2017年09月30日

YS11

9月30日は、国産旅客機「YS11」が国内定期便から引退した日だそうです。
戦後の航空機製造禁止が1950年代に解除され、官民共同出資の「日本航空機製造」が開発しました。
182機が造られましたが、採算が取れず1973年に生産を終え 2006年に引退しました。

このYS11は プロペラ機。
私も 何度か乗ったことがあります。
一度 羽田から 当時 福井への便があって 帰省するため乗りました。
ちょうど プロペラのところの座席で 結構 うるさかったの覚えています。
何度目 かに乗ったときは ちょうど秋で 日本アルプスを越えるとき 山肌が紅葉していて絨毯のようだったのに感激しました。

このYS11 一度 福井行に乗ったとき 理由も告げられず 事情があり 名古屋で 小松行に乗り換えるよう アナウンスがありました。
名古屋で 小松行に乗りかえさせられ ずいぶん遅れて 福井ではなく 小松に到着。
到着後 小松〜福井間の特急の金額を渡されました。

どういう事情なのかは まったく説明がなかったです。
おそらく機体の異常なのでしょうけど 今なら 考えられないことです。

お金だけ払えばいいって ことじゃないと思うのですが 昔は 「乗せてやる」みたいな感覚で お客様第一ではなかったようです。そりゃぁ 乗務員は当時 エリートさま でしたし。

何事もなく 無事だったのですが 今思えば ヒヤリものでした。
どういう事情だったのか きちんと説明すべきでしたね。

福井 小松 隣の県で離れているんです。
特急で1時間くらい。
空港から バスで駅にいくのが面倒で名古屋で実家に電話して 小松まで迎えにきてもらったこと覚えています。
福井空港は ジャンボジェットになったとき 空港拡張反対で 路線がなくなりました。
小型機しか 利用できません。

「YS11」は、全長26.3メートル、全幅32メートルの双発プロペラ機です。
YS11は いい飛行機だったな・・と 思い出しました。

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2017年09月29日

叔父

もう亡くなっていないのですが 東京に叔父がいました。
この叔父は わたしのことを「おしゃまちゃん」といっていました。
中学の時 修学旅行で 御茶ノ水に泊ったときに おこずかいが欲しくて 「会いに来て」と言ったら
叔母が 会いに来てくれました。
もちろん おみやげとおこずかい付きでした。
叔父は無口で そんな子供のたくさんいるところには 行きたくないといったそうです。
自宅は 今も東大前にあります。

そんな叔父は 書家でした。
働いているところはみたことないいですが
芸術家で 武道館でほうきのような大きな筆で 大きな紙に 走りながら書を 書いている写真などをみせてもらいました。
でも・・・
ほとんど しゃべらないので とっつきにくいでした。
一緒に 食事したりすると なんでも頼んでいいというのですが やはり浅慮します。
デザートに アイスクリーム食べたいなぁ・・と思っても なかなか言い出せません。
だって もう 何万円もみなで食べていますし それ以上は 言えない。。。

お勘定のとき座敷に来た 仲居さんに 数枚の万札渡して 「おつり いらないから・・」って!
数千円のおつりあったはず。
「えーーーアイスクリーム頼めばよかった!!」って ちょっと 悔しい思い。
それくらい 豪快で 小さなことは気にしない人でした。

叔父は 私の父と 温泉などに行ったのですが 東京から 長野まで タクシー・・・
タクシーさんも 一日の売上越えてしまって 高崎で 乗り換えさせたくらいです。
一体 いくらかかったのか・・
新幹線だと 山の中の温泉に行くのに 乗り換え面倒だった というだけ。
いやぁ〜もう・・・
お金に執着しないいから 使い方も違うわけです。
みみっちくなかった・・・

その分 叔母はケチでした。
じゃがいもの皮も 薄く剥けというような人。
叔父は いつも「あのケチ・・」って言っていました。
まぁしっかりものだったのでしょう。

10月になると 叔父の命日。
思い出しました。
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posted by うめのはな at 18:18| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月28日

もういや!

1か月ぶりに 薬もらいに病院に行ったのですが・・
もう〜混んでて。。。
1時間くらい出てていいですよーーっていうから その辺うろちょろして 用をすませて戻ったら あと7人くらいですよ〜って。
一人5分として 40分くらいかーーって そのくらいなら 本でも読んでまとうって 待っていました。

ところが 待てども待てども 順番がこない。
間に 健診の結果を聞く人たちがいて・・・
とうとう 1時間半も待った。。。

やはり 午前中はダメだなぁ〜って 思いました。
診察たって 変わりないです っていうだけで 薬の処方箋もらって 血液とって・・
医者っていやだなーーー
なんで こんなに混んでいるんだろう・・・
流行らない医者も困りものだけど
流行りすぎる医者も困る。
なんか
ドクターも 元気がないようにみえまする。。。。

逆に お大事に!って いいたくなりました。

来月は 作戦を変えようと思う。
しかし
風邪ひきが多くて いやだった。
インフルエンザが流行っているみたいです。
気を付けましょう・・・。
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posted by うめのはな at 14:50| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月27日

希望

希望か〜
言っていましたね〜
何歳になっても 希望を持ちたい って。
そうですね。
年取ったから 未来がないとか 希望が持てないとか・・
そういうことは ないのですね。
誰でも 希望を 持っていいのです。

希望
いい言葉です。

そういえば 歌もいろいろありましたね。

歌詞書けないけど 
岸洋子さんとか・・・

希望を色にすると 何色かなぁ〜
私なら オレンジかな・・・
太陽に向かう色。

光を浴びて 木々が芽吹く・・・
白い光でもいいかも。

皆が 希望を持てる 日本になりますように・・・
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posted by うめのはな at 15:44| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月26日

昭和の常識 続き

昨日の続き。
ちょっと 汚いことで ためらいますが ・・・こういうものあります。
どこでも 痰を吐いたり ガムの噛み捨て 立ち小便・・・
駐車場で 車の灰皿の中身 そのまま捨てる人もいましたし 走行中の車の窓からの ゴミ捨ても よく見かけました。
今じゃ しんじられないことを 平気でやっていました。

そうそう私は常磐線で通ったこともあるのですが
電車の中で当然のように カップ酒。するめ・・・
臭くてね〜
電車の中に 空き缶そのまま置いたり ゴミも座席の下に置いたり。
そうそうで電車の窓の下に 吸殻入れついていましたっけ・・・・

日本人のマナーは 向上したようです。

先生は よく殴りましたね〜
しつけじゃなくて 個人的感情で殴っているんじゃないか・・と 思うこともたびたびありました。
子供に体罰あたりまえの時代もありました。
運動したら 水 飲むな!とか
根性が足りない!とか・・・

