2017年04月30日

松の露

いつも 福井のお土産は 羽二重もち。
もちろん 買いましたが 今回は 芦原温泉駅で 別のものも買いました。
syoro (1).JPG
松の露(御菓子司 浅野耕月堂)
卵白と砂糖のシンプルな 焼き菓子でメレンゲ・・和製マカロン風です。
松林に生える松露(しょうろ)というキノコをかたどった茶菓子。
昭和22年(1947年)、 昭和天皇が芦原温泉に宿泊されたとき お茶請け菓子としてだされた「松乃露」のお代わりを御所望されたそうです。お気に召されたようで お土産に買い求められたということです。
syoro (2).JPG
約縦8.5cm x 横8.5cm x 高さ7cmの小箱に 16粒
サクッとした舌触りと上品な甘さ 口の中で溶けます。
砂にみたてた コーヒーの粉がアクセントで ほわっと香りが広がりました。
鶏卵にわざわざ福井県産と記載し 創業以来変わらぬ手作りの味を守り続けているそうです。
昭和天皇が生涯12回だけおかわりをされた中の ひとつのお菓子ですが さすが 癖になる味です。
大量生産できないので 数に限りがあるそうな。。。。
宣伝になってしまったかしら・・・一度にたくさんは食べられないけど 美味しかった!
タグ:グルメ
【グルメの最新記事】
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | グルメ

2017年04月29日

東京みやげ

帰省には 東京みゃげが 喜ばれます。
何にしようか・・と 悩んだあげく 今回は いつものように東京駅で買うものではなく 他では手に入らないものを選びました。
kikumnk (2).jpg
皇居二重橋前広場です。
kikumnk (1).JPG
皇居の観光シンボル二重橋
ここから 楠公の銅像のある場所に行きます。
nanko.JPG
楠公レストハウス
ここは ツアーバス はとバス 修学旅行の大型バスの駐車場で 団体用の広い食堂もあります。
この売店にしか 売っていないという 人気ナンバーワンの 最中を買いに行きました。
kikumnk (5).jpg
皇居 菊最中 5個入り
kikumnk (4).jpg
4箱ほどお土産に購入。
kikumnk (3).JPG
わたしも初めて食べましたが 宮中での製法のまま造られている最上級の最中餡で 上品な甘さですごく美味しかったです。
もちろん 皆に大好評でした。
次は自宅用にも買うつもりです。
こんどから土産はこれかなぁ〜ありきたりの 洋菓子より喜ばれそうです。
タグ:グルメ
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | グルメ

2017年04月28日

東尋坊

海岸沿いを車で走ると 東尋坊への入口の近くで ポツンと建つ まわりとは異質な建物を見かけました。
となりの空き地に 車を止めてこの建物をみることにしました。
tojnbo (5).jpg
内田惣右衛門記念館    福井県坂井市三国町安島
門が閉じられて 開館していませんでした。
tojnbo (6).jpg
自然豊かな まわりにそぐわない ド派手な洋風建築でちょっとしたショックを受けました。
バロック様式の洋館の前に 菱垣廻船と銅像  仏像みたいなものやら 置かれていて それも新しく作ったものばかりで 調和がないというか・・・・成金趣味にしか見えませんでした。
tojnbo (4).jpg
調べてみると 内田家は江戸時代に北前船の海運業で福井藩を潤した三国の代表的な廻船問屋で、飢饉のたびに出費をして町の窮民救済に貢献したとか・・・
この記念館が いつ建ったのかは知りませんが 華美を嫌う惣右衛門の意を重んじて、現在の当主によって閉館となっているそうです。なるほど そういうことですか。。。。
tojnbo (8).jpg
東尋坊です。
tojnbo (1).jpg
ちょっと見物していきましょうか・・・
手前の手すりは 観光船乗り場への階段。
tojnbo (2).jpg
雄島が見えます。
tojnbo (3).jpg
子供の頃は もっとすごく感じたのですが 観光化されて 歩きやすくなっていたり岩場近くまで 店があったりして 怖いという感じは薄れました。
いいのか 悪いのか・・・・どうでしょ?
タグ:観光 福井
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月27日

