 飯田新七の《べニスの月天鵞絨友禅額》がよかったです。

【第6室】
 暗くて小さい展示室の作品は、現代作家・青山悟さんのもの。
30秒ごとに照明オンオフが切り替わります。
1940年代の工業ミシンで制作された地図。国境線と国名が入った緻密なもの。
壁紙風の刺繍とともに 明るいところでは白に見えますが、照明が落ちると模様がうきあがります。

【展示室7】
現代作家の作品
超絶技巧プラスαの機知に富んだ現代作家の作品です。
キャップまで全部ガラスのソーダ水の入った潰れたペットボトルなどなど。

現代作家の作品も明治の超技巧といわれた 職人たちの技を受け継いで 後世に起こる作品になっていくのを期待します。
巧の技は 受け継がれていってほしいものです。

展示会は 今日でおしまい・・・

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2017年12月02日

三井記念美術館 前室

入場してみると とても混んでいました。
前室には 2点。
ここだけは 撮影可でした。
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初代 宮川香山の陶磁《猫ニ花細工花瓶》
高浮彫の立体的な装飾。
いわゆる「高浮彫」(たかうきぼり)と呼ばれる装飾的な陶器は 明治政府の政策により主に外国に輸出されました。
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明治・大正時代に世界中を驚かせ、明治の三大名工に数えられる、横浜の真葛香山。
何度か 作品展を見に行っています。
過去の記事です。

2016年03月28日
サントリー美術館 「没後100年 宮川香山」・東京ミッドタウン



2016年02月27日
吉兆庵美術館蒐集 真葛香山展・日本橋三越


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隣は あっと驚く 現代作家、高橋賢悟作 《origin as a human》
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生花を型取りしてアルミニウムで鋳造した 骸骨!
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本物の花を型どりし、アルミニウムを流し込む焼失原型法による作品。パーツを組み合わせて作っているそうです。

今回の展覧会の特徴は、明治期の作品と現代のアーティストの作品が対比されるように並べられていることです。

展示室は「七宝」「金工」「漆工」「薩摩」「刀装具」「自在」「牙彫・木彫」「印籠」「刺繍絵画」に分類されています。
カメラをしまい 第1室へと向かいます。
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2017年12月01日

「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」展 三井記念美術館

三井タワー内の三井記念美術館に行きました。
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「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」展が三井記念美術館で開催中です。
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入り口のホールですが いつもより 混んでいました。
団体さんが 集合待ち合わせなどもしていて 急いで上に行きました。
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美術館入口は エレベーターで 7Fへ・・・
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チケットは 待たずに買えました。
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パンフレットです。
「驚異の超絶技巧 明治工藝から現代アートへ」
三井記念美術館
2017年9月16日ー12月3日
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見開き部分。
七宝や漆工など、主に海外輸出用に作られた明治工芸に焦点を当てた展覧会。
2014年から翌年にかけて、同館他 全国6会場を巡回した展覧会『超絶技巧!明治工芸の粋』の第2弾として開催。
こんかいは 明治工芸のみならず、現代作家による超絶技巧作品もあわせて紹介。
明治の工芸品は、前回同様に主に京都の清水三年坂美術館(村田製作所の元常務・村田理如氏コレクション)からの品々。

中に入ります・・・・暑いです〜〜〜コート 脱ぎました。
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