ハロウィンの日 メトロに乗ったら 着ぐるみのおねぇさんが二人乗ってきました。
今宵に備えていたのかしら・・・もちろん車内では 顔は出していました。

紀尾井ガーデンのハロウィンモニュメント。
ハロウィン用の お菓子も各種取り揃えているそうです。

ここは 紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡(紀州徳川家)です。
所在地 千代田区紀尾井町
「 この一帯には、江戸時代に紀伊和歌山藩徳川家の麹町邸がありました。明暦3年(1657)の大火の後、この地を拝領しました。
紀伊徳川家は、徳川家康の十男便頼宣に始まる家で、尾張家(九男義直)、水戸家(十一男頼房)と共に御三家と称されました。頼宣は慶長8年(1603)常陸水戸藩主、ついで慶長14年(1609)駿河府中藩主を経て、元和5年(1619)に紀伊和歌山藩主となり、紀伊国と伊勢国の一部を領地としました。紀伊徳川家は、以後、14代にわたって明治維新まで続きましたが、その中で、8代将軍吉宗と14代将軍家茂は、藩主から将軍の座についています。石高はほぼ55万5000石でした。
明治5年(1872)、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。」
説明板がありましたが細かくて しかも近寄れず読めませんでした。
以前 あった もののほうがよく読めました。

弁慶堀
石垣は当時のもの。

文化財 弁慶橋・弁慶堀
橋が架かっている弁慶堀とともに、「江戸城外堀跡」として文化財指定されています。
ここには江戸時代は橋が架かっておらず、人々は堀沿いに東に進んで赤坂門を出なければなりませんでした。
明治22年(1889)に、それまで神田松枝町と岩本町との間にあった弁慶橋が不用になったため、ここに移されました。江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作った橋であることから、弁慶橋と名付けられたといわれています。

現在の橋は、昭和60年(1985)12月に改築されたもので、全長41.06m、幅22mです。架け替え前の弁慶橋には、親柱にそれぞれ擬宝珠がありました。筋違橋・日本橋・一ツ橋・神田橋・浅草橋の古い擬宝珠を集めて被せてあったといいます。現在は、それら古い擬宝珠は用いられていません。
後ろに見えるのが 紀尾井ガーデン。
以前ここには 赤坂プリンスホテルがあり 赤プリ の名で 親しまれていました。
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