2017年09月19日

Sちゃん

昔 小さな子供のころ 家には お弟子さんが住み込んでいて・・・
そのお弟子さんは 聞くところによると とても貧乏な家の子で 今でいうネぐレスト状態で ぐれていたとのことでした。
その子を 中学卒業と同時にひきとって 仕事を教え込んだのが父です。
母は わが子と同じように 食べ物も 衣服もわけへだてなく 面倒見たそうで 心をひらき真面目になったそうです。
私が まだ4~5歳のころにはすでに 働いていて 忙しい母のかわりに 何かにつけ わたしの面倒をみてくれたようです。
私も そのころの記憶があり 「Sちゃん Sちゃん」と 実の兄のようにまとわりついて いたようです。
その Sちゃんが 仕事を覚え 資格をとり いよいよ 独り立ちするために 大阪にいくことになったとき 私の悲しみといったら もう淋しく淋しくて べそをかいて 泣いたくらいです。
1年生くらいだったと 思います。

その後 別の住み込みの人が 入ってきたのですが あまりなじめませんでした。
一人は 女のひと「Yちゃん」といいましたが 1年ほどですぐ でていって 次に来たのが 男の人
この人は ちょっとこわくて なじめませんでした。
やはり Sちゃんが 一番だったと 思いました。

Sちゃんは 年に一度くらい 里帰りみたいに我が家を訪ねてきていましたが いつも学校に行っていて会えなかったです。
そして 間もなく 結婚するという 話をきいて 家族が増えたみたいに 嬉しかったです。
「もう少し 大きくなったら 天神祭りに 遊びにおいで」と手紙で 言ってくれたのを 覚えています。

父のことは 「先生 先生」と言っていましたが 母のことは 「おかぁさん」と言っていたかな・・
母の葬儀には ちゃんとやってきて 泊っていきました。
母の恩は 忘れていなかったようです。
その葬儀のとき 兄たちと話をしているそばに行き 
もう何十年ぶりかにあった Sちゃんに
「私の こと覚えてる?」って 聞いたら・・・
「ぜんぜん 覚えてへんわ・・・妹 いたっけ・・」

この一言で ショック!!
百年の恋も覚めてしまった 感じがしました。
私の 初恋ともいうべき 思い出はいったいなんだったのだろうか・・・・。
バカみたい。。。

その後「先生」と言っていた 父の葬儀にもやってきたようですが 挨拶だけですぐ帰ったようで 私は 顔を合わせることもなかったです。
そんなものですね〜
人生は。。。。
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posted by うめのはな at 09:51| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月18日

渋谷川

真夜中に台風が通過したらしく 何度か防災メールで 竜巻注意報が入って そのたびに目が覚めた。
風も雨もそれなりに 強かったみたいだけど 東京はまだ 台風の中心から離れているのでそう心配することもなかったです。
「ゲリラ豪雨」と呼ばれる集中豪雨に見舞われると しばしば冠水の被害に遭う場所もあります。
最近は 地下放水路や貯水池などが できたせいで 以前ほど多くはありません。
東京渋谷は巨大なすり鉢の谷底に位置していて 地下鉄が3階にあるという不自然な駅なのです。
ここには 昔 渋谷川が流れていて 東京オリンピックのため暗渠になったそうです。

渋谷駅周辺の地下に川が流れているのは広く知られていますが 2013年に取り壊された「東急百貨店東横店東館」は渋谷川の上に建っており、そのため地下階がありませんでした。
東口再開発工事で 2017年度には 暗渠化されていた渋谷川が 「渋谷川賑わいの広場」および「渋谷川沿い緑の遊歩道」として、生まれ変わります。
水辺の少ない渋谷エリアに、暗渠化されていた渋谷川が新たに復活するわけです。
同時に 4000トンの地下貯留槽が造られ 水害に屈しない町になります。

渋谷川には支流もあります。
渋谷駅東口地下を流れる渋谷川に注ぐ川、宇田川は 地名になっています。
すべてが 暗渠化されていて その名残はありません。
井の頭通りの下に宇田川が流れているために、地下フロア同士の連絡通路のない西武デパートA館B館です。