丸岡藩 砲台跡

福井県坂井市三国町の梶にある丸岡藩砲台跡に行きました。
梶台場(かじだいば)ともいう。国の史跡に指定されています。
mrokhodi (1).jpg
駐車場に車を止めて 松林を海岸のほうに下りていきます。
せっかくの説明板の文字が 見えない・・・
人もいなかったし あまり訪れる人はいないのだろうか。。。
mknkj (1).jpg
駐車場から松林を下ると 海が見えます。
ほぉ〜っと いう瞬間です。
mrokhodi (2).jpg
もう少し下ると 松の間に それらしきものが見えました。
mrokhodi (3).jpg
幕末の嘉永5年(1852年)、丸岡藩の砲術家栗原源左衛門によって作られた砲台の跡。
欧米列強が鎖国下の日本に来航し、開国を迫っていた頃、江戸幕府から全国諸藩に海岸を警備するよう命があり、1852年丸岡藩が建設した砲台跡です。
ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航する前年のことです。
mrokhodi (4).jpg
当時の形をよくとどめていることは全国的にみても大変稀であり、国の指定史跡になっています。
丸岡藩では後に藩主・有馬道純自らが西洋流砲術家の江川太郎左衛門に入門している。また藩士も大野藩の学問所「洋学館」に砲術修業のため入学している。
mrokhodi (5).jpg
弓状に築かれた土塁には5ヶ所の砲眼といわれる大砲を備える窪みが設けられています。
高さ1.8m、長さ33mの石垣でつくられた胸墻に5つの砲眼を設けている。
組まれた岩の下部に文字が彫られ、嘉永五年(1852)2月、高島秋帆の門人と伝えられる栗原源左衛門の設計で築造と書かれています。
mknkj (2).jpg
砲台は、丸岡藩が沿岸警備のために坂井市三国町梶の東方に突出した海岸部に建設したもので 景色がいいです。
mknkj (3).jpg
右手には浜地・波松そして石川へと続く海岸線がみえます。
mknkj (4).jpg
左は越前松島方面です。
砲台跡を見に来る人はいないのか わからないですが 人がいない・・・
ろくな説明板もなく 案内もないし 景色はいいのに忘れられた場所 という感じです。
mknkj (5).jpg
目の前に広がる 日本海。
今も昔も警備の要でしょう。
昨今の脅威はありますが この時は 波穏やかな豊饒の日本海が広がっていました。

下りた分だけ 戻りは上って・・・一苦労しました。
タグ:歴史 観光 福井
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月26日

霞ヶ城公園 

1979年に築城400年を記念して、整備され造られた日本庭園式の霞ケ城公園(丸岡城公園)は 歴史的・文化的資源を有効に活用している公園として、「日本の歴史公園百選」に選ばれています。
mroksirop (1).jpg
眺望もよく 春は桜とともに楽しめます。
mroksirop (2).jpg
丸岡城を取り囲む内堀は明治時代には埋め立てられ、道路になっていますが外堀は用水路となり、今も町のあちこちにその面影が残っています。
mroksirop (3).jpg
春は桜やみどり、秋は紅葉が美しいです。
mroksirop (4).jpg
公園内には 明治・大正期に活躍した郷土の偉人や名士の碑などがあります。
これは お地蔵さまらしき祠。
mroksirop (5).jpg
天守台を取り囲む桜とともに 道を下って行きます。
mroksirop (6).jpg
桜がきれいです。
mrokjyolst.jpg
振り向けば 花の霞に浮立つ古城かな・・・

城はいろいろ見てきましたが やはり本物の木造の古城は 長い歴史の重さとともに何か胸に迫るものがありました。
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月25日