アレルギーなんて 無視。
たべられないのは好き嫌い わがままって 給食全部食べさせられたり・・・・

子供の人権なんて 無視されていました。

とにかく 学校の先生さまは親が口出すなんてとんでもない・・ えらそうでした。

犬猫 は外飼いがほとんどで 糞の始末しない人もたくさんいました。
餌も 人間の食事の残り物・・みたいな感じで ペットフードが主流になったのは昭和40年代に ペットフードのCMが出たあと じわじわと広がっていったそうです。

時代の移り変わりは 面白い。
どこかで 意識の切り替え という時期があるものなのですね〜

政治もそうかもね!
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posted by うめのはな at 08:32| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月25日

昭和の常識 タバコ

今では 信じられない昭和の常識 などという記事をみました。

1位 電車内でタバコが吸えた 
2位 1ドルは360円 
3位 電車のトイレは線路上に垂れ流し 
4位 飛行機でタバコが吸えた 
5位 病院の待合室でタバコを吸っている人がいた 

こんなアンケートだったらしいです。
電車やバスだけでなく 映画館でも 仕事中でもタバコ吸っているのが あたりまえで 学校の先生でさえ 職員室 教室でタバコすっていました。病院でタバコなんて 今じゃ考えられないです。

電車のトイレ 線路に垂れ流しは ひどいなぁ・・・
線路近くでは 黄害 といわれる問題があったそうです。
そういえば 列車のトイレから線路が見えたような 記憶もあるような・・
JRグループでは、2002年3月に北海道旅客鉄道(JR北海道)の車両を最後に垂れ流し便所付車両の運行を終了した。そうです。

他にも 昔の常識 今の非常識って ことたくさんありますね。

でも タバコの件が一番多いみたいです。
恩賜タバコといって 皇居の清掃奉仕団に配られる タバコがありましたが
これも 2006年に廃止されたようです。
職場でタバコすうなんて あたりまえのようで 役所でも スパスパすっていましたね〜

今じゃ 肩身がせまいだろうけど。。。悪習はなかなか抜けません。
田舎に行くと まだ どこでも タバコ吸っています。
冠婚葬祭などの集まり 親戚付き合い では 子供がいようが 当然のことのように タバコです。
面とむかって 「タバコ 外で吸ってください」などといおうものなら 白い目で見られます。
なかなか 言えません。

そういうのが当たり前のところから 観光でも仕事ででも 東京に出てくると 大変です。
煙草中毒の人は 我慢できるかな〜
当たり前のように 歩きタバコしている人いますけど 知ってか 知らないでか・・・

はやく 全国で 受動喫煙防止法 成立させて欲しいです。

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posted by うめのはな at 10:16| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月24日

誕生日

もう一つ 忘れられない 誕生日プレゼントがあります。
上京して はじめての誕生日だったと思います。
そのころ 初台のTV局稽古場に週3回通ってゲーム番組のリハーサルしていたのですが 仲間が 十数人いました。タレントさんがやる前に ちゃんと できるかどうか何度もリハーサルします。そのメンバーです。
ほとんどが 学生なので 常時出て来れるわけではなく たいてい10人くらい。
一人 親しくしている子がいて ・・・
たいてい ペアをくまされるので 自然と仲良くなったという感じです。
ハルちゃんといって 板橋に自宅がありました。
みなと 別れたあと
「今日 誕生日なんだ・・」と 言うと
ハルちゃんは ハッとしたような顔をして
「ちょっと ここで待ってて!!動かないで!」
と 走っていきました。
20分 ほどして 戻ってきて
「誕生日 おめでとう!」
と 箱を渡してくれました。
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それが これです。
陶器の可愛い人形。
これも 引っ越しを何度もしましたが 大切にしてきたものです。
割れないよう いつも 気をつかって運びました。
処分なんて できないものの一つです。

ハルちゃんとは その後半年ほどで離れ離れになりましたが
数年たって ひょんなことから 電話があり訪ねてきました。

ハルちゃんは 東京生まれの東京育ちで 実家は裕福らしく
真っ赤なスポーツカーに乗って 訪ねてきました。

晴海ふ頭までドライブに連れていってくれて ぽつり とつぶやきました。
「海の向こうに行って 何かやりたい・・」

夢は 海外に行って仕事して ずっとそっちに住みたい ということでしたが
そのうち 互いに 行き来もなくなり 私も何度も引っ越しをして 連絡もとれなくなりました。

今 どこで どうしているのやら・・・。海の向こうにいるのかなぁ〜

でもこれは 人生のなかでも 忘れられない 誕生日 プレゼントでした。

今日は 誕生日なのです。
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posted by うめのはな at 09:00| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月23日

誕生日のプレゼント

前に 中学1年生のときが 一番よかった。クラスもみな仲良かったし 先生もよかったし 一番思い出のある時期だったと書いて そのときに 親友ができたと 書いたと思います。
そうなんです。
中学1年のとき 仲良くなった 子 とは いまでも 親友だと 思っています。
1年間だけ 同じクラスだっただけなんですけどね。
まぁ 遠く離れているので会うこともなく 年賀状くらいのやりとり しかないないのですが 気持ち的には 親友です。

その 中一のときの 誕生日に その子から もらった プレゼントは まだ 大切に 使っています。
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ペン立てとブックエンドのセット。
皮張りの丈夫なものなので いまでも 現役。
引っ越しするたび 一緒に箱に入れ 持ってきました。
中一だから 長いなぁ・・・
一人 東京に来たときも これだけは 忘れずに 持ってきました。
大切に しているものです。

「ナコちゃん!ありがとうね。今でも 使っているよ!」

年は同じなんだけど 学年は私が一つ下。
中学までは同じで 高校は同じ高校だったけど コースが違っていて・・・
それで 私は1年 休学したものだから 卒業年が違います。
で・・・私は ナコちゃんに 彼女の使ったノートをまるごともらったり 前年度の試験問題もらったりで 
お世話になりました。

ナコちゃんは 地元のお役所に就職しましたが 私は 上京と 離れ離れになりました。
帰省した時 メロンもらったこと 覚えていますし
母がなくなったとき 役所に手続きにいき 会ったこともあります。
そのくらいしか 会えませんでした。
でも やはり 心の中では 親友かな〜。
もし 私が ずっと福井にいたら 仲良くお付き合いして おしゃべり おばさんんたちに なっていただろうか・・・。

明日は 私の誕生日。
posted by うめのはな at 10:08| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月22日