小田急線参宮橋〜代々木八幡駅間にある"春の小川記念碑"があります。(東京都渋谷区代々木5丁目)
先日 火災で小田急線が立ち往生した場所の近くです。
「春の小川は、作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一のコンビによる日本の童謡・唱歌。1912年発表。 高野辰之が当時住んでいた東
京府豊多摩郡代々幡村(現在の渋谷区代々木)周辺を流れる河骨川の情景を歌ったものとされている。」

代々木5丁目は1212年(建暦2年)創建の代々木八幡神社を擁する代々木八幡山と代々木公園部分に挟まれた谷で、付近はかつて代々木九十九谷と言われたほど深い谷でした。
この谷を流れていた"春の小川"は、河骨川(こうほねがわ)と言う名の川でした。
河骨川は高台の初台から代々木5丁目を通って富ヶ谷へ抜ける短い川で水源は初台近辺の湧水。

初台といえば その昔 山手通り沿いにNTVの稽古場があって 週3回は通っていました。
懐かしい場所です。
参宮橋からも歩けましたので あのあたりをうろうろ歩きましたが いかにも川の跡というような道もありました。
今は 高級住宅地・・というか マンションが立ち並んでいます。

河骨川は渋谷川の支流である宇田川に合流していました。
渋谷川は、元々、新宿御苑に水源を持ち、渋谷区・港区内(港区内は「古川」と呼ぶ。)を流れていました。

渋谷川についての PDFは こちらです。

春の小川・・・のどかな風景はどこか 地方の情景ではなく 代々木だったのですね〜
代々木八幡駅なんて 安倍総理も住む  高級住宅地です。
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posted by うめのはな at 15:49| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月17日

竹むら 

竹むら(たけむら)は、アニメ『ラブライブ!』 - 主人公・高坂穂乃果の実家「穂むら」として 登場したお店です。
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竹むら 東京都千代田区神田須田町一丁目19番地
東京都選定歴史的建造物
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昭和5年(1930)竣工し創業。作家池波正太郎も通ったことで知られる甘味の老舗。
入母屋造りで2階の欄干に竹と梅模様が彫られ、軒下に木製の提灯があります。
外観は屋根と庇で4層に見える。
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甘味処、和菓子店。揚げ饅頭が有名。
ここは 何年か前に 行きました。
最近は アニメ人気で 「聖地」となっているそうです。
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中も 凝ったつくりで 障子の飾りが みどころです。
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あげまんじゅうは売り切れてしてしまう人気のメニューです。
もちろん 食べました!美味しかったです。
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posted by うめのはな at 08:36| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月16日

いせ源

明治の頃 神田万世橋駅があった周辺は交通の要所であり 賑わったところです。
昭和3年まで 神田青果市場があり 老舗の飲食店が多く 今も古い歴史ある建物が残っています。
昔ながらの情緒漂う いせ源 もそのひとつです。
入母屋造りと2階の欄干に施された、菱形模様の彫りが特徴。
 「 かんだやぶそば」、「竹むら」、「まつや」、「ぼたん」などとともに奇跡的に戦災から焼け残り、連雀町といわれた地域です。
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あんこう鍋 いせ源本館 東京都選定歴史的建造物
千代田区神田須田町1-11
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都内で唯一のあんこう料理専門店
昭和7年(1937)の竣工で「いせ源」は、徳川14代将軍家斉の治世、天保元年(1830)の創業。
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木製の看板は建築当時から使用(平成8年補修済)しているもの
多くのお客様に食してもらいたいと虫食い舟板板を使用
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中林梧竹氏氏による書 明治37年頃の寄贈品
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内部は 故郷の家に来たような なつかしいような そんな 感じ。
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約80年に亘り この店を守っている 神棚。
天井の趣向が 目をひきます。
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いせ源 本館 写真とともに。
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階段を上ると 江戸情緒溢れる入れ込み座敷です。
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東京都選定歴史的建造物に選定されているだけあって 造りを見るだけでも楽しい。
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老舗だけあって いつも行列なんですが ランチもあって お手軽に食べることもできます。
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情緒ある 景色。タイムスリップした気分。
すだれの 向こうは・・・・
「竹むら」さん です。