丸岡城 雲の井龍神

丸岡城天守台のまわりは 見晴らしのいい高台です。
mrokryujn (1).jpg
天守台の下にある 一筆啓上 の石碑です。
mrokryujn (6).jpg
一筆啓上石碑
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った手紙として有名です。「お仙」とは後の丸岡城主本多成重(初代丸岡藩主 幼名:仙千代)のことです。この石碑が縁で、日本一短い手紙文の一筆啓上賞の起こりとなりました。
mrokryujn (2).jpg
丸岡城八幡神社
祭神:誉田別命・息長帯姫命・比盗_
本社は丸岡城内鎮守社として築城以来此の地に奉斉せられたもので古図にも明示される処である。
mrokryujn (3).jpg
築城以来この地にあった城の鎮守社です。
明治の廃藩後城郭の荒廃に伴い自然社も衰退し 僅かに地元の有志の信徒達が祭礼を続けていたそうです。
丸岡城天守再建の際に、この神社も再建されました。
mrokryujn (8).jpg
天守台の南西の井戸「雲の井」
この井戸「雲の井」のあたりは福井大震災のときでもくずれなかったといわれている。
mrokryujn (7).JPG
「一揆の残党が攻撃をしかけても、井戸のなかから大蛇があらわれて、城に霞をかけて危機を救った」。
別名 「霞ヶ城」と言われる 所以である。
この大蛇を「雲井龍神」という。ちかくに祠があり、かたわらに碑文がある。
mrokryujn (4).jpg
雲井龍神の祠
mrokryujn (5).jpg
雲井龍神 碑文
古老傳ヘテ曰ク 丸岡城ノ巽ノ隅ニ雲ノ井アリ 傍ニ小祠アリ 城主有馬侯勝利ノ守神トシテ祀ラレシ所ナリト 今ヤソノ荒レタルヲナゲキ 人々力ヲ合セテ之ヲ再興セリ
昭和四十年秋 東大名誉教授 文学博士 平泉澄

福井県勝山市に平泉寺白山神社があります。苔寺といわれる神秘的な 美しい寺です。
平泉澄は、この白山神社の神職の家に生まれた人です。
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月24日

丸岡城 人柱お静の伝説

当時は 五角形の広い内濠に囲まれた中に本丸や二の丸がありましたが 堀も大部分埋め立てられ、小高い丘の上に天守台と石垣だけが残っているだけです。
mroksiz (1).JPG
現在天守の鯱は 木造の銅板張りの鯱です。
mroksiz (6).jpg
福井震災前の石製の鯱
福井震災で落下した笏谷石の鯱が 現在天守閣登り口の階段脇にあります。
mroksiz (7).jpg
もともとは 木彫り銅板張りの鯱でしたが 戦時中銅板の入手が困難だったため 石製鯱に改めました。
福井地震で落下後 昭和の修復時にもとの 木彫り銅板張りに復元しました。
mroksiz (2).jpg
子供の頃に 聞かされた お城にまつわる伝説があります。
丸岡城 伝説「人柱お静」です。
mroksiz (3).jpg
お静慰霊碑があります。その脇には 説明板。
mroksiz (4).jpg
伝説 「人柱 お静」
柴田勝家の甥、柴田勝豊が天正4年(1576)に丸岡城を築城の際、天守閣の石垣が何度積んでも崩れるので人柱を入れるように進言する者がいました。そしてその人柱に選ばれたのが、二人の子をかかえて苦しい生活をしていた片目のお静でした。 お静は、ひとりの子を侍に取り立ててもらうことを約束に、人柱になることを決意し、天守閣の中柱の下に埋められてしまいました。
それからほどなくして、天守閣は立派に完成しましたが、柴田勝豊は他に移封され、お静の子は侍にしてもらえませんでした。
お静の霊はこれを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをやる卯月のころになると、春雨で堀には水があふれ、人々は"お静の涙雨"と呼び小さな墓をたてて霊をなぐさめました。
「堀の藻刈りに降る雨は、いとしお静の血の涙」という俗謡が伝えられています。
mroksiz (5).jpg
今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)4月15〜17日は、天候に恵まれることが少なく、お静の涙雨 という話を聞きます。
今年も 雨降った・・・・そうな。
タグ:歴史 観光 福井
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月23日