左側通行

東京に来たとき とまどったことがあります。
歩道を歩くとき みな 左側を通行しているのです。
「車は左 人は右」と 教え込まれたので 規則にしたがい 右側を歩こうとすると 流れに逆らうことになり 邪魔だといわんばかりの目で見られました。
暫くは 合点がいかず 抵抗していたのですが 駅なかでも どこでも 左の流れは変わらず とうとう それに従うことになりました。

道路交通法第二章第十条の歩行者の通行方法は 日本では基本的に右側通行です。
臨機応変にとは 書いてありますが どうして 歩行者だけのときは みな左側を歩くのだろうか・・・
アメリカは、車両は日本とは逆の右側通行が当たり前なので対向車に対して左というと必然的に左側通行が基本となります。
進駐軍の名残なんでしょうかね・・・。

エスカレーターも 左に乗り 右をあけますけど これも 本当は納得がいかないです。
二列に並んでいたほうが いいと思うのですが・・・・

東京ではエスカレーターは右側を空けて乗ります。
関西では左側を空けて乗るということを聞きます。

関東と関西では右側通行、左側通行が真逆なんですね。
知らないと 戸惑いますよね〜

では 歩道などは どちらの流れになっているのでしょうか・・・
右歩きか 左歩きか・・・。

人は右 なんて・・死語だ。
 人の流れに従うしかないときは どうしようもないでしょ。
いつ 誰が 左側を歩くって 決めたのか 知りたいところです。
東京の 左側通行に いまだに納得のいかない私です。
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posted by うめのはな at 15:05| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月21日

保育園

そろそろ 来年度の 保育園の応募の時が来ているらしいのですが・・・
預けられる子も 預ける親も 大変だと思います。
近くの保育園に預けられればそれは それで いいのですが
保育園というもの 何かあれば 職場にすぐ電話。
熱がでました。下痢してます。怪我しました。もろもろ・・
で こちらの都合は まったく考えず
「すぐ 迎えにきてください」
すぐって・・・
職場に電話しているんだから すぐ いけるわけないでしょうが。。。
遠くの職場だと それなりに 時間がかかります。

では 職場の保育園があるとして(これは めぐまれている 職場でしょう)
まぁ すぐ行けますけど・・・
通勤地獄のときに 子供つれて 電車乗るのか・・って ことになりますしね〜
それは それで とてもできないことで 時間ずらさないとね。

一人ならいいけれど 他に子供がいたら 早朝 出勤するわけにもいかないし
困りますね〜

いずれにせよ 子育てしにくい システムであることは間違いないです。
病気もせず 怪我もせず 毎日元気で通園できるなら 問題はないですが
人間だもの・・・何があるかわからないし
子供って すぐ 病気をもらってくるし・・・

そのたびに 職場に頭下げて帰宅せざるを得ないのです。

女性活躍社会というなら
こういう問題をなんとかしなきゃ。
子供の数も 増えませんよ・・・

どうしたら いいんだろうかね〜
世の男どもは 考えたことあるのでしょうか。
特に 政治家!!
モノ申すだね。
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posted by うめのはな at 09:04| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月20日

移植医たち

今でこそ 臓器移植ということばが 普通に使われていて ドナーカードなるものも 保険証の裏についています。
日本での臓器移植が どんな風にして行われるようになったのか・・・
日本人というのは死生観が 独特で なかなか 人間の死にたいする考え方が 厳しいところがあって 難しいのです。
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移植医たち
著者    谷村志穂/著
出版者東京 新潮社
出版年2017.8

内容(「BOOK」データベースより)
「情熱、野心、そして愛―すべてを賭けて、命をつなげ。1985年、まだ実験的段階にあった臓器移植。最先端の医療を学ぶため渡米した3人の日本人医師を待ち受けていたのは、血の滲むような努力も崇高な理想をも打ち砕く、シビアな命の現場だった。苦悩し、葛藤しながらも、やがて彼らは日本初となる移植専門外科を立ち上げるが…。命を救うための最終手段である臓器移植。限界に挑む医師たちを支える想いとは。命と向き合い、生きていくことの意味を問う傑作長編。」

日本初の心臓移植後 タブー視されてきた 臓器移植。
アメリカで学ぶ 日本人医師たちの 熾烈な戦い。
アメリカでは 普通にうけいれられる 脳死も日本では 受け入れられない。
アメリカまで 大金を集め 移植を受けに来る 日本人たち。
臓器移植法案をきっかけに 帰国した 医師たちを 待ち受けていたのは
白い巨塔 といわれる 大学病院のシステム。
とにかく アメリカ式は なにもかも 異端視。受け入れられない。
バッシング マスコミ攻撃 嫉妬 告発・・・
そんな なか 命を救いたいと 頑張る医師たち。

そんな 内容です。

さて 移植ねぇ・・・・
ドナーになるかって?
ナイショ。。。。
日本人って なんか わりきれないところあるんですよね〜
死んだ人の身体にメスをいれるってね。
まして まだ動いている心臓を 脳死だからといわれて 諦めきれるか。。。
難しいなぁ〜
などと 思いました。
勇気ある人には 感謝 ですね。
タグ:読書
posted by うめのはな at 16:46| Comment(2) | 読書

2017年09月19日

Sちゃん

昔 小さな子供のころ 家には お弟子さんが住み込んでいて・・・
そのお弟子さんは 聞くところによると とても貧乏な家の子で 今でいうネぐレスト状態で ぐれていたとのことでした。
その子を 中学卒業と同時にひきとって 仕事を教え込んだのが父です。
母は わが子と同じように 食べ物も 衣服もわけへだてなく 面倒見たそうで 心をひらき真面目になったそうです。
私が まだ4~5歳のころにはすでに 働いていて 忙しい母のかわりに 何かにつけ わたしの面倒をみてくれたようです。
私も そのころの記憶があり 「Sちゃん Sちゃん」と 実の兄のようにまとわりついて いたようです。
その Sちゃんが 仕事を覚え 資格をとり いよいよ 独り立ちするために 大阪にいくことになったとき 私の悲しみといったら もう淋しく淋しくて べそをかいて 泣いたくらいです。
1年生くらいだったと 思います。

その後 別の住み込みの人が 入ってきたのですが あまりなじめませんでした。
一人は 女のひと「Yちゃん」といいましたが 1年ほどですぐ でていって 次に来たのが 男の人
この人は ちょっとこわくて なじめませんでした。
やはり Sちゃんが 一番だったと 思いました。

Sちゃんは 年に一度くらい 里帰りみたいに我が家を訪ねてきていましたが いつも学校に行っていて会えなかったです。
そして 間もなく 結婚するという 話をきいて 家族が増えたみたいに 嬉しかったです。
「もう少し 大きくなったら 天神祭りに 遊びにおいで」と手紙で 言ってくれたのを 覚えています。