タグ:歴史 グルメ
posted by うめのはな at 13:35| Comment(0) | 千代田区

2017年09月15日

Jアラート

Jアラートって まだ 聞いたことはないのですが・・・
緊急地震速報も すごく驚くので いきなり 鳴ったら ビビりますよねぇ〜
どうしたら いいのか 一瞬 頭真っ白になりそう。

緊急地震速報は すぐTVつけます。
でも たいてい揺れてから 鳴るので それなりに ああ、大きい!とか このくらいなら・・とか 自分の体験から どうすればいいか わりと 判断がつきます。
直下型だと 未経験ですが。。。

Jアラートなったら 屋内とか地下に行け・・って いったって 畑の真ん中にいる人はどうしようもないし 他人の建物に逃げ込むわけにもいかないし、そもそも 田舎に地下なんてない どうすりゃいいのさ!って こと 言っていた人いました。
ほんとうだね・・・私は 家にいて TV見るな。たぶん 地下にはいかない。
出かけていたら その辺の 地下街か 地下鉄か ビルに入るしかなでしょうね。

それに 鳴ったときは もう通過してるんでしょ?
数分でどうすりゃいいのか 瞬時に決断できる人って すくないと思います。
まず え?と 思って端末とか見ます。
えーーー!!って 一時 ぽかんとして 次の行動が わからなくなるかも。
で、きっと 周り見て 同じ行動 とるかも。
そして あわてて 怪我したり 殺到した場所で 倒れたり 取り残されたり。
ああ〜〜いやだ いやだ。

空みあげて 来るのかなぁ・・・って しばし 観察する人もいるかもしれません。
人間そんなものです。

このJアラートもあまり頻繁に鳴ると そのうち「オオカミ少年」みたいになってしまうかも。
慣れというのは おそろしい・・・・

とにかく ミサイルが飛ぶってこと事態 異常なことだし
平時じゃなくなるんだろうけど
だからといって どうしようもないし
せいぜい 遺憾の意 で 抗議するしかないのかしらね〜
遺憾の意は 聞き飽きた。。。。。。
他に 手だてはないものか・・・・・・
無力やな〜〜〜
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posted by うめのはな at 09:39| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月14日

自転車保険

自転車の事故が多くなっています。
名古屋市は、10月1日から市内で自転車を利用する人に対して、損害賠償保険への加入を義務付ける。というニュースがありました。
市内通過者も義務化だそうです。
同様の条例は兵庫県や大阪府などでも施行されており、罰則はない。

今まで 自治体の 交通事故共済保険に入っていたのだけれど 保障が1000万しか ないものです。
掛け金は 安いのですけれど・・・ちょっと これじゃ ダメかなぁ〜って 思いました。

いろいろな事例を見ると 高額の保証が必要なことがわかります。
自分のことより 相手への万一の時の 保障ですよね〜
それで 別の 保険に入ることにしました。

1か月140円で1億。 家族全員の保障がつくなら 安心料でもいいかもね。
むろん 事故などないほうがいいのですが・・・
こればかりは どこで災難があるかわからないものです。

そのうち 全国的に自賠責保険のように 義務化するのかしら・・・。
大阪などは 義務化だそうですが 東京はまだ 努力義務だそうです。
罰則がないので 大阪でも 加入しているのは 半数くらいだそうですけど・・・

そのうち 自転車は完全 車道走行。
ヘルメット着用。
運転許可制。なんて ことになるかもね〜〜〜〜。

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posted by うめのはな at 15:38| Comment(2) | エトセトラ

2017年09月13日

埋もれた江戸

江戸時代 大名屋敷があったところは 再開発の時の 埋蔵文化財調査をしなければなりません。
加賀前田藩があった 東大は 赤門が有名ですが 屋敷跡ということで いろいろな遺構が出ています。