丸岡城天守

桜の花の中に 浮かんでいるような 丸岡城です。
mrokjyo t(7).jpg
安土桃山時代に建造されたと推定される天守は重要文化財に指定されています。
mrokjyo t(1).jpg
丸岡城天守  丸岡城の天守は、全国で現存する12基の天守で最も古い。
別名霞ヶ城
城郭構造連郭式平山城
天守構造独立式望楼型 2重3階(建造年不明 木造 現存)
遺 構:曲輪、天守、移築門、石垣
築城主柴田勝豊
築城年天正4年(1576年)
mroktnsyu.jpg
天守は、二層三階の初期望楼型独立式で、軒下や壁面が白木造りとなっている。
屋根は 珍しい石瓦で葺かれている。
約6000枚の瓦はすべて笏谷石(足羽山山麓から産出)1枚20〜60kg 屋根全体で120トンにもなります。
mrokjyo t(8).jpg
内部に入ることができますが・・
この 急な石段だけで 諦めました。
とは言っても・・・子供の頃から何度か 内部に入ったことがあります。
天守内部の階段は、大変急な階段で 段差が高く 観光客のためなのか つかまるためのロープが備えられています。
2階ー3階の階段は、傾斜角約65度、段差がなんと27cm、踏面も最小で12.5cmしかない。
天守への石階段:約29度ですから 65度がどんなものか想像つきますね。
日本一 登りにくい階段かも。。。
mrokjyo t(2).jpg
外観は二階建てに見えますが、内部は三階建て(二層三階)となっています。
最上階三階の望楼は、ふもとから約35mの高さで 坂井平野が一望できます。
mrokjyo t(3).jpg
不規則な石組みで高度な技術が必要な野面積みの石垣。戦国期特有の建築構造の1つです。
野づら積み の石垣は、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。
mrokjyo t(5).jpg
狭間(鉄砲穴)
天守の壁面に開けられた小さな小窓で、この穴から外敵に向かって石を投げ落としたり、鉄砲を撃ったりするところです。
mrokjyo t(4).jpg
簡素な石落とし
天守閣の一階には石落としという狭間があり、石垣を登ってくる外敵に向かって、石を投げ落としたり、弓をや鉄砲を撃ったりする時に用いました。
mrokjyo t(6).jpg
天守の最高階の天井の間には四方に窓があり、窓からの展望がよく 西方は日本海、三国の海岸まで見渡せます。
丸岡城内は戦国時代の特徴で 豪華さや優美さより、いたる所にある敵に対する備えを重視しています。
現在の天守は、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊した後、昭和30年(1955年)に部材を組みなおして修復再建されたものです。
タグ:歴史 観光 福井
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月22日

丸岡城 桜に浮かぶ霞ヶ城

越前 福井藩 丸岡城に行きました。
ちょうど桜が満開で 一番いい時でした。
mrokjyo (3).jpg
小学校の遠足で訪れたこともあるし 何度か遊びに来たことがある 城です。
別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。現在は天守のみ残る。 
mrokjyo (1).jpg
国宝 霞ヶ城   福井県坂井市丸岡町霞町1-59
1934年(昭和9年)1月30日 天守が国宝保存法(旧法)に基づく国宝に指定される。
mrokjyo (7).jpg
丸岡城天守閣を取り囲むようにソメイヨシノが植えられている公園は、日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」として整備されています。
1990年(平成2年) 「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されました。
mrokjyo (8).jpg
桜が満開の頃は、桜が作り出す霞の中に丸岡城が浮かんでいる幻想的な風景となります。
mrokjyo (4).jpg
天守閣をとりかこんでいる 坂道をぐるりとまわるように上っていきます。
mrokjyo (5).jpg
頭上を覆うように咲く 桜がきれいです。
mrokjyo (6).jpg
丸岡城は越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城されました。
丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。しかし、その度に、天守閣横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。
現在は 取り囲むように咲く さくらがまるで 霞のように見えます。
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 都外

2017年04月21日

散る桜 咲く桜・・・

今年は ソメイヨシノと八重桜が同時に咲いていました。
kmidskr (8).jpg
亀戸9丁目緑道公園桜
kmidskr (2).jpg
散り行く桜
kmidskr (1).jpg
満開だった桜も・・今年はおしまいです。
hnbrskr.jpg
花びらが帯のように白く 川面に浮いています。
kmidskr (4).jpg
そして八重桜が咲きました。
kmidskr (7).jpg
週末には満開でしょうか・・
kmidskr (5).jpg
かんざしのように 可愛い花です。
kmidskr (3).jpg
今年もまた 桜は春を楽しませてくれました。

割り込み記事でした。
タグ:
posted by うめのはな at 06:00| Comment(0) | 江東区・江戸川区