父のことは 「先生 先生」と言っていましたが 母のことは 「おかぁさん」と言っていたかな・・
母の葬儀には ちゃんとやってきて 泊っていきました。
母の恩は 忘れていなかったようです。
その葬儀のとき 兄たちと話をしているそばに行き 
もう何十年ぶりかにあった Sちゃんに
「私の こと覚えてる?」って 聞いたら・・・
「ぜんぜん 覚えてへんわ・・・妹 いたっけ・・」

この一言で ショック!!
百年の恋も覚めてしまった 感じがしました。
私の 初恋ともいうべき 思い出はいったいなんだったのだろうか・・・・。
バカみたい。。。

その後「先生」と言っていた 父の葬儀にもやってきたようですが 挨拶だけですぐ帰ったようで 私は 顔を合わせることもなかったです。
そんなものですね〜
人生は。。。。
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 09:51| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月18日

渋谷川

真夜中に台風が通過したらしく 何度か防災メールで 竜巻注意報が入って そのたびに目が覚めた。
風も雨もそれなりに 強かったみたいだけど 東京はまだ 台風の中心から離れているのでそう心配することもなかったです。
「ゲリラ豪雨」と呼ばれる集中豪雨に見舞われると しばしば冠水の被害に遭う場所もあります。
最近は 地下放水路や貯水池などが できたせいで 以前ほど多くはありません。
東京渋谷は巨大なすり鉢の谷底に位置していて 地下鉄が3階にあるという不自然な駅なのです。
ここには 昔 渋谷川が流れていて 東京オリンピックのため暗渠になったそうです。

渋谷駅周辺の地下に川が流れているのは広く知られていますが 2013年に取り壊された「東急百貨店東横店東館」は渋谷川の上に建っており、そのため地下階がありませんでした。
東口再開発工事で 2017年度には 暗渠化されていた渋谷川が 「渋谷川賑わいの広場」および「渋谷川沿い緑の遊歩道」として、生まれ変わります。
水辺の少ない渋谷エリアに、暗渠化されていた渋谷川が新たに復活するわけです。
同時に 4000トンの地下貯留槽が造られ 水害に屈しない町になります。

渋谷川には支流もあります。
渋谷駅東口地下を流れる渋谷川に注ぐ川、宇田川は 地名になっています。
すべてが 暗渠化されていて その名残はありません。
井の頭通りの下に宇田川が流れているために、地下フロア同士の連絡通路のない西武デパートA館B館です。

小田急線参宮橋〜代々木八幡駅間にある"春の小川記念碑"があります。(東京都渋谷区代々木5丁目)
先日 火災で小田急線が立ち往生した場所の近くです。
「春の小川は、作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一のコンビによる日本の童謡・唱歌。1912年発表。 高野辰之が当時住んでいた東
京府豊多摩郡代々幡村(現在の渋谷区代々木)周辺を流れる河骨川の情景を歌ったものとされている。」

代々木5丁目は1212年(建暦2年)創建の代々木八幡神社を擁する代々木八幡山と代々木公園部分に挟まれた谷で、付近はかつて代々木九十九谷と言われたほど深い谷でした。
この谷を流れていた"春の小川"は、河骨川(こうほねがわ)と言う名の川でした。
河骨川は高台の初台から代々木5丁目を通って富ヶ谷へ抜ける短い川で水源は初台近辺の湧水。

初台といえば その昔 山手通り沿いにNTVの稽古場があって 週3回は通っていました。
懐かしい場所です。
参宮橋からも歩けましたので あのあたりをうろうろ歩きましたが いかにも川の跡というような道もありました。
今は 高級住宅地・・というか マンションが立ち並んでいます。

河骨川は渋谷川の支流である宇田川に合流していました。
渋谷川は、元々、新宿御苑に水源を持ち、渋谷区・港区内(港区内は「古川」と呼ぶ。)を流れていました。

渋谷川についての PDFは こちらです。

春の小川・・・のどかな風景はどこか 地方の情景ではなく 代々木だったのですね〜
代々木八幡駅なんて 安倍総理も住む  高級住宅地です。
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 15:49| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月17日

竹むら 

竹むら(たけむら)は、アニメ『ラブライブ!』 - 主人公・高坂穂乃果の実家「穂むら」として 登場したお店です。
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竹むら 東京都千代田区神田須田町一丁目19番地
東京都選定歴史的建造物
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昭和5年(1930)竣工し創業。作家池波正太郎も通ったことで知られる甘味の老舗。
入母屋造りで2階の欄干に竹と梅模様が彫られ、軒下に木製の提灯があります。
外観は屋根と庇で4層に見える。
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甘味処、和菓子店。揚げ饅頭が有名。
ここは 何年か前に 行きました。
最近は アニメ人気で 「聖地」となっているそうです。
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中も 凝ったつくりで 障子の飾りが みどころです。
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あげまんじゅうは売り切れてしてしまう人気のメニューです。
もちろん 食べました!美味しかったです。
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posted by うめのはな at 08:36| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月16日

いせ源

明治の頃 神田万世橋駅があった周辺は交通の要所であり 賑わったところです。
昭和3年まで 神田青果市場があり 老舗の飲食店が多く 今も古い歴史ある建物が残っています。
昔ながらの情緒漂う いせ源 もそのひとつです。
入母屋造りと2階の欄干に施された、菱形模様の彫りが特徴。
 「 かんだやぶそば」、「竹むら」、「まつや」、「ぼたん」などとともに奇跡的に戦災から焼け残り、連雀町といわれた地域です。
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あんこう鍋 いせ源本館 東京都選定歴史的建造物
千代田区神田須田町1-11
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都内で唯一のあんこう料理専門店
昭和7年(1937)の竣工で「いせ源」は、徳川14代将軍家斉の治世、天保元年(1830)の創業。
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木製の看板は建築当時から使用(平成8年補修済)しているもの
多くのお客様に食してもらいたいと虫食い舟板板を使用
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中林梧竹氏氏による書 明治37年頃の寄贈品
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内部は 故郷の家に来たような なつかしいような そんな 感じ。
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約80年に亘り この店を守っている 神棚。
天井の趣向が 目をひきます。
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いせ源 本館 写真とともに。
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階段を上ると 江戸情緒溢れる入れ込み座敷です。
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東京都選定歴史的建造物に選定されているだけあって 造りを見るだけでも楽しい。
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老舗だけあって いつも行列なんですが ランチもあって お手軽に食べることもできます。
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情緒ある 景色。タイムスリップした気分。
すだれの 向こうは・・・・
「竹むら」さん です。