江戸時代、東京大学本郷キャンパス(東京都文京区)には、加賀藩やその支藩である富山藩や大聖寺藩など多くの大名屋敷がありました。
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タイトル   埋もれた江戸
東大の地下の大名屋敷
著者    藤本強/著 
出版者  東京 吉川弘文館
出版年  2017.9
形態事項   313p 19cm
シリーズ名   読みなおす日本史 

内容(「BOOK」データベースより)
東京大学の改築工事の際に、加賀大聖寺藩の上屋敷跡が検出された。何層にも重なる遺構と大量の出土遺物から、焼失・再建の変遷や食器などの時代的推移が判明。近世史を塗り替える成果を、調査の臨場感と併せ紹介する。

東京大学の地下から大聖寺藩の江戸上屋敷の遺構があり 調査を進めると 古九谷 など遺物のの宝庫であった。
陶磁器が語る消費と流通が想像されます。
地下式土坑も残っていたし 木樋や 排水施設も 地下室もみつかった。
池の底から 将軍の「御成」と饗宴の跡があったし その規模の大きさもわかってきました。
しかし 箸や折敷 大量の かわらけ から 数千人〜9000人ほどの 宴だったとわかっているそうですが 大量の食材はどうして調達し どうやって 調理していたのか その費用も 準備も 興味深いです。
「御成」も 「参勤交代」も 大名の力をそぐための 儀式だったのでしょうか・・

杭のあとから 計られる江戸時代の基準尺度。
京間・江戸間・越前間の尺度等 次々と貴重な遺構が出てきました。
しかし 病院建設という 時間との戦いで そのまま埋め戻せという 意見もあったりしました。

何層にもあった遺構。
度重なる 江戸の火災で 燃えたものを埋め立ててしまったらしいです。
掘ってみれば 階段があり 地下室があったり それはもう 江戸を知るには 大切な遺構なのです。
江戸時代というのは すごい時代だったと わかります。
300年にわたる 初期から〜末期の江戸の文化を知ることができ とても 面白い本でした。
少し 専門的で 難しい部分も多々ありましたが それは 他の知識で 補うことができます。
今まで 東大博物館など そして 東大構内をじっくり見学していますから ああ・・・これはあそこか、とか 地理的なことは 解決できましたし 江戸の文化財は いろいろ 見てきましたので 本だけでも 想像がつきました。

江戸間と越前間の 比較も興味深かったです。
加賀藩では当初
越前間(1間6尺3寸≒1.91メートル)を使っていたと・・・
その後の八百屋お七の火災後の建て替えでは江戸間が使われたそうです。
少なくとも 17世紀末期からは 江戸間が 基準尺度になったと思われると書かれていました。

京間は一間が6尺5寸、江戸間あるいは田舎間が6尺です。6尺3寸の越前間あるいは中京間もあります。

現在は団地サイズなんていうのもあって 田舎の6畳間と 都会の6畳間では 広さが見た目でわかるほど違いますね〜
江戸間は 狭い・・・・。
これは 福井の家と比較しても すぐわかります。

文化財や 遺構が好きで あちこち 巡りましたが 歴史散歩も面白いです。

昔を知ることは 今を知る ことにも繋がります。
こういう本もなかなか いいものです。
タグ:読書
posted by うめのはな at 10:07| Comment(0) | 読書

2017年09月12日

捨てる

少し モノを捨てようと思い 粗大ごみセンターに申し込みをしました。
こんかいは 2点だけ。シールを買ってきました。
もっと 捨てたいのだけれど 一度にやると 疲れるのです。

処分したいものは 山ほどあって いらないと言えば みないらない・・・
それだと 非常時には困るので これもとっておこう あれも・・と 思うと結局 捨てられない。
こういうのって 思い切りが必要なんですね〜

代々使ってきた PCが 数台あるのですが これは 専用の事業所に引き取ってもらわないといけません。
ほとんどが ノートPC.
HDDをどうしようか 考え中だけど 障害者支援事業所に電話してとりにきてもらおうかと考えています。
その他 プリンターや VTRのデッキ 外付けHDDなど 周辺機器もひきとってもらえそうです。