タグ:歴史 グルメ
posted by うめのはな at 13:35| Comment(0) | 千代田区

2017年09月15日

Jアラート

Jアラートって まだ 聞いたことはないのですが・・・
緊急地震速報も すごく驚くので いきなり 鳴ったら ビビりますよねぇ〜
どうしたら いいのか 一瞬 頭真っ白になりそう。

緊急地震速報は すぐTVつけます。
でも たいてい揺れてから 鳴るので それなりに ああ、大きい!とか このくらいなら・・とか 自分の体験から どうすればいいか わりと 判断がつきます。
直下型だと 未経験ですが。。。

Jアラートなったら 屋内とか地下に行け・・って いったって 畑の真ん中にいる人はどうしようもないし 他人の建物に逃げ込むわけにもいかないし、そもそも 田舎に地下なんてない どうすりゃいいのさ!って こと 言っていた人いました。
ほんとうだね・・・私は 家にいて TV見るな。たぶん 地下にはいかない。
出かけていたら その辺の 地下街か 地下鉄か ビルに入るしかなでしょうね。

それに 鳴ったときは もう通過してるんでしょ?
数分でどうすりゃいいのか 瞬時に決断できる人って すくないと思います。
まず え?と 思って端末とか見ます。
えーーー!!って 一時 ぽかんとして 次の行動が わからなくなるかも。
で、きっと 周り見て 同じ行動 とるかも。
そして あわてて 怪我したり 殺到した場所で 倒れたり 取り残されたり。
ああ〜〜いやだ いやだ。

空みあげて 来るのかなぁ・・・って しばし 観察する人もいるかもしれません。
人間そんなものです。

このJアラートもあまり頻繁に鳴ると そのうち「オオカミ少年」みたいになってしまうかも。
慣れというのは おそろしい・・・・

とにかく ミサイルが飛ぶってこと事態 異常なことだし
平時じゃなくなるんだろうけど
だからといって どうしようもないし
せいぜい 遺憾の意 で 抗議するしかないのかしらね〜
遺憾の意は 聞き飽きた。。。。。。
他に 手だてはないものか・・・・・・
無力やな〜〜〜
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 09:39| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月14日

自転車保険

自転車の事故が多くなっています。
名古屋市は、10月1日から市内で自転車を利用する人に対して、損害賠償保険への加入を義務付ける。というニュースがありました。
市内通過者も義務化だそうです。
同様の条例は兵庫県や大阪府などでも施行されており、罰則はない。

今まで 自治体の 交通事故共済保険に入っていたのだけれど 保障が1000万しか ないものです。
掛け金は 安いのですけれど・・・ちょっと これじゃ ダメかなぁ〜って 思いました。

いろいろな事例を見ると 高額の保証が必要なことがわかります。
自分のことより 相手への万一の時の 保障ですよね〜
それで 別の 保険に入ることにしました。

1か月140円で1億。 家族全員の保障がつくなら 安心料でもいいかもね。
むろん 事故などないほうがいいのですが・・・
こればかりは どこで災難があるかわからないものです。

そのうち 全国的に自賠責保険のように 義務化するのかしら・・・。
大阪などは 義務化だそうですが 東京はまだ 努力義務だそうです。
罰則がないので 大阪でも 加入しているのは 半数くらいだそうですけど・・・

そのうち 自転車は完全 車道走行。
ヘルメット着用。
運転許可制。なんて ことになるかもね〜〜〜〜。

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posted by うめのはな at 15:38| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月13日

埋もれた江戸

江戸時代 大名屋敷があったところは 再開発の時の 埋蔵文化財調査をしなければなりません。
加賀前田藩があった 東大は 赤門が有名ですが 屋敷跡ということで いろいろな遺構が出ています。

江戸時代、東京大学本郷キャンパス(東京都文京区)には、加賀藩やその支藩である富山藩や大聖寺藩など多くの大名屋敷がありました。
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タイトル   埋もれた江戸
東大の地下の大名屋敷
著者    藤本強/著 
出版者  東京 吉川弘文館
出版年  2017.9
形態事項   313p 19cm
シリーズ名   読みなおす日本史 

内容(「BOOK」データベースより)
東京大学の改築工事の際に、加賀大聖寺藩の上屋敷跡が検出された。何層にも重なる遺構と大量の出土遺物から、焼失・再建の変遷や食器などの時代的推移が判明。近世史を塗り替える成果を、調査の臨場感と併せ紹介する。

東京大学の地下から大聖寺藩の江戸上屋敷の遺構があり 調査を進めると 古九谷 など遺物のの宝庫であった。
陶磁器が語る消費と流通が想像されます。
地下式土坑も残っていたし 木樋や 排水施設も 地下室もみつかった。
池の底から 将軍の「御成」と饗宴の跡があったし その規模の大きさもわかってきました。
しかし 箸や折敷 大量の かわらけ から 数千人〜9000人ほどの 宴だったとわかっているそうですが 大量の食材はどうして調達し どうやって 調理していたのか その費用も 準備も 興味深いです。
「御成」も 「参勤交代」も 大名の力をそぐための 儀式だったのでしょうか・・

杭のあとから 計られる江戸時代の基準尺度。
京間・江戸間・越前間の尺度等 次々と貴重な遺構が出てきました。
しかし 病院建設という 時間との戦いで そのまま埋め戻せという 意見もあったりしました。

何層にもあった遺構。
度重なる 江戸の火災で 燃えたものを埋め立ててしまったらしいです。
掘ってみれば 階段があり 地下室があったり それはもう 江戸を知るには 大切な遺構なのです。
江戸時代というのは すごい時代だったと わかります。
300年にわたる 初期から〜末期の江戸の文化を知ることができ とても 面白い本でした。
少し 専門的で 難しい部分も多々ありましたが それは 他の知識で 補うことができます。
今まで 東大博物館など そして 東大構内をじっくり見学していますから ああ・・・これはあそこか、とか 地理的なことは 解決できましたし 江戸の文化財は いろいろ 見てきましたので 本だけでも 想像がつきました。

江戸間と越前間の 比較も興味深かったです。
加賀藩では当初
越前間(1間6尺3寸≒1.91メートル)を使っていたと・・・
その後の八百屋お七の火災後の建て替えでは江戸間が使われたそうです。
少なくとも 17世紀末期からは 江戸間が 基準尺度になったと思われると書かれていました。

京間は一間が6尺5寸、江戸間あるいは田舎間が6尺です。6尺3寸の越前間あるいは中京間もあります。

現在は団地サイズなんていうのもあって 田舎の6畳間と 都会の6畳間では 広さが見た目でわかるほど違いますね〜
江戸間は 狭い・・・・。
これは 福井の家と比較しても すぐわかります。

文化財や 遺構が好きで あちこち 巡りましたが 歴史散歩も面白いです。

昔を知ることは 今を知る ことにも繋がります。
こういう本もなかなか いいものです。
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posted by うめのはな at 10:07| Comment(0) | 読書

2017年09月12日

捨てる

少し モノを捨てようと思い 粗大ごみセンターに申し込みをしました。
こんかいは 2点だけ。シールを買ってきました。
もっと 捨てたいのだけれど 一度にやると 疲れるのです。

処分したいものは 山ほどあって いらないと言えば みないらない・・・
それだと 非常時には困るので これもとっておこう あれも・・と 思うと結局 捨てられない。
こういうのって 思い切りが必要なんですね〜

代々使ってきた PCが 数台あるのですが これは 専用の事業所に引き取ってもらわないといけません。
ほとんどが ノートPC.
HDDをどうしようか 考え中だけど 障害者支援事業所に電話してとりにきてもらおうかと考えています。
その他 プリンターや VTRのデッキ 外付けHDDなど 周辺機器もひきとってもらえそうです。

整理しなきゃ・・・
モノは いらなくなった時に 捨てるのが一番いいのかも。
貯めると面倒・・・・
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posted by うめのはな at 15:46| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月11日

よく学び 遊ぶ

福井県や秋田県の 子供の学力 体力が上位だということです。
福井には お受験の予備校もなかったし そもそも お受験そのものがなかったので こりゃどういうことかな・・なんて思っていました。
みなが 当たり前のように 公立に行きます。
私立は すべりどめ。
ここが 都内とは違うところかも。。。

しかし 子供の学力は全国1位 2位。
社長になっている人も日本一とか。
ここは 詳しくは知らないのですが そうみたいです。

子供の学力。何が違うのか・・・
塾や予備校も行くこともなかったので
宿題が多いです。たぶん他より多い。
毎日の宿題。これは 主に その日の復習。
それに 予習が必要です。
予習していかないと 次の日の授業は おいてけぼりになります。

先生は 予習してきているのがあたりまえで 進みます。
当てます。
漢字の読み書きは もちろん下調べ。
英語は 全文英訳、単語の意味も 文法も予習。
先生は文を読ませ英訳させて 次々当てていく授業でしたから 何もしていないと お手上げです。
たまに その日の朝 写させてもらうようなこともありましたっけ・・・・
この予習 復習が とても効果的だそうです。

予備校など行っている暇もなければ そんなものも近くにはなかったです。

進学は ほとんど 関西。金沢。
東京に出る人はあまりいませんでした。

今はどうだか知りません。

学力だけかと思えば 体力も1位とか・・・
なんでだろうか・・・
その辺は 私にはわかりません。

よく遊び よく学んでいるからかもね・・・。
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posted by うめのはな at 15:24| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月10日

ボンボニエール展

今日が 最終日なのですが 皇居東御苑の三の丸尚蔵館で 素敵な展示会がありました。
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「皇室とボンボニエール−その歴史をたどる」
会期. 平成29年7月15日(土)〜9月10日(日)

明治20年代から 皇室の引出物のひとつとして ボンボニエールと呼ばれる小さな菓子器が採り入れられました。
手のひらに乗るくらいの小さなものですが 慶事にふさわしく 趣向をこらした工芸品です。
デザインに工夫を凝らして銀や漆,陶磁などの材質を生かしたボンボニエール。
日本の伝統工芸の技をいかした 小さな世界。
日本の工芸の歴史の深さを感じます。
旧秩父宮家や旧高松宮家から まとまった数の寄贈があり 近代皇室のボンボニエールの有様があきらかになったということで 今回まとまった数の展示となりました。

どれも 小さな世界ではありますが 伝統工芸の緻密な技をいかしたもので、あっと驚くようなものもあります。
この ボンボニエールの中に入っているのが 金平糖。
そりゃ 皇室の引きでものだと 食べてしまうのも もったいない。
か・・どうかは 知りませんが 日持ちのする金平糖を入れたそうです。

伝統的製法でつくる 金平糖は 高熱で焼き固めることから保存性が良く、湿気さえ気を付ければ20-30年経っても味が変わらないとさえいわれています。
非常用の乾パンなどにも入っていますね。

金平糖といえば 子供の頃よく食べたので 駄菓子かと思っておりましたが とんでもない。
つくるのに 2週間ほどかかる手の込んだお菓子だそうです。

金平糖は1546年、ポルトガルからもたらされたお菓子の中でも 「高貴なお菓子」として珍重されました。
皇室にふさわしいお菓子なのですね。

創業、弘化四年(1847)の日本で唯一の“金平糖専門店”は この伝統的製法でつくっているそうで 予約待ち1年ともいわれているそうです。

ボンボニエールと同じく 奥の深いものなのですね。
posted by うめのはな at 08:31| Comment(0) | 千代田区

2017年09月09日

努力

このごろ 15歳くらいの若い人が スポーツでもなんでも頑張っています。
将棋もそうですし水泳 スケートや 卓球。スノーボードも優勝しましたし 世代交代の時期なのかなぁ〜と。
でも よく話を聞けば そういう子は 3歳くらいのときから 目標に向かって努力しているのです。
練習もそうだけど じぶんで学ぶ 工夫する そういうことの積み重ねでしょう。
卓球の 愛ちゃんも 3歳くらいのときから泣きながら練習していた姿 ありましたね〜
遊びたいときにも まずは 練習。
いきなり できるわけじゃないと思います。
そこそこまでは 素質があってできる子はいますが その先はやはり 努力です。
日本の代表になるような子は 日々の練習量も違うし 覚悟が違うのでしょう。

野球の松井選手のお父さんが 
「天才とは 努力できること」って 言ったそうで 松井さんは 常に努力してきたそうです。
日々の積み重ねが大切ってことでしょうね。

何事も 人並み以上の努力が大切ってことでしょうね。
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posted by うめのはな at 08:45| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月08日

元気で長生き

現在のところに住んで もう11年になります。
8年位前に 引っ越してきた 真上の人は 当時 70代の夫婦 だと言っていました。
郊外の 戸建を処分して 便利な都心に出てきたそうです。
越してきた当初は 戸建の感覚で住んでいたらしく 下の住人としては いらだつことが 多々ありました。
ベランダ の手すりに 高層階にもかかわらず 布団を干す。それも 階下に めいっぱい垂らして 干すし(うちは どうなってもいいんかい!)取り込むときは パンパンはたく・・・これ ほこり と騒音で 大変なんです。
管理人にいおうかと思っていたら 先に 隣の人が 直接言いに行ったらしいです。
手すりに布団干しは禁止なんです。