整理しなきゃ・・・
モノは いらなくなった時に 捨てるのが一番いいのかも。
貯めると面倒・・・・
タグ:エトセトラ
posted by うめのはな at 15:46| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月11日

よく学び 遊ぶ

福井県や秋田県の 子供の学力 体力が上位だということです。
福井には お受験の予備校もなかったし そもそも お受験そのものがなかったので こりゃどういうことかな・・なんて思っていました。
みなが 当たり前のように 公立に行きます。
私立は すべりどめ。
ここが 都内とは違うところかも。。。

しかし 子供の学力は全国1位 2位。
社長になっている人も日本一とか。
ここは 詳しくは知らないのですが そうみたいです。

子供の学力。何が違うのか・・・
塾や予備校も行くこともなかったので
宿題が多いです。たぶん他より多い。
毎日の宿題。これは 主に その日の復習。
それに 予習が必要です。
予習していかないと 次の日の授業は おいてけぼりになります。

先生は 予習してきているのがあたりまえで 進みます。
当てます。
漢字の読み書きは もちろん下調べ。
英語は 全文英訳、単語の意味も 文法も予習。
先生は文を読ませ英訳させて 次々当てていく授業でしたから 何もしていないと お手上げです。
たまに その日の朝 写させてもらうようなこともありましたっけ・・・・
この予習 復習が とても効果的だそうです。

予備校など行っている暇もなければ そんなものも近くにはなかったです。

進学は ほとんど 関西。金沢。
東京に出る人はあまりいませんでした。

今はどうだか知りません。

学力だけかと思えば 体力も1位とか・・・
なんでだろうか・・・
その辺は 私にはわかりません。

よく遊び よく学んでいるからかもね・・・。
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posted by うめのはな at 15:24| Comment(0) | エトセトラ

2017年09月10日

ボンボニエール展

今日が 最終日なのですが 皇居東御苑の三の丸尚蔵館で 素敵な展示会がありました。
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「皇室とボンボニエール−その歴史をたどる」
会期. 平成29年7月15日(土)〜9月10日(日)

明治20年代から 皇室の引出物のひとつとして ボンボニエールと呼ばれる小さな菓子器が採り入れられました。
手のひらに乗るくらいの小さなものですが 慶事にふさわしく 趣向をこらした工芸品です。
デザインに工夫を凝らして銀や漆,陶磁などの材質を生かしたボンボニエール。
日本の伝統工芸の技をいかした 小さな世界。
日本の工芸の歴史の深さを感じます。
旧秩父宮家や旧高松宮家から まとまった数の寄贈があり 近代皇室のボンボニエールの有様があきらかになったということで 今回まとまった数の展示となりました。

どれも 小さな世界ではありますが 伝統工芸の緻密な技をいかしたもので、あっと驚くようなものもあります。
この ボンボニエールの中に入っているのが 金平糖。
そりゃ 皇室の引きでものだと 食べてしまうのも もったいない。
か・・どうかは 知りませんが 日持ちのする金平糖を入れたそうです。

伝統的製法でつくる 金平糖は 高熱で焼き固めることから保存性が良く、湿気さえ気を付ければ20-30年経っても味が変わらないとさえいわれています。
非常用の乾パンなどにも入っていますね。

金平糖といえば 子供の頃よく食べたので 駄菓子かと思っておりましたが とんでもない。
つくるのに 2週間ほどかかる手の込んだお菓子だそうです。

金平糖は1546年、ポルトガルからもたらされたお菓子の中でも 「高貴なお菓子」として珍重されました。
皇室にふさわしいお菓子なのですね。

創業、弘化四年(1847)の日本で唯一の“金平糖専門店”は この伝統的製法でつくっているそうで 予約待ち1年ともいわれているそうです。

ボンボニエールと同じく 奥の深いものなのですね。
posted by うめのはな at 08:31| Comment(0) | 千代田区