年よりだから 早朝5時前から がたがた ベランダでなにかやりだす。
日曜大工か なにかしらないけれど 電気ドリルだの トンカチだので 音をたてる。
孫がくれば 走り回る 飛び降りるの 大騒ぎでした。
うちは他より 天井高もあって二重天井の 厚みのあるつくりなんですが。
それでも やはりダメージはありました。

迷惑このうえなかったのです。

マンション暮らしに慣れてきたのか 注意を受けたのかは知りませんがだんだん 非常識なことはしなくなりました。
時々 顔合わせるのですが 「こいつが 下のやつか・・」みたいに ガン飛ばしてます。

でも 考えてみれば もう8年なのだから そろそろ80歳ですよね〜
それにしては 元気で 若い感じがします。
最近の 年寄りって 昔の年よりとは違って 元気ですよね〜
え〜!って 思うくらい 若々しいです。
それに よく動く。
私なんか ほとんど動かないから ダメかも。。。。

上の住人も 元気いっぱいです。
80近く には見えません。
お元気で 何よりです。

うち は 外国人もいるし 単身者 家族者 いろいろ住んでいるらしいのですがよく知りません。
年よりもいれば 赤ちゃんも 子供も多いし(子供会はあるみたい)
考えてみれば 大きなマンションって ひとつの大きな町内会みたいなのに 顔あわせることもないって 不思議な世界ですね。
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posted by うめのはな at 10:39| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月07日

山頂

山登りの話をしましたが 山頂というのは とにかく気持ちがいいのです。
お花畑や雪渓をみながら 登ったり。
途中もいろいろ楽しいです。
そりゃぁ ガレ場も 鎖場 も急こう配もあって それなりに 山登りしてるって 感じる場所はありますが 基本的に初心者が上る 山でしたので・・・楽しみのほうが多かったです。

360度見渡せて 達成感があって 景色もよくて これは 登った人じゃないとわからない。

そんなわけで バカは高いところが好きといいますが スキー場に行っても 山頂まで行くのです。
福島 会津高原 たかつえスキー場は 何度も行って 定宿に4~5日は滞在するという なじみのスキー場でした。
(スキー道具は 処分してしまい 今は 行っていません)
ここのスキー場は リフトやゴンドラを5つ6つ乗り継げば初心者でも 山頂に行けるのです。
それ以上 高いところがなくて 空が近くて すばらしいところです。
山頂は 1700mほど ゲレンデが 1000mほどですので 標高差700mを 滑り降りることができます。
林間コースがあって くねくねとした 登山道みたいな道をすべってゲレンデまで下ります。
けっこう 緩やかで (でも片側は崖ですが・・・)
気持ちのいいコースで 行けば必ず この4〜5kmを滑り降りました。
林間コースから ひろぉ〜〜い ゲレンデにたどりついたときは これまた世界が広がったようになり 一気にスピードを出し滑り降ります。
初心者ゲレンデでは 慎重に 人をよけながら。。
こんな感じで とても楽しいのでした。

早朝 だれも滑っていない コースをショートカットして下のコースまで ゲレンデの崖を 滑り降りたこともあります。
腕前は 中級の下くらいだろうと 思っています。
それほど うまいわけじゃないです。

長野県や 栃木県など 他のスキー場でも たいてい 山頂に行ければ 行きました。
でも たかつえほど 気に入った 山頂コースはなかったです。

私は 今は 山もスキーもやりません。
なんでも できるうちにやっておくのがいいです。
あとで・・・そのうち・・と思ってもなかなかできなくなります。
山登りも スキーも 今は いい思い出になりました。
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posted by うめのはな at 11:09| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月06日

山登り

山の本を読んだ。
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SOLO
著者  笹本稜平/著 
出版者東京 祥伝社
出版年2017.8

「孤高のクライマー・奈良原和志。
アルピニズムの極北を目指し、ヒマラヤ屈指のビッグウォール、
ローツェ南壁に挑む! 」
小説です。
たった一人で 8000mの山に挑戦する 一人の日本人の話。

ネパールの 商業登山の様子 や どんなふうにして 頂上を目指すのかが よくわかりました。
ベースキャンプをつくり そこから 登るというような基本的なことも含めて なかなか興味深かったです。

もう 今は山登りはしませんが 昔は お散歩程度の山登りしました。

立山・雄山 これは3003m。(頂上の神社にお参り)
乗鞍岳 3026m(夏でも雪渓で ヒンヤリ)
箱根 明神ヶ岳 1169m(笹のブッシュを漕いで 行きました)
三つ峠 1785m(ここからの富士山は きれいです)
丹沢・大山 1252m(低いけど 険しい山)
那須 茶臼山 1915m(何度も登りました)
その他 もろもろ 蔵王だ筑波山だ 高尾山だの ハイキング程度の山。

やはり 立山が一番 きつかったかもね。。。。
頂上付近は ほとんどはいつくばってでした。
ああ・・・大山も意外と 大変な箇所あったように思います。

よく 登ったなぁ〜って 思いますが そのころは 登ることが目的でしたので 達成感を味わうためだけだったでしょうね。
本格的な登山はしたことがないし したいとも思いませんでした。
どんな 簡単な山でも 水 食料 防寒具など それぞれリュックにいれて 備えありで 登りました。

この頃 サンダルで 半袖で ちょいとそこまで・・って 登ったりする人がいるって 報道でありましたけど
甘く見るなよ〜〜って 感じです。

今は もう 階段のぼるのさえ 坂道あるくのさえ いや!!
です。
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posted by うめのはな at 14:49| Comment(2) | 読書

2017年09月05日

酸蝕菌

「虫歯より 怖い 酸蝕歯」という記事を見ました。

要するに 酸で歯がとけるという話です。
「歯は酸に弱いが、唾液が酸を洗い流して中和するため、通常は大きな問題は起きない。」
でも 胃が悪くて 胃酸がしょっちゅうあがってきたり 嘔吐を繰り返すと 歯も融けます。
酸蝕歯の重症例の多くは「胃酸が原因」
だそうです。

日常生活でも ワイン、炭酸飲料、栄養ドリンク、かんきつ類、ドレッシング酸などは リスクがあるとのこと。
酸蝕歯を防ぐには、歯を酸に長時間さらさないことが 大切で ダラダラ食べたり ちびちびのみは よくないそうです。

健康のため 黒酢の原液を朝晩飲んでいたり グレープフルーツを1日 2玉たべていたりする人も ダメージが大きいそうです。
スポーツドリンクののみすぎも よくないとのこと。

防ぐには 食後 30分ほどに 口の中 歯をきれいにすることだとか・・・

{「コップ1杯の水に小さじ1の重曹をよく溶かした重曹水をブクブクと口に含む」うがいを勧める。
重曹がない時は水やお茶で口をすすぐ。中和はできないが、酸を洗い流すだけでも予防につながる。}
って書いてありました。

ごしごし磨きすぎも 歯を痛めるので やわらかいブラシで きれいにするのがいいそうです。
虫歯リスクのある人は 石灰化を促すフッ素入りがいいらしい。

それなら 食後 液体歯磨きでもいいかな〜
posted by うめのはな at 08:49| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月04日

自動車

車のドライブレコーダーのバッテリーが 発火とか。

車の中って 炎天下の駐車で 物凄くあつくなるのですが 置き忘れたら危ないものは 人はもちろんのこと 電池のおもちゃや ライター スプレー缶なども危ないですね。PCもダメですね〜

車の中に置いておいたら よくないものって いろいろありそうです。

誰かが 炎天下の車の中に 布団を入れておくと ダニ退治になるって 言っていました。
それもそうかもね〜
私は 昔よく 車の屋根の上で干しました。中でもいいんだ・・・

最近 車は乗らないのですが たまに乗ると怖いかな。
もちろん 人に乗せてもらってですけど。

自分がいくら注意していても 事故は起こるし 運転手に命預けていますって感じです。
よく こんなので長時間 高速を走ったと 思い出しただけで恐怖です。
トラックにぶつけられたら ぺしゃんこだものね〜
ちょっと間違えれば 人殺しになったりもして・・・・
毎日 車にのるって 危険と隣り合わせで
すれすれのところで 生きているって感じです。

と まぁ これは あくまでも個人的な 感覚です。
車社会にいれば そういうことは ぜんぜん思わず 当たり前のように 車に乗るのです。
長年 車に乗っていて もう長い間車から 離れたからこそ そう思うだけです。

親戚に 車の乗せていってあげるから 田舎に一緒に行こう。。。って言われても
今なら いい新幹線で行く って 言いますね〜
それくらい 長時間の車は 疲れるし 怖いです。

ちょこっとタクシーに乗るくらいなら いいんだけど
バスがあれば やはり バスにするかも。

車が生活の一部になっていた時は ひやりも 何度かありましたし
今思えば かなり怖いときもありました。

こう恐怖症になると
運転免許証も ペーパーのゴールドだし
返納してもいいかもね。
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posted by うめのはな at 13:28| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月03日

くねくね体操

「くねくね体操」なるものを Tvで見て いつでもどこでも できるし ちょっとやってみようかなぁ〜で ただいまお試し中です。
「ためして ガッテン」で 徳島大学の荒木秀夫教授が考案した「くねくね体操」が紹介されていました。
若かったころのキレのあるカラダを取り戻し身体楽に動くようになるということです。
年取った人は、転ばなくなる。衰えた 運動神経を活発にする。
歩けなくなったり 転んだりするのは 筋肉が衰えただけではなく、神経が少なくなるためだったのです。
というような 解説でした。

東京都では このくねくね体操を 推奨していて 実行している小学生の運動能力がUPしているそうです。
全国の幼稚園から大学まで この体操を行うところが増えているそうです。
これは 子供の運動能力を高めるというより 大人の衰えた運動神経の回復に役立つらしいです。

ってな ことで 半信半疑 まぁ ゆらすくらいなら やってみるか・・で お試し中です。
ほんの30秒とか TVみながらとか 体揺らすだけですから 簡単です。

おなかでも ひっこめば そりゃぁ〜ありがたい!!
転ばぬ先の杖 じゃないけれど できることからはじめよう・・というわけです。

もうひとつ 「がにがに体操」というのもあって
これは 蟹さんスタイルで足を横に持ち上げるだけ。
10回ほどやればいいらしいです。。
なんか 楽しい体操です。

はたして 効果のほどは・・・
しばらく続けてみます。
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posted by うめのはな at 09:01| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月02日

日劇

「TOHOシネマズ 日劇」が来年2月で閉館する。
というニュースを見ました。
約84年にわたって続いた「日劇」の名は 消えてしまうのでしょうか・・・

「日劇」はたしか 建て直されていたように思います。
子供の頃の 記憶の建物ではないから そう思うのですが・・・と思って調べてみたら やはりそうでした。 日劇の 名称だけが受け継がれていました。

子供の頃 古い 「日劇」に行ったことがあります。
たしか 後楽園の遊園地で 一日を過ごす予定が かなりの雨で 予定を変更し 「日劇」に連れていかれたのだと思います。
何がなんだかわかららいまま 輝くステージの ラインダンスを見て びっくりしたことを覚えています。
途中のダンスは まったく記憶にないのですが あの最後の ラインダンスが 美しくて 華やかで きれいで 子供ながら 感激しました。
そのあと たしか 映画を見たのですが 寝ていたのか つまらなかったのか あまりよく覚えていません。
とにかく 移動せず 屋内の施設で 一日をすごしたようです。

ラインダンスをみなければ 「日劇」という名も 覚えていなかったはずです。

大人になって 東京に出ても 有楽町の今のそこが あの「日劇」のあと だとは わからなかったです。
全然 違ったものだから・・・・

古きよき時代のものが どんどんなくなっていきます。
これも しかたのないことなのでしょう。
人は いつまでも 思い出だけで生きるわけにはいきません。
前に すすまなきゃいけないときもあるのです。

思い出は 胸の中だけに・・
とは言っても 私なんか忘れてしまいたい 恥ずかしいことたくさんありますけどね。
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posted by うめのはな at 08:42| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月01日

9月1日

9月1日。
大正12年(1923)に発生した、関東大震災の日です。
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東京都慰霊堂 東京都墨田区横網2丁目3-25 東京都立横網町公園
関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡に昭和5年に建てられました。
横網町公園は、関東大震災により多くの被害者を出した陸軍被服廠跡です。
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慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太氏(1867〜1954)によるものです。
当初「震災記念堂」でしたが 昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者の御遺骨も併せて安置し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改めました。
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横網町公園内には  復興記念館があります。
関東大震災の遭難者、東京大空襲の犠牲者を追悼する東京都慰霊堂の付帯施設として昭和6年に建てられました。
震災 戦災 のさまざまな資料が展示されています。

東京慰霊堂では 毎年2回(春季−3月10日、秋季−9月1日)慰霊大法要が行われています。
亡くなったすべての人に 追悼の意を表します。

タグ:歴史
posted by うめのはな at 08:45| Comment(0) | 墨